第42話 舞台の上で踊る愚者②
青黒く変色し、まるで腐肉のように血管を浮き上がらせた肌。
意思とは無関係に蠢く、異様に肥大化した筋肉――その1つ1つが、まるで別の生き物のように脈動している。
背丈も記憶にある男より、遥かに大きい。
二メートルは優に超えているだろうか。
もはや人の形をした何か別の生物だ。
私のような小柄な女に攻撃を受け止められるなど、微塵も想像していなかったのだろう。
怪物は血走った目を見開き、その醜悪な顔に驚愕を貼り付けて固まっている。
口からは涎が垂れ、荒い鼻息が獣のように漏れていた。
だが――そんな致命的な隙を、リゼットが見逃すはずない。
このバケモノは今、自分が誰に牙を剥いたのかを忘れている。
「呆けている暇なんてないでしょう、怪物」
リゼットの声が、氷のように冷たく響いた。
剣が鞘から放たれた瞬間、閃光のような奔流となってバケモノを打ち据える。
それは肉を斬り裂くのではなく、急所を的確に抉り抜く、無慈悲な突きの猛攻。
喉、脇腹、関節の隙間――致命傷となる箇所だけを選び、容赦なく穿っていく。
目にも留まらぬ連撃が、怪物の思考を置き去りにしていく。
「ぐっ、ごぉぉおお……ッ!」
肉を穿つ鈍い音と、粘ついた液体が撒き散らされる不快な音が連続する。
黒々とした血飛沫が宙を舞い、床に濡れた痕跡を残していく。
怪物の巨体がたまらずよろめき、壁に肩をぶつけて石壁にひびを入れた。
だが――。
ブォン、と空気を揺るがす轟音。
それは報復の一撃。
人間をひき肉に変えてしまいそうな剛腕がリゼットを襲う。
「《プロテクト》!」
その剛腕が、憎悪に満ちた一撃となってリゼットを薙ぎ払った。
直後、彼女の身体が宙を舞う。
ガービンの口元が歪んだ。
奴が、勝利を確信して笑っている。
だがその瞬間、私は既に動いていた。
「《ヒール》!」
光が、宙を舞うリゼットの身体を包み込む。
床を転がりながら着地する彼女だったが、その動きに、致命的な硬直はない。
私の魔法が、衝撃によるダメージを、即座に相殺したのだ。
「……助かったわ」
リゼットは、吐き捨てるように、しかし、その声に確かな信頼を乗せて呟く。
彼女は、そのままの勢いで後方へ跳躍し、距離を取った。
「グ、ルルル……」
仕留めきれなかった獲物と、私を、ガービンの濁った瞳が、交互に睨みつける。
奴の、単純な脳細胞でも、理解したのだろう。
――このパーティーで優先すべき標的は、どちらなのかを。
「平民、来るわよ!」
リゼットの警告と、奴が地を蹴る音は、ほぼ同時だった。
「くたばれ奴隷女!」
凄まじい剛腕が私を襲う。
咄嗟に盾を突き出したが、魔法もスキルも間に合わない。
衝撃を受け流すことができず、私の身体は盾ごと浮き上がった。
ふわっと浮遊感を感じた頃にはもう遅い。
私の身体は玩具のように飛んでく。
(このまま落ちたら……死ぬ!)
「〘ヘヴィー・アーマー〙」
咄嗟にスキルで防御を固めようとした、だが――発動しない。
(どうしてっ⁉)
私の頭は混乱でぐちゃぐちゃになる。
スキルの不発。
こんなことは初めてだ。
「《プロテクト》……ッグ!」
慌てて唱えた身体強化魔法で身を守ったが、受け身も取れず激しく地を転がった。
そのせいで、全身が悲鳴を上げている。
(ヒールを使う? いや、ダメだ、もう魔力が少ない。少しでも温存してリゼットの支援を……でも、どうしてスキルが発動しなかった? もしガービンの攻撃を受ける時に発動できなければ、今度こそ死ぬ!)
脳裏では目まぐるしく戦況を整理しようとする思考と、スキルが不発に終わった動揺で埋め尽くされている。
だが、悠長に考え事をしていられる戦場ではない。
バケモノが、再び私の目前に迫っている。
どうやら、私が相手なら早々に片づけられると判断されてしまったらしい。
屈辱的だが、正しい。
吹き飛ばされてリゼットと分断された今、私は防戦一方のサンドバックでしかない。
(スキルを……ダメだ、ヘヴィー・アーマーは硬直時間がある。回り込まれたら終わる!)
剛腕が振り下ろされる。
私は、スキルを使わず盾で正面から受け止める選択をした。
ゴォンと、鋼同士を打ち合わせたような音が鳴り響く。
盾越しに、私の腕が拉げそうな衝撃。
歯を食いしばって、どうにか耐える。
しかし、地獄は始まったばかりだ。
剛腕の次は、バスターソードによる猛攻が続いた。
技術も何もない、ただ乱暴に、粗雑に振り回されるだけの剣。
それでも、驚異的な肉体から繰り出される連撃は、私の体力をゴリゴリと削った。
「ダラァァアアアア!」
声を張り上げて、必死に受ける。
少しずつ一撃ごとに、身体が押し込まれる。
(盾を離すな! 腰を引くな! 力を抜いたら終わりだ!)
絶望的な状況。
だが、この時、私の頭にある記憶が蘇る。
それは、初めてバルタザール教官と出会った日、ゴーレムの剛腕を日暮れまで耐え続けた日の記憶。
瞬間、私は腰を落とし、盾を持つ手を握り直す。
(持久力なら負けない! こちとら鍛え方が違うんだよ!)
全身の筋肉が、限界を超えて燃え上がる。
その瞬間――鋭い声が戦場を貫いた。
「わたくしを忘れて貰っては困るわよ!」




