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祝福 ~そして少女は世界の広さを知る  作者: みーこ


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1話 ~そして少女は水車小屋の仕組みを知る

 湖面に映る星空が、波打ちながら静かに輝く。動物の鳴き声はおろか、人目から逃れるように暮らしている妖精たちのお喋りも、今日ばかりは聴こえない。

 夜の王が帰ってきたからだ。


「ここは変わらないな。昔のままだ」

「そうなの? 昔からずっと、このまま?」


 夜を支配する神たる男エイリクの呟きに、彼の隣を歩く少女アストリッドが疑問を発する。子供らしい純粋な問いに、エイリクは懐かしむような声で答える。


「ああ。私が支配していた頃から、ここにはこの湖があり、草木があり、動物たちが餌や水を求めて訪れて、妖精たちが憩いを求めて飛んでくる。もっとも、後ろ二つは私がこの場にいない時の話だがね」


 話を聞きながらアストリッドが周囲に目を向ければ、木の枝や葉っぱの陰からこちらを伺う妖精たちの姿が認められた。しかし誰も近づいてこようとはしない。エイリクを恐れているのだ。


「嫌われるようなことでもしたの?」


 アストリッドが感じたままに問うと、エイリクは一瞬目を見開き、愉快そうにくつくつと喉を鳴らした。


「嫌われる? 嫌われるようなことだと? ははは。そうれはそうだろう。誰しも終わりを恐れるものなのだから」


 一陣の風が吹き、エイリクの灰色の髪と黒い外套をはためかせる。


「夜眠りについた者が、必ずしも朝目覚めるとは限らない。何故か。私が魂を連れ去っているからだ。故に連れ去られたくない者は、私に近づかない。……そのように警戒したとて、無駄であるのにな」


 死という眠りは誰にでも訪れる。来訪の時を決めているのはエイリクではない。それでもなお妖精たちが彼を恐れるのは、ただの無知と、身についた習性のため。


「まさか、嫌われる私を憐れむ気ではないだろうな。そのような感傷は不要だ。私と彼らとでは、生まれも、育ちも、立場も、何もかもが違う。人々は私に信仰心を授けるが、妖精はそうではない。彼らには彼らにとっての敬うべき存在があり、それは私ではない。ただそれだけのことだ。君とて、見ず知らずの神を崇めよと言われても困惑するだろう」

「……うん」


 アストリッドはエイリクを憐れんだつもりはなかった。しかし彼自身に動物や妖精たちから避けられることを気にしている節があったのかもしれない。そのことに気がついて、アストリッドは自分を顧みた。私も同じだ。村人たちから避けられていることを気にしていないように振舞っていたが、本当はそうではない。自分だけが除け者にされる理由を、彼らの言葉を使って並べ立て、無理矢理納得し、自分からも近づかないようにする。そんなことをしても意味がないと知りながら。

 本当は、誰か一人でもいいから、傍にいてくれる人が欲しかったのに。

 アストリッドはエイリクの腕を取り、少しだけ彼に身を寄せた。


「あの村では……この国では、ほとんどの人にとって、あなたは見ず知らずの神。でも、私はあなたを崇める」

「……」


 たった一人の信者(アストリッド)の言葉に何を思ったのか。エイリクは微笑を浮かべ、膝をついて彼女の顔を覗きこんだ。


「無理に崇めずともよい。崇めないからと言って君を捨てるような、恩知らずな行動を取る気はない。安心したまえ。私を呼んだのは君だ。君が求める限り、私は君の傍にいよう」


 そう言って彼はアストリッドの頭を撫で、立ち上がると彼女を外套の中に招き入れた。


「夜は冷える。風の冷たさは、人にも、神にも、そして魔女にも平等だ。その格好では寒かろう。暫くこの中で温まるがよい」

「……ありがとう」


 こうなるのは予想外だったものの、アストリッドは彼の好意に甘えることにした。きっと己もこの神も、お互いに何かを勘違いしている。お互いのことを知らなさすぎるから。それでも自分を否定せず傍にいるだけで、どちらにとっても十分だった。


「これからどうするの?」


 エイリクを見上げながらアストリッドが尋ねると、「君はどうしたい」と尋ね返された。


「行きたい場所、見たい景色、手に入れたい何かがあるのなら、私がその手助けをしよう。さあ、言ってみたまえ。君のしたいことを。何でもいい。君の言葉を、君の気持ちを、理解しようともせずに否定する愚か者はいない」

「……」


 アストリッドは戸惑った。そのように自分の意思を聞かれたことなど無かったのだ。両親が死んでからなど、命令されるか否定されるかのどちらかだった。行ってみたい場所があっても、見てみたい景色があっても、欲しいものがあっても、自らそれを言ってはならないものだとばかり思っていた。

 そんな心の内を察してか、エイリクはまた彼女の頭を優しく撫でながら言った。


「すぐに思い浮かばないのであれば、ゆっくり考えればいい。私と共にいる間に様々な欲も湧こう。その時々に教えてくれて構わない」

「いいの?」

「ああ、もちろんだとも。これは君の旅だ。であれば旅の道筋も君が決めるべきだからな。だが、今だけは私の希望を通すことにしよう。君を夜通し歩かせるわけにはいかないのでね。雨風をしのげる場所を探して一晩休むとしよう」

「うん」


 エイリクがアストリッドの肩に手を添えながら歩き出す。アストリッドは外套から出てしまわないようにと布地を掴みながら、彼の歩調に合わせるように足を動かした。夜はまだ、始まったばかりだった。


 湖に繋がる川の岸辺を、上流へと遡るように進んでいく。歩幅の違いのせいでアストリッドに無理をさせていると察したエイリクが途中で歩調を緩め、おかげでアストリッドにも景色を楽しむ余裕ができた。

 アストリッドは産まれてから今まで、村と村の近くにある湖だけが世界の全てだった。それよりも外側に行けるのは村の偉い人たちや行商人、もしくは狩りを行う男たちや婚姻のために別の村へ行く女だけ。どれにも該当しないアストリッドは望むだけ無駄だと思い込んでいた。アストリッドが魔女であると噂されるようになってからは、彼女を村の外へ追放すべきとの声も上がった。しかし村長や教会の神父たちが村の恥を知られるわけにはいかないと言って、頑としてそれを認めなかった。

 それがどうだ。今や己の意思で村の外に出て、踏み入れたことのない地に足をつけている! 川のせせらぎ、木の葉を揺らす風の音、どこからか聴こえる動物の鳴き声、一歩踏み出すごとに足裏をくすぐる夜露に濡れた野草、足元で飛び交う小さな虫たち、人間の邪念の混ざらない清浄な空気、そして外套の中の温かさ。そのどれもがアストリッドにとって新鮮で、神聖だった。


 暫く歩くと水車小屋が見えてきた。アストリッドは村人たちから聞きかじった情報として〝村の外れに水車小屋と呼ばれるものがある〟ことを知ってはいたが、実物を見るのは初めてだった。思わず足を止め、水車の動きをじっと眺めた。水の流れを受けてくるくると回り、ばしゃばしゃと音を立てる、歯車にも似た木造の大きな輪っか。見ている分には面白いが、一体何の為に水をかき回しているのだろう。そう疑問に思ったところで、エイリクに話しかけられた。


「今宵はここで休むとしよう。いつまでもここに立っていては凍えてしまう」

「うん」


 アストリッドが頷くと、二人は水車小屋の中に入っていった。

 小屋の中は、誰かが数刻前までいた形跡はあれど無人であった。それを二人とも疑問に思うことはない。エイリクはもとより興味がなく、アストリッドは水車小屋の主らしい人物があの民衆の中にいたのを目撃している。


「見たまえ。あれが何かわかるかね」


 我が物顔で室内を進んでいったエイリクが、その奥にあるものを指し示す。月光に照らされるそれは、大小様々な大きさの歯車。幾つもあるそれらが噛み合って、ごとごとと音を立てながら動いている。他にも何本もの太い木の棒や大きな石があり、絶えず一定の動作を繰り返している。だと言うのにそれらを動かしている人の姿がどこにも見当たらない。

 一体どこにいるのだろう。それともこれは魔法が使われているのだろうか。


「人間とは、実に勤勉で、怠惰な生き物だ」


 エイリクが突然発した言葉に、アストリッドは首を傾げることで続きを促した。エイリクは彼女を見下ろしながら、静かに語る。


「誰だって楽をしたいと思うものだ。楽ができるようにするために、知恵を絞り、このような仕組みを発明する。……アストリッド。君は誰がこれを動かしていると思う」

「……人? でも、誰もいないから、魔法がかけられているか、どこかに妖精が隠れているの?」


 アストリッドは困惑しながら答えた。こんな複雑な機械を見たのは初めてだ。当然動かし方も知らない。読んだ本の中に出てきた覚えもない。

 頭を悩ますアストリッド。エイリクはそんな彼女と同じ視線になるよう膝をつき、一つ一つ指を差しながら答えを示した。


「先程外で見ただろう。水だ。水が水車を動かし、水車が動くことで、水車にはめ込まれたあの太い棒も動く。するとやはり同じように、あの太い棒と繋がっている他の棒や歯車も動くというわけだ」


 そして、とエイリクは大きな石を指す。


「あの石臼で穀物を粉末へと変える。本来必要となる労力を払うことなく欲する物が手に入るのだ。労力を払わず楽をする為なら、いくらでも労力を惜しまない。怠惰のために勤勉となる。水車は人間の発明品の中でも私好みなものの一つだ」


 アストリッドは意外そうな顔でエイリクを見た。


「嫌いかと思った。人間のこと」


 子供らしい純粋で率直な意見に、エイリクはくつくつと喉の奥を鳴らす。


「勤勉で智を求め、探求心に溢れる人間のことは好ましく思っているよ。私が嫌うのは怠惰であるだけの人間だ。己の頭で物事を考えようとせず、己にとって都合のいい言葉を吐く者に同調する。そう、君に石を投げていた連中だ。あのような者たちに価値などありはしない」


 そう言ってエイリクは静かに微笑んだ。


「君があの連中と同じ道を歩まないことを願っているよ。さあ、今宵はもう眠るとしよう。おやすみ、アストリッド。旅立つ前に休息は必要だ」

「うん……」


 アストリッドはもっとエイリクから話を聞きたい気分だった。しかしエイリクが彼女の頭をひと撫ですると、途端にアストリッドは眠気を覚え、そのまま瞼を閉じてしまった。

 眠りに落ちた小さな魔女を神が抱き上げ、粗末なベッドへとその身を横たわらせる。エイリクは寝息を立てる彼女の傍らに椅子を持ってくると、そこに座しながら夜の静寂に耳を傾けた。

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