外伝-東まゆみ-(後編)
花火が終わると直たちはすぐに屋上をあとにした。
智恵に断りを入れて先に帰らせてもらう。
直と家の方向は一緒だ。上手くすれば一緒に帰れるかもしれない。
同じエレベーターに乗って一階に降りる。
エレベーターを降りて一番最後から降りて行くと、直は家とは違う方向に歩みを進めている。
思わず声をかけてしまった。
「直? 帰らないの?」
「こいつら駅まで送ってから帰る」
直が振り返って言った。
それは想定に入っていなかった。ショックを受けながら家に向けて歩き出す。
わたしの家の方向の友達はいなかった。
今はひとりでいたい気分だったからちょうどいい。
うしろから直に呼ばれた。
「まゆみ!」
失いかけた希望が胸を過る。
振り返ると直がこちらに向かって手を上げていた。
嬉しさを超えて泣きそうになる。
「送るよ。ひとりで帰るのは危ないから」
きっと悠里ちゃんか拓也くんが言ってくれたのだろう。心の中で感謝する。
「ありがとう」
「おう。帰ろうぜ」
わたしたちは並んで歩きだした。直を見上げる。
こうして並んで歩くのはいつぶりだろうか。
春休みに一緒に出かけた時が最後だと思うから五ヵ月ぶりくらいだ。
二人だけで話すのも数カ月ぶりのような気がする。
先程までの沈んだ気持ちがほっこりとした。
「こうして一緒に歩くの久しぶりだね」
「そうだっけ?
そういえば高校が別になってからあまりまゆと会えてないもんな。
……春休みに映画行った時が最後だっけ?」
直が思い出すように記憶を探りながら言った。
わたしはその時のことを思い出して笑う。
「直ってば映画の途中で寝るんだもん」
「お前がどうしても観たいからついてきてって言ったんだろ?
俺は恋愛映画とか興味ないし。
もっとこうかっこいいさ、恐竜とかロボットとか」
「言い方が子供だよね」
「う、うるさいな」
直が恥ずかしそうに頭をかいている。
暗くてよく分からないが、きっと顔は赤いのだろう。
可愛くてくすくすと笑うと、直はむくれてしまった。
「高校は楽しい?」
「楽しいよ。健臣が一緒だし、拓也と真子ちゃんと悠里もいるし。
まぁ、悠里にはよく怒られるけど」
直の口から悠里ちゃんの名前が出てきてどきっとする。
「そう、なんだ。直が女の子と一緒にいるの珍しいね」
「そうだな。中学の時は男とばっかりつるんでたもんな。
真子ちゃん――健臣の彼女と健臣が仲良くなって、健臣と仲のよかった俺と拓也、真子ちゃんと仲のいい悠里が自然と一緒にいるようになったんだ。
健臣と真子ちゃんがつきあいだしたのは最近なんだけどな」
そう言った直の横顔はどこか寂しそうだった。
直のことをよく知るわたしはその顔でピンと来るものがあった。
「まさか、直、真子ちゃんのこと……」
「はぁ? い、いきなりなんだよ」
「だって顔に書いてあるよ。『ふられちゃったぜ』『傷心だぜ』って」
「か、書いてねぇよ!」
直は慌てて言った。困ったように頭をかいている。
「ぺろっちゃいなよ」
「なに?」
「『白状しな』ってこと」
直はおかしそうに笑った。
「そんな言い方、まゆくらいしかしねぇよ」
「するよ。うちの高校で流行ってるもん」
直は「へぇ」と苦笑した。どうやら直には不評らしい。
しかしまさかマークしていた悠里ちゃんではなく、今日会ったばかりの真子ちゃんのことが好きだったとは。
しかも真子ちゃんは健臣の彼女だ。
最近つきあったばかりということは直の心中はさぞ複雑なことだろう。
「そんな同情した顔しないでくれる? 俺はもうなんとも思ってないし」
「そうなの?」
「うん。俺が真子ちゃんと仲良くなったのは、健臣と真子ちゃんが仲良くなってからだしな。二人が一緒にいるのを見てるとしっくりくるからこれでよかったんだと思う」
「なんだ」
「『なんだ』ってなんだよ。俺が落ち込んでなくて残念みたいな言い方!」
もちろん直が落ち込んでいないことに安心した。
それと同時にいつかみた少女漫画の展開が浮かんだ。
失恋した相手を励ましている内にお互いに好意を持つというやつだ。
そしたらそっけない返事になってしまった。
機嫌を曲げてしまった直に慌てて言い繕う。
「やだなぁ。そんなことないよ。……今は好きな人いないの?」
直は夜空を見上げて少し考える。
「今はいないなぁ」
「そっか。……悠里ちゃんは?」
直はぽかんとした顔でわたしを見た。
なんだその顔は。バカ丸出しじゃないか。
「悠里? 悠里がどうしたって? なんで悠里?」
「落ち着いてよ。悠里ちゃんのことは呼び捨てだから仲いいのかなぁって」
「んー。悠里はモテるよ。悠里と仲良くなってから他の男子から『豊川さんって彼氏いるの?』とか『どんな人がタイプ?』って聞かれる」
「うん、うん。悠里ちゃんはモテそう! モデルさんみたいに綺麗だし、なにより今日の悠里ちゃんはかっこよかった」
さっきのことを思い出して興奮する。
直が苦笑した。
「まぁな。でも止める方としてはすごい大変。
悠里は口より先に手が出るからな。時々、足まで出てくる。
学校では『綺麗だけど怖い』って言われてる」
直は楽しそうに話した。わたしは笑ったが、上手く笑えたかは分からない。
直がそんな顔で女の子の話をしたことがあっただろうか。
やっぱりわたしの最大のライバルは悠里ちゃんだ。
きっとこのままでは直はわたしのことをただの幼馴染の友達としかみてくれない。
それでいいと思ったこともあった。
だけどそれでもし直に彼女ができた時、果たしてわたしは後悔をしないだろうか。
なにも言わず友達として甘んじていて、その時が来たらいつも通り直と接することができるのだろうか。
答えは否だ。きっとわたしは告白しなかったことを後悔するに違いない。
気がつけば家はもう目の前だった。
わたしは直の服の裾を掴んで立ち止る。直が不思議そうに振り返った。
胸がどきどきする。手が震えるのが分かる。
それでもわたしはうつむきそうになる顔を必死に上げて想いを言葉に乗せた。
「直。わたし、直が好きだよ。小さい頃からずっと好きだったの」
わたしは直の顔を伺うように見る。
直は驚いたようだった。唐突だから仕方ない。
少しの間が重くのしかかる。
驚いたように見開かれていた直の瞳が少しだけ寂しそうに揺れた。
その時、分かった。その瞳の意味は言われなくても分かる。
ずっと直と一緒にいたのだから。
わたしは直の前にいることが耐えられなくて小走りで家に向かった。静かな住宅街に下駄特有の足音が響く。
「まゆ!」
直の呼ぶ声が聞こえたが振り返らなかった。
いや、振り返ることができなかった。
夏祭りの日から二日が経った。あれから直と会ってはいない。連絡もない。
わたしはいつものように部活を終え、智恵とともに駅前のファミレスでお茶をしていた。
「やっぱり言うんじゃなかったよぉ」
あれからずっと後悔ばかりだ。
あの時の直の寂しそうな顔が脳裏をちらつく。
「逃げないで返事聞けばよかったのに」
たしかにあの場で返事を聞いていれば、今頃はすっきりしていたかもしれない。
ストローを咥えながらうなだれた。
智恵が言葉を続ける。
「まゆはすごいよ。だってずっと児島君のことを一途に想って告白したんだもん。うん、すごいと思う。勇気出して児島君と話してみたら?」
あの時、告白したのはこのままではいけないと思ったからだ。
なのに結局は逃げてしまった。
直は今頃なにを考えているのだろう。
わたしの勝手で振り回してしまっている。悩んでいるのだろうか。
わたしはちゃんと向き合わなければならないのだろう。
このまま直と話せなくなるのは本意ではないのだから。
「そうだね」
わたしは覚悟を決めた。
わたしと智恵はファミレスを出た。
強い日差しが降り注ぎ、足元には濃い影がある。
智恵とともに公園を通り、マンションの前にある公園の入口で足を止めた。
「少しここで待ってる」
智恵がこちらを見た。その顔は少し心配そうだ。
「でも児島君が常盤君の家にいるか分からないのに。
それにいたとしてもタイミングよく出てくるかも分からないよ。
ちゃんと連絡して会った方がいいんじゃないかな?」
「でもなんて連絡したらいいか分からないから。
家に帰ったらまた悩んじゃいそうだし」
「一緒に待ってようか?」
「大丈夫。少しして会えなかったら帰るから」
「そう?」
「うん。また明日ね」
手を振ると、智恵はうなずいてから帰って行った。
心配をかけてしまっている。申し訳なく思いながら智恵を見送った。
公園の入口近くにある木陰で待つことにした。
ここからならマンションの入口もよく見える。
公園では小学生くらいの男の子たちが遊んでいた。
わたしたちが小さい頃もよくこの公園で遊んでいた。
懐かしく思いながらその様子を眺める。
十分が過ぎてあと五分と思い、十五分が過ぎてまたあと五分と思った。
木陰といえ夏の炎天下だ。三十分待って会えなかったら一度帰ろう。
そんなことを考えていたら直の声が聞こえた。
小さな声だったが「まゆ?」とはっきりと聞こえた。
道路を挟んだ向こう側――マンションの前に彼はいた。
直の顔を見て笑みが浮かぶ。
しかしその隣には悠里ちゃんが一緒にいて不安な気持ちが蘇った。
最近直と会うたびに、その傍らには彼女がいる。
直が道路を小走りで渡ってきた。いつもの直だ。少しだけほっとする。
「ここにいたら直に会えるかなって思って」
「いつからいたの? 連絡くれればよかったのに」
連絡できなかったとは言えずに笑ってごまかす。
隣にいる悠里ちゃんに視線を向けた。
「悠里ちゃん、こんにちは」
「……こんにちは」
悠里ちゃんは不思議そうにわたしを見ていた。
それはそうだろう。こんなところで待っていたのだから。
直をもう一度見た。直の表情は少しだけ固い。気持ちが揺らぐ。
でもそれではだめだ。もう逃げないと決めたのだから。
「直、少しだけ話せる?」
「……これから悠里を送るところなんだ。あとでもいい?」
直が視線を逸らした。
頭をなにかで殴られたような衝撃が走る。
わたしがここに来た理由は直も分かっているはずだ。
しかし直のことを考えずに押しかけてしまった。
迷惑だったに違いない。直にも都合があるのに。
なんでわたしはこう考えが足りないのだろう。
自然と視線が足元に向いて行く。
「あんたはアイスを買いに行くんでしょ?
わたしはひとりで駅まで行けるから。じゃあね」
悠里ちゃんがそう言った。
わたしは慌てて顔を上げる。
悠里ちゃんはすでに駅に向かって歩き出していた。
彼女にまで気を遣わせてしまった。
「わりぃな、悠里。また明日」
「悠里ちゃん、ごめんね!」
直とわたしは、慌てて悠里ちゃんの背中に声をかけた。
すると彼女は振り返ることなく、右手を振ってくれた。
わたしたちは悠里ちゃんの背中を見送る。
先に口を開いたのは直だった。
「もう話してくれないかと思ってた」
わたしは悠里ちゃんの背中から直に視線を移す。
直は笑顔を無理に浮かべているように見える。こんな笑顔ははじめて見た。
直が言葉をつけたす。
「この間――夏祭りの日、まゆが走って帰っちゃったから」
「あ、あの日はごめんね」
気まずくて直の顔が見られない。誤魔化すように髪を耳にかけた。
そうだ。直は能天気そうに見えて、実は繊細なところがある。
気にしていても相手を気遣って態度に出せないのだ。
周囲にそう言った様子を見せないから知っている人は少ないだろう。
わたしはちゃんと知っていたのに、きっと直を不安にさせていた。
わたしは深呼吸をしてから言う。
「あの日の返事をちゃんと聞かせてほしいの」
直は少し間を空けてからうなずいた。
「……まゆとは気がついたら一緒にいて、小さい頃はいつも俺のうしろに隠れてたよな。守ってやらなくちゃって思ってた。
大切な存在だと思ってるし、一緒にいると楽しい。まゆのこと『すき』だけど、つきあうっていうのとは少し違うと思う。
ごめんな、まゆ」
うつむきながら言葉を選ぶようにゆっくりと話してくれた。
泣きそうになるのをこらえて笑顔を浮かべる。
「ありがとう、直。ちゃんと考えてくれて」
直は寂しそうに笑っている。直が後ろめたさを感じる必要はないのに。
わたしは言葉を続ける。
「これからもわたしたち友達だよね?」
「当たり前だろ! なに言ってるんだよ」
直はそう少し怒ったように言った。
今日はじめて直らしい直を見たような気がする。
わたしもやっと意識しないで笑顔が浮かんだ。
「うん。じゃあ、わたし帰るね。
悠里ちゃんにもありがとうって言っておいて」
「わかった。じゃあまたな」
次に会う時はきっといつものように軽口を叩ける二人に戻れている。
それだけは確信できる。
直は駅の方に向かって走って行った。
悠里ちゃんを追いかけるつもりなのだろう。
直が悠里ちゃんに好意を抱くのは時間の問題のような気がする。
直の好きなタイプとは違う。でもひとつだけ共通点がある。
瞳に魅力のある子。さらに直の素直さの弊害である思ったことをすぐに口にする癖を笑って許してくれる子だと惹かれるようだ。
悠里ちゃんはそんな直を窘めた上で最後にはちゃんと許してくれそうだ。
そうでなければきっとこうしていつも一緒に集まっていることはないだろうから。
わたしは公園をあとにした。
ふられてしまったが、どこかすっきりとした気分。
直がふったことを後悔するようないい女になってやる。
そう新たな目標を立てた。まずは髪型でも変えてみよう。
そう思いながら家に向けて歩き出す。
すると前から見覚えのある顔が歩いてきた。井上尋だ。
尋の家はこの辺りではない。
駅前で会うことはあっても住宅街の方で会うとは珍しい。
「まゆじゃん」
「尋、こんなところでどうしたの?」
「この辺を歩いてれば姐さんに会えるかなって」
「悠里ちゃん? さっき帰ったよ」
そう言うと、尋はあからさまに顔を歪めた。
せっかく綺麗な顔をしているのだから、わざわざそんな怖い顔をしなければいいのに。
しかし尋もわたしと同じ考えだったというわけか。
わたしも公園にいれば直に会えるだろうと思って待っていた。
思考が似ているのだろうか。ちょっと嫌だ。
わたしがそんなことを考えているとは知らずに尋がにやにやとしながら言う。
「やっぱりS女子の制服は可愛いなぁ。学校帰り?
でもまゆの家ってこっちじゃないよね?」
「まぁね。直とそこの公園で会ってたから」
「……直となにかあった?」
なぜ分かったのだろう。
「だってまゆは直と会うとすっごく嬉しそうな顔するのに、今日はなんか……そう、泣きそうな顔してるよ」
わたしは頬に手を添える。そんな顔をしてるのだろうか。
気持ちはすっきりとしているのに。
尋の言葉がじわじわと胸を浸食し、それと同時に強がっていた気持ちが解けていく。
堪えられずに涙が出た。
「送るよ」
尋はそう言って泣いているわたしの手をとって歩き出した。
泣いている女の子を連れている男の子。
すれ違う人がちらっと視線を向けてくるのが分かった。
けれど尋は気にした様子もなく、わたしの歩調に合わせてくれる。
尋が女の子から人気のある理由が少しだけ分かったような気がした。
結局、尋は家に着くまで泣いている理由を聞くことはなかった。
わたしの家の前で尋は笑顔で「またね」と言って帰って行く。
たしか彼の家は駅の反対側だった。ここからだと一時間ほど歩くだろう。
尋に感謝の言葉も伝えずに別れてしまった。
今度会ったらちゃんと伝えよう。
それから部屋で涙が枯れるまで泣いた。
こうしてわたしの初恋は終わった。
新しい恋が意外と近くにあることなど、この頃のわたしは知るすべもない。それはまた別のお話。




