17.アンナの告白
「ねえ、アレク。私、決めたわ。あなたの妻になってあげる!」
十五歳の私は、自慢の燃えるような赤毛を弾ませ、ヴァレンティ公爵邸の豪華な執務室のドアを乱暴に開け放ちました。
部屋の奥にいた二十五歳のアレクシス・ヴァレンティは、机の上の書類からゆっくりと琥珀色の瞳を上げました。
その彫刻のように整った顔には、驚きも困惑もなく、ただ冷徹な仮面のような静けさだけがありました。
「……アンナか。
また随分と唐突な宣言だな」
「唐突じゃないわ!
我が家の持つ圧倒的な富と、私のこの誰もが羨む美しさ。
あなたの隣に立つのに、これ以上の相応しい女がどこにいるっていうの?
これはあなたにとっても最高のお話のはずよ」
私は高慢に胸を張り、アレクのデスクへと歩み寄りました。
彼には当時、社交界でも公認の「キティ」という二十歳の愛人がいました。
地味で身分も低く、お行儀が良いだけの女。
フン、あんな女、私の前ではただの背景の石ころよ。
最高権力者である公爵の妻の座にふさわしいのは、この世界で一番美しく、みんなに愛されるべき私、アンナだけ。
「いいだろう」
アレクは感情の籠もらない声で、あっさりと頷きました。
「君の実家との婚姻は、ヴァレンティ家にとっても利益がある。
……歓迎するよ、アンナ」
「ふふ、そうこなくっちゃ!」
私はアレクの腕にしがみつき、勝利の優越感に浸っていました。
あのお行儀の良いキティから、私はこの国の最高峰の男を奪い取ってみせた。
私の美貌と価値の前に、誰もがひれ伏す。
世界は私を中心に回っている。
私は、世界で一番幸せな公爵夫人になるんだわ!
◆◇◆◇◆
結婚生活が始まっても、私の栄華は続くはずでした。
私は社交界を席巻し、誰もが私のドレスや宝石を羨望の眼差しで見つめました。
そして何より、私を「優しいお嬢様」と慕うキティが、私の身の回りの世話をしてくれていたのです。
「アンナ様、今日のドレスも本当にお美しいですわ」
「そうでしょう、キティお姉さま!
やっぱり私を引き立てる方法を一番よく分かっているわね!」
キティはいつも、私の自尊心を完璧に満たす言葉をくれました。
アレクを奪い取られた負け犬のくせに、私に嫉妬するどころか優しくお世話をしてくれる。
私はその歪んだ優越感の中で、お茶会を楽しみ、自分の美しさに酔いしれていました。
十六歳で息子セルジオを出産した時は、まさに絶頂でした。
厳格な父親を怖がり、いつも私の後ろに隠れて「お母様、お母様」と泣いて私を求める可愛いセルジオ。
アレクが冷たくても関係ない。社交界の称賛と、私を盲目的に必要とするこの小さな息子がいれば、私の承認欲求は完全に満たされていたのです。
――あの日までは。
◆◇◆◇◆◇
「……僕は公爵家の嫡男です。
いつまでも子供のように、お母様にべったりと甘えているわけにはいきません」
八歳になったセルジオは、私の知っている「可愛い坊や」ではありませんでした。
父親そっくりの冷徹な琥珀色の瞳で私を突き放し、私の掴もうとした手を滑らかにかわしたのです。
「セルジオ……?何を言っているの?
お母様よ……?」
息子は一瞥もくれずに部屋を出て行きました。
その瞬間、私の頭の中で、カチリ、と何かの歯車が狂う音がしました。
寂しい。
誰も私を見てくれない。
アレクは最初から私を「金づる」としてしか扱っていない。
社交界の称賛すら、どこか嘘くさく聞こえる。
心が、飢えと焦燥で焼き尽くされそうでした。
そんな時に、あの駅で出会ってしまったのです。
若い軍人のレックスに。
「あなたのその『氷の薔薇』のような冷ややかな美しさに、私の心は一瞬で奪われてしまった」
その甘い言葉に、私は飛びつきました。
彼が裏で悪友たちと「公爵夫人を落とせるか」という賭けをしていたなんて、微塵も知らずに。
私は彼の手を取り、すべてを捨てて駆け落ちの列車に乗りました。
私を見捨てた公爵家なんて、こちらから捨ててやるわ、と。
けれど、待っていたのは地獄でした。
うらびれた田舎のホテルの一室。
レックスはわがままで束縛の激しい私にすぐ飽き、夜な夜な別の女を漁りに出かけました。
お腹に子供を宿した私は、ボサボサの髪で、独りきりの部屋で泣き叫びました。
そして、ある雨の朝。レックスは一枚の書き置きを残して、私を完全に置き去りにしたのです。
◆◇◆◇◆
「お前が我が家に残した汚点は、万死に値する。
……離れの部屋で終身、療養してもらう」
這うようにして戻った公爵邸で、アレクは冷酷に私を鳥籠へと押し込めました。
私が命がけで生んだ娘アニーは、あのキティの手に渡りました。
「完璧な貴婦人に育てます」と微笑むキティの顔は、かつての優しいお姉さまのものではなく、私を完全に道化として見下す勝者の顔でした。
私は時折、狂ったように部屋を脱走し、成長していく息子セルジオにすがりつきました。
「お母様、廊下で大声を出すのはお控えください。
今日のドレスは素敵ですが、お医者様が待っていますよ」
十七歳になったセルジオは、父譲りの冷静さで私を「うまくあしらう」だけ。
私は、冷たく無視されるよりは、その『上手なあしらい』だけでも嬉しくて、自分はまだ愛されているんだと脳を麻痺させ、機嫌を良くして部屋に戻る日々を繰り返していました。
そんな歪んだ日常すら、長くは続きませんでした。
冬の風が吹き抜ける、あの呪われた駅のホーム。
セルジオの婚約の邪魔だと判断された私は、公爵家の黒い外套の男たちに取り囲まれ、冷酷に線路へと突き落とされました。
ゴォォォォォォ……!!!
地響きを立てて迫り来る、鉄の塊。
ヘッドライトの猛烈な光が、私の視界を真っ白に染め上げていきます。
その瞬間、走馬灯のようにすべての映像が目の前に浮かびました。
私のいなくなった公爵邸で、プラチナブロンドに琥珀色の瞳である、アレクの隣に、正式に収まるキティの、穏やかで優しい笑顔に柔らかな金髪、ブルーの瞳。
私をゴミのようにあしらっていたセルジオの、プラチナブロンドの煌めく髪に琥珀色の冷たい瞳。
キティに飼い慣らされたアニーの、レックス譲りの柔らかな金髪にブルートパーズの無垢な瞳。
私は、アレクを奪ったんじゃなかった。
最初から私は、あの二人がヴァレンティ公爵家を完成させるための、ただの『都合の良い金づる』として舞台の上で踊らされていただけの、哀れな道化だったんだ――。
「あ……あああ……っ!」
迫る車輪の轟音の中、私は砕け散る意識の境界で、血を吐くような思いで心の中で叫びました。
私は世界一美しくて、みんなに愛される公爵夫人になるはずだったのに。
こんなはずじゃなかった。こんなはずじゃなかったのに――!!!




