第40話 衰弱
ダンジョンに潜って、どれほどの時間が経ったのか。
時計のないこの場所では、頼りになるのは体内時計だけだ。
それでも――朝から潜って、すでに半日以上は過ぎているだろう。
ジワジワと、着実に体力が削られていく。
肺の奥に重く残る湿った空気が、呼吸をするたびに身体の芯を鈍く蝕んでいくようだった。
その上、全身にまとわりつくような瘴気の気配。
まるで、見えない手で肌を撫で回されているような不快感が離れない。
(……この瘴気はいったいなんだ? 今さらだけど、何がどうしてこんなことに?)
「はぁ……」
隣で、リゼットが大きく息を吐く。
彼女は私よりも前線で戦い続けている分、体力の消耗も激しいはずだ。
いつもなら、私の身体強化の魔法を受けて戦っている。
だが今は、アンデッド対策の回復魔法に魔力を回すため、強化の支援を切っている。
それが、彼女の疲労に拍車をかけているのだろう。
「ご主人様、回復魔法をかけますか?」
「やめなさい。傷を負ったわけでもないのだから」
「疲労回復も、大事ですけどね」
手を振って制するリゼット。
どうやら、本気で私に魔力を使わせるつもりはないらしい。
「しかし、これだけ歩き回っても、まだ殿下たちは見つかりませんね」
「十五層は広いもの。……まだ、全体の半分も探索できていないでしょう」
リゼットの言葉に、私は曖昧に頷く。
十五層すべてを回るなら、丸一日かかるだろう。
もはや慣れた十五層の探索とはいえ、消耗は隠せない。
「教官との訓練を経験してなければ、根を上げていたところですよ」
「そうかもしれないわね」
軽口を交わしながらも、声に覇気がない。
沈黙を恐れて、無理やり会話を続けているような感覚だった。
(……おかしいな)
そこでようやく、自分の異変に気づく。
たしかに戦闘続きとはいえ、これほどの疲労感は異常だ。
教官との地獄のような訓練に比べれば、今の戦いなど楽なはずなのに。
(なのに今の私は――あの時より体が、重い? 鈍い?)
それに、思考がぼやけている。
まるで頭の奥で霧が立ち込めているような――。
その瞬間、私は反射的に魔法を発動する。
まずリゼットに、それから自分へ。
「《キュア》! もういっちょ、《キュア》!」
光が瞬き、私たちを包み込む。
淡い金光が霧を吹き飛ばすように、肌を撫でていった。
リゼットは、指示を無視して魔法を使った私へ、最初、むっとした顔をしたが――すぐに息を呑む。
瞳が細まり、周囲を見回した。
「……どうやらこの瘴気、ただ臭いだけではないみたいね」
「随分気づくのが遅れました。すみません」
「いいえ、よくやったわ。流石よ、平民」
その声からは、先ほどまでの疲労感が消えている。
どうやら私たちは、知らぬ間にプリブスでいうところの『衰弱状態』になっていたらしい。
この世界では毒を食らおうが、火傷を負おうが、ゲームのように、分かりやすく状態異常にかかったマークが表示されるわけではない。
だから、気づくのが遅れてしまった。
(衰弱状態になる瘴気。ゲームならもっと後半の階層で出てくるものだ)
「本当に、厄介なことになっていますね」
「ええ。いつから自分が調子を崩していたのかも曖昧だわ」
リゼットは口元を手で覆い、少しでも瘴気を吸い込まないようにしている。
「短時間で突然に発症するというよりも、時間をかけてジワジワと身体を蝕まれる感じですね」
「長居するほどに体力が奪われ、思考力も鈍っていく。平民、もしかすると……」
「ええ、おそらくは」
私とリゼットは頷き合う。
(要するに、シャルルたちは瘴気の影響で動けなくなっているわけだ)
「しかし、そうなるといよいよ殿下たちの救出は絶望的かしら」
「彼らは回復魔法師を三人も連れてました。命だけは繋ぎ止めているかもしれない」
「あの状態を放置していれば、わたくしたちは直に体の自由を失っていたわ。ダンジョン内部でそんなことになれば、モンスターにあっさり殺されて終わりよ」
リゼットは、もうシャルルたちの救出は不可能と結論づけようとしている。
冷たいようだが、妥当な見解だ。
しかし、それでも私は簡単に諦めるわけにいかない。
いくら嫌っている相手でも、死なれるのは寝覚めが悪い。
それに何より、リゼットにかけられている冤罪を解消しなければならない。
(頼むから生き証人として仕事をしてくれ)
「平民、薄情と思うかもしれないけれど、わたくしはこれ以上の探索は危険と判断するわ。少なくとも、今日のところはね」
「薄情だなんて思いませんよ。私の魔力残量が最大の懸念事項ですね?」
「わかっているなら帰るわよ」
首を振って彼女の指示を拒否する。
リゼットは怒らない。
けれど、困ったよう頬に手を添えた。
我儘な子に手を焼くお姉さんのような仕草。
平時ならば珍しいポーズに大興奮するところだ。
「一箇所だけどうしても立ち寄りたい場所があります」
「あまり余裕はないわよ」
「はい、あてが外れたら諦めて今日のところは帰りましょう」
私も、ダンジョンをそこまで甘く見ていない。
衰弱状態、それにシャルルたちの未熟なパーティーで生き残るのは難しい話だ。
それでも、一縷の望みはある。
「いいわ……何処に行くの?」
「アルミスオークを倒した、魔法陣が有るフロアですよ」
ボスモンスターはいずれリポップする。
だが、まだ私たちがボスを討伐してから三日。
今のボスフロアは、このダンジョン内部で唯一モンスターのいない安全地帯になっているはずだ。




