第41話 舞台の上で踊る愚者①
進めば進むほどに、瘴気が濃くなっているような気がした。
実際には、そんなことはないのかもしれない。
けれど、虫の知らせというやつだろうか。
何か妙な空気の重さが、私にそう感じさせていた。
ボスフロアの目前までくると、もはやそこに何かがあることは、明白だった。
「前回、私たちが歩いた場所をあえて外して探索したのが裏目に出ましたね」
「全くだわ」
不機嫌そうなリゼット。
彼女としては何も見つけられず、早々にダンジョンから帰りたかったのが本音かもしれない。
この瘴気の中で長居するはそれだけ危険。
明らかに、リスクが高すぎる。
「今ばかりは、あなたの勘が外れていて欲しかった、と言えば、怒られるかしら」
「私も自分で来ておいてですが、この先にいい予感はありませんよ」
目の前には鋼でできた重厚な扉。
ボスフロアの入り口だ。
先日私たちが帰るときには開け放たれていたはずのそれは、今、重く口を閉ざして沈黙している。
入るものを拒絶するように。
「アルミスオークがもう復活していて、中には誰もいない。それが一番嫌なパターンですね」
「おかしなこと言うものではないわ。現実になったらどうするの?」
「逆に、こういうフラグは立たないものですよ」
「ふらぐ?」
「なんでもありません。とにかく中を確認して、奴がいるかどうかだけ確認しましょう」
私たちは扉に手をかざす。
扉の表面には幾何学的な模様が刻まれている。
私たちが手をかざした位置を起点として、その模様に青い光が迸った。
そして、普通の人間の力では、どれだけ押しても開きそうにない扉が、音を立てて動き出す。
その先には――何もいなかった。
いや、何もない。
瘴気すらも。
「平民」
「わかっています」
私たちは、背中を合わせるようにして立つ。
三百六十度、ぐるりと異変を探せるように。
ゆっくりと旋回しながら前に進む。
そこには何もいなかった。
だが、明確な異変だけがある。
「魔法陣が、起動しているわね」
「これ見よがしですね」
思わず苦笑いを浮かべる。
リゼットも眉を顰めていた。
「これまで合計で十七体。アンデッドを浄化したことが、ダンジョンの先へ進む条件を満たした。そういうことですかね?」
「愚者の魂を弔え、だったわね。けれど、どうしてかしら? あの魔法陣を使っても、無事にダンジョンから出られる気がしないわ」
「奇遇ですね、ご主人様。私も同じことを思っていました」
本来であれば青白く光る六芒星の石板は、今、禍々しい血の赤に染まっていた。
まるで、その先の惨劇を暗示するように。
◆
転移魔法陣の光が弾けるように消え、真っ白に染まっていた視界が色彩を取り戻す。
途端に、肌を突き刺すような冷気が全身を包み込み、思わず吐いた息が白く濁った。
眼前に広がるのは、高い絶壁に挟まれた一本道。
崖の間を吹き抜ける風の呻き声だけが響く、まるで巨大な墓標のような谷底だった。
この光景には見覚えがある。
だが、記憶にある十六層とは、まるで違う場所だ。
それでも、私の記憶が正しければ、ここはダンジョンの中であるはず。
――ダンジョン二十五層のボスフロア。
(誰だよ、こんな悪趣味な真似を考えた奴は!)
ボスフロアを抜けた先に、さらなるボスフロアが待ち構えているなんて。
それも、十五層から一気に十層も飛ばして二十五層とは。
私も散々ゲームのシナリオを無視して無茶苦茶してきた自覚はあるが、物事には限度というものがある。
(せめて階層の順番くらいは守りなさいよ!)
内心で毒づきながらも、思考より早く体が動いていた。
即座に盾を構え、リゼットを庇うように半歩前に出る。
「ご主人様、決して私の後ろから出ないでください」
リゼットから返事はない。
だが、背後で彼女が静かに頷いた気配が伝わってきた。
息を殺し、神経を研ぎ澄ませるが、このフロアの主であるはずの巨大な鳥の影も鳴き声もどこにもない。
嵐の前の静けさが、逆に心臓を鷲掴みにする。
じっとりとした嫌な汗が、こめかみを伝った。
耳が痛くなるほどの静寂の中、ジリッと後方から地面を擦る音がした。
その瞬間、私たちの背後を襲ったのはモンスターではなかった。
「死ね、リゼット・ベルナール!」
殺意そのものが音になったかのような絶叫。
そのねっとりと粘つくような響きに、脳裏をよぎる顔があった。
――いつか私が見捨ててしまった、あの愚者の顔だ。
「〘グリッド・スラッシュ〙!」
岩陰から現れた存在が、リゼットの背へ魔手を伸ばす。
私が咄嗟に選んだのは、身体強化魔法ではなく、スキルの即時発動だった。
後方へ振り向き、地を砕く勢いで踏み込む。
剛剣と盾が衝突する寸前、私は叫んだ。
「〘ヘヴィー・アーマー〙!」
叫びと同時に、盾と全身にベールのような障壁が展開される。
直後、鼓膜を劈く轟音と、激しい衝撃が全身を襲った。
バスターソードから放たれた四連撃が私の盾に激突し、火花が滝のように迸る。
一撃でも防ぎ損ねれば即死。
そんな確信が、肌を粟立たせた。
しかし、私の足は床に縫い付けられたかのように微動だにしない。
その猛攻をけたたましい金属音と共に、真正面から受け止めてみせた。
「……な、なんだと?」
奇襲をかけた犯人――その濁りきった瞳と、憎悪に歪む口元を見て、私は息を呑んだ。
ガービン。
彼の成れの果てとでも言うべき、悍しい化物がそこにいた。




