第43話 舞台の上で踊る愚者③
(リゼットにフォルティスをかけるか? でも、魔力が……!)
脳が焼けるように回転していた。
目の前では、殺気を撒き散らすガービンが、まるで悪夢の具現のように迫っている。
その背後には、剣を構えたリゼット――。
選択肢は二つ。
リゼットを強化するか、もしものための回復魔法を温存するか。
これまで何度も選んできた、命懸けの二択。
だが、その瞬間、私の脳裏に第三の選択肢が閃いた――。
「《キュア》!」
発動と同時、ガービンの肉体がびくりと震えた。
そして――次の瞬間。
蒼い炎が、彼の全身を包み込んだ。
ゴウゴウと激しく燃え上がる蒼炎に、ガービンは悶え苦しむ。
「ぐ……ごぉぉぉおおおおおっ!!」
ガービンが喉の奥から獣のような悲鳴をあげた。
皮膚が裂け、黒煙が噴き出す。
その様はまるで、汚れた魂が浄化されていくようだ。
(やっぱり。お前もアンデッド……死者だったんだな)
理屈ではなく、直感で理解した。
言葉を介するだけの脳を残していても、その身体はすでに人ではない。
そして、人らしい理性も失っていた。
ならば、キュアは癒やしではなく、祓いとなる。
これまで何度となく経験してきたことだ。
戦いの最中に在りながら、私は自分が救えなかった、いや、救わなかった命の重みに動揺してしまっていた。
そんな私の迷いを断ち切るように、鋭い声が響く。
「ダメ押しよッ!」
リゼットの剣の閃きが、雷鳴のように響いた。
蒼炎に包まれ、身をのたうつガービンへ――強烈の剣閃が走る。
「《トリプレット・エッジ》!」
三重の斬閃が舞う。
空気を裂き、剣光が一瞬にして残像を3つ生み出す。
それは、華麗にして苛烈な連撃。
焼け爛れ、脆くなった肌を深々と斬り裂く。
ガービンはゆっくりと膝から崩れ落ち、前のめりに倒れた。
「どうにか、終わったようね」
短い攻防だったが、激しく苦しい戦いだった。
私は、思わずその場に片膝をついて座り込む。
「助かりました。決着がもう少し遅ければ、危なかったです」
死線を越えた安堵から、私の緊張の糸がぷっつりと切れる。
肩を上げて、たっぷりと息を吸い込んだ。
「お互い様ね。また、あなたの機転に助けられたわ」
「今回ばかりは、沢山褒めていただきたいですね。我ながら、驚きの直感でした」
そんな軽口を叩き、顔を上げた瞬間。
リゼットの背後に、黒い影が迫っていた。
咄嗟に彼女を突き飛ばし――私の身体は、魔法の矢に貫かれる。
「チッ……余計な事をしてくれたぜ」
意識を失う寸前、私が見たのは、憎たらしげなクロードの顔だった。
◆ side.リゼット
あの子に押し飛ばされた瞬間、私は悟った。
自分が、油断していたことを。
背後からの殺気に気づいた時には、もう遅かった。
赤い弧を描いて、私の前に飛び込んだ小さな背中。
そして、次の瞬間、血飛沫が舞った。
「……平民?」
私は尻もちをついたまま、呆然とその光景を見つめていた。
あの子が、血を流しながら崩れ落ちていく。
呼びかけても、応えない。
その胸は動かず、ただ、静かに地に沈む。
頭の中のどこかで、「動け」と命じる理性が喚いていた。
だが、身体は凍りついたまま。
脳裏に浮かんだのは――あの日見た、エマの怯えた瞳。
「わたくしが……違う……違う違う違う違うっ! これは、わたくしがやったんじゃない!」
息が詰まり、世界がぐらりと傾いた。
這うようにして、血の海へと近づく。
背後から誰かの気配が迫るけれど、そんなものはもう、どうでもよかった。
「平民……リーナ……」
初めて、その名を呼んだ。
震える声が、空気の中に消える。
「わたくしを……置いていかないで……」
その懇願が、すべての引き金だった。
魂の奥底で、長い間封じ込めていた決定的な何かが――砕け散る。
頭の奥で、何かが弾けた。
意識が、紅に染まっていく。
「……ああ」
私は立ち上がった。
もう、リーナの顔を見ない。
もう、何も見ない。
「……あああああ……ッ!」
喉の奥から、声が漏れる。
それは、悲鳴か、怒号か、絶望の歌か。
もはや自分でもわからない。
ただ一つ、確かなことがあった。
――すべてが、どうでもよくなった。
「……アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
金切り声が、世界を裂く。
それは、人の声ではなかった。
魂そのものが器を壊して溢れ出した、断末魔の叫び。
ゴウッ、と。
私の足元から、紅蓮の炎が噴き上がる。
それは魔法ではない。
それは、私の絶望そのもの――怒りと喪失と破滅が混じり合った、純粋な感情の炎。
「なっ……!?」
誰かの叫びが聞こえたが、もう意味を持たない。
炎は私の全身を舐めるように駆け上がり、やがて天を貫く巨大な火柱へと変わった。
谷底の冷気が、一瞬で灼熱に転じる。
絶壁の岩肌が溶け、赤い雫となって滴る。
空気が悲鳴を上げ、大地が呼吸を止める。
私はその中心で、ゆっくりと背後に立つクロード・ダークネスを見た。
彼の顔から、血の気が引く。
唇が何かの詠唱を形づくろうとする――だが、無意味だ。
私は右手を、ただ彼へと向ける。
そして、一言だけ、告げた。
「――すべて、燃え尽きてしまえ」
次の瞬間。
世界は、紅蓮に染まった。




