外伝-東まゆみ-(前編)
『オオカミ少女の恋物語』の前半部分を東まゆみの視点で描きます。
わたしと児島直はいわゆる幼馴染である。
わたしたちのお母さんは同じ産婦人科に通っていた縁で知り合ったそうだ。
出産予定日が近く、すぐに意気投合したらしい。
出産してからは家が近所であったこともあり、今でもお互いの家を行ききするほど仲がいい。
つまり、わたしたちは生まれる前から一緒にいたのだ。
幼稚園に通っていた頃のわたしは引っ込み思案だった。
いつも直の背中に隠れていた。
この頃のわたしたちは、お母さん曰く『相思相愛』だったらしい。
わたしが直に「すき」と言うと、直も「ぼくもすき」と言う。
そしてぎゅっとハグをするのだ。
それをお母さんたちは微笑ましげに見ていたと言う。
その時の『すき』はきっと親愛の『好き』だった。
わたしが直のことを男の子として『好き』と意識したのは、たぶん小学二年生の時。
この頃になるとわたしは女の子の友達と一緒にいることが多くなった。
話題は『好きな人』のこと。
そういう話になるとすぐに直の顔が頭に浮かんだし、いつか直と結婚するのだと勝手に思っていた。
なのに、直は同じクラスの秋元梨恵子のことが好きらしいと友達から教えてもらった。
それがショックで、いてもたってもいられなくて、直に直接聞いたことがあった。
あれは学校帰りのことだっただろうか。
「りえちゃんのこと好きってほんと?」
そう不躾に尋ねると、直は真っ赤な顔をしてうつむいてしまった。
それを見て、はじめて嫉妬と言う醜い感情を覚えた。
直も同じように思ってくれているとばかり思っていたのに。
そう思って悲しくて涙が溢れた。
「なんで泣いてるの?」
直が困った顔をしながらハンカチでわたしの顔を拭ってくれた。
「だってわたしは直のことが好きなのに」
「ぼくもまゆのことがすきだよ」
直がにこっと笑ってそう言った。
同じ言葉なのに『好き』に含まれている意味が違う。
幼いながらにそう感じた。
これがわたしにとって初めての失恋だったのだと思う。
小学校の高学年になる頃には『好き』という言葉に重みが増して、その言葉を口にすることに恥じらいを覚えるようになった。
その頃には直の一番の友達を常盤健臣に取られた。
でも、女の子の中で一番仲がいいのはわたしだと自負していたし、友達から
「児島君にはまゆちゃんがいるもんね」
と冷やかされることも多かった。
だから、直が他の子を好きになるということに不安を覚えても、誰かに直をとられるという不安はまだあまりなかったと思う。
中学に上がると周りがより恋愛ごとで溢れた。
友達に彼氏ができたという話題が増えてきた。
今までは漠然と直が好きだったけど、いつかわたしも直とそういう関係になりたいと思うようになった。
けど、わたしと直の関係は変わらなかった。
なんでも話すし、休日に一緒にでかけたりすることがよくあった。
しかし甘い雰囲気など微塵もなかった。
その頃にはもう一度告白しようかとも考えたこともある。
――友達からは低学年の告白は回数には入らないと言われるけど、わたしにとってはあれも勇気のいることではあったのであれも告白だ。
でも、直のわたしに対する『すき』という感情は、どうみたって友情のそれだ。
玉砕覚悟の告白は幼馴染のわたしたちの関係も一緒に崩してしまう。
直の一番の女友達の座だけはどうしても死守したい。
その気持ちが邪魔をして中学時代も片想いで終わってしまった。
ちなみに直も彼女ができたことはない。
それもわたしを守備から攻勢に移らせなかった一因でもある。
ただ、誤算だったのは直が志望校をF高校にしたこと。中間ランクの高校だ。
わたしも直に合わせるようにF高校を志望した。
わたしはF高校はぎりぎりだったけれど、第一希望の高校としては妥当な線だったと思う。
対して直は当時の担任から『冒険すぎる』と言われ、何度もランクを下げるように言われた。
わたしも直が受かるとは正直思っていなかった。
だから第二希望も直が受ける私立と同じにした。
第三希望は親の希望もあってS女子高校を一応入れておいた。
それなのに直は受かって、わたしは落ちた。
すんごく落ち込んで、もう起き上がれないんじゃないかと思った。
直と一緒に落ちていたらここまでは落ち込まなかっただろう。
一緒の学校に行けないことが絶望に拍車をかけた。
しかし、人間とは不思議なもので――というか、わたしがポジティブなのかもしれないが、もしやこれはチャンスかもしれないと考え方が変わったのだ。
直と距離を置くことで関係が変わるかもしれない。
わたしの大切さに気がつくかもしれない。
家も近いし、会えなくなるわけではないのだから。
わたしは親の薦めもあって私立のS女子高校に進むことにした。
「――そう思ったのに、寂しく思ってるのはわたしだけ? すれ違ってばかりで直と全然会えないし!」
「まぁ、まぁ。落ち着いてよ、まゆ」
わたしは中学時代からの同級生である山中智恵と一緒に駅前のファミレスにいた。
今は夏休みだが、所属している合唱部の練習があって登校していた。
その帰りに寄ったのでセーラー服のままだ。
S女子高校の制服はこの辺りで一番可愛いと言われていて、わたしも気に入っている。
「落ち着けないよ。もう数か月も会ってないもん」
ストローを咥えたままテーブルに突っ伏した。そんなわたしに智恵が言う。
「でも、羨ましいな。一途に想える人がいて。
わたしはまだそういう人いないから」
「そうかなぁ。片想いもつらいよ?」
智恵がくすくすと可愛らしく笑った。おっとりとした智恵は聞き上手でなんでも話してしまう。
「まゆ、そろそろ出る? うち寄ってくんでしょ?」
「ああ、そうだ。漫画本借りるんだった」
智恵に促されるようにしてファミレスをあとにした。
智恵の家に向かうために駅前にある公園を抜けて行く。
駅側から公園に入ると大きな池がある。
それに沿うようにして遊歩道が整備されていた。
時間はもうすぐ五時になる。とはいえ夏のこの時間はまだ明るかった。
わたしたちが遊歩道を歩いていると正面に人影が見えた。
まだまだ遠いがひとりは誰かすぐに分かった。
「あ、直だぁ!」
「え? どこ? ――ああ、もしかしてあれ? よく見えるね」
智恵が感心したように言った。
わたしは嬉しくなって駆けて行く。そして右手を上げて振った。
「直じゃーん!」
「よう、まゆみじゃん。智恵ちゃんも久しぶり」
そう言った直はあいかわらず幼さを残した笑顔を浮かべている。
「こんなところでどうしたの? 直んちこっちじゃないでしょ?」
そう尋ねると、直は公園の傍にあるマンションを振り返った。
「健臣んちに行ってたんだよ。あいつ怪我してさ」
「ああ、聞いた、聞いた。駅の近くで事故にあったって。大丈夫なの?」
「うん。けど右腕を怪我しててさ。なぁーんもできねぇの」
直の言い方がおかしくて笑ってしまう。
「健臣も大変だよね。直に世話されるなんて余計に怪我しそう。ね、智恵」
智恵を振り返りながら言った。智恵は笑いながらうなずいている。
「な、なんだよ。智恵ちゃんまで! 俺だって役に立ってるんだからな!」
「とはいえ、ほとんど真子ちゃんがお世話してるけどね。
直は遊びに来てるだけ」
そう言ったのは直と一緒にいた男の子だ。爽やかな笑みを浮かべている。
「そんなことねぇよ!」
直が必死に抵抗しているのがおかしくて声を上げて笑った。
目尻に溜まった涙を拭う。
「そんなことだろうと思った。せいぜい健臣に迷惑かけないようにね。
――で、そちらは?」
「ああ、こいつは篠原拓也。で、こっちが豊川悠里さん。同じ高校の友達」
「東まゆみです。で、この子は山中智恵。
わたしたちは直と中学が一緒だったの」
そしてずっと気になっていた直と一緒にいる女の子――悠里ちゃんに視線を向けた。
綺麗な子だ。背が高くて、意志の強そうな瞳。モデルみたいだ。
こんな子が直の近くにいると知って不安になる。
「もしかして……直の彼女さん?」
「まさか。違うけど」
悠里ちゃんは心外そうな顔ではっきりと言った。ほっと胸を撫で下ろす。
よくよく考えれば直はおとなしそうな、おっとりとした子がタイプだった。
悠里ちゃんとはタイプが違う。
「だよねぇ。直にこんな綺麗な彼女さんがいるわけないもの」
「なんだよ、まゆ。その言い方」
直がむくれたように言った。
その様子が幼い頃の直と被って見えて笑みが浮かぶ。
「ごめん、ごめん。――そろそろ行くね。じゃあね、拓也くん、悠里ちゃん」
笑顔で手を振る。
わざと直の名前は入れなかった。
直のむくれた顔が可愛くてつい意地悪してしまう。
直はむくれた表情のままこちらを見ていた。
しばらく歩いて直たちの姿が見えなくなったことを確認して、緩む頬に手を添えた。
「ああ、直に会ったの久しぶりすぎて嬉しいよぉ」
智恵がそれを見て笑っている。
直の顔を一目見ただけで嬉しくなる。世界がとても輝いて見えるのだ。
それから一カ月が経った頃、地元のお祭りがあった。
毎年、わたしと直はそれぞれ別の友達と行く。
公園の前にあるマンションの屋上で直たちと合流し、それから一緒に花火を見るのだ。
今年もわたしは智恵と一緒に屋上で花火がはじまるのを待っていた。
今年は気合を入れてきた。いつもは着ない浴衣を着て、髪も結い上げている。
直がくるのを今か今かと待っていると屋上の扉が開いた。
健臣だ。それに続いてはじめて見る女の子。その次にこの間直と一緒にいた男の子――たしか拓也くんと、直がいた。そして悠里ちゃんも一緒にいる。
直は振り返りながら悠里ちゃんと話している。
悠里ちゃんも浴衣姿だ。黒い浴衣に紫の帯を締めていて大人っぽい。
わたしは迷うことなく直の元に駆けて行く。
「あ、直だぁ。健臣もいる! 久しぶりー!」
「よう、まゆ。久しぶり」
健臣が言った。
わたしは健臣の姿を眺める。
七月の終わりに事故に遭ったと言うがもう大丈夫なのだろうか。
「怪我はもういいの?」
「もう治った。この通り」
健臣は右腕を動かしながら笑みを浮かべている。
大きな怪我はなかったようでよかった。ほっと胸を撫で下ろす。
今度は悠里ちゃんと拓也君に顔を向ける。
先日、直から名前を聞いていたが一度会っただけだ。
覚えている名前であっているか少し不安だ。
「えっと、直のお友達の悠里ちゃんと拓也くんだよね?」
「うん。こんばんは、まゆみちゃん」
拓也が爽やかな笑顔を浮かべてくれた。
ほっとした気持ちから笑みが浮かぶ。
あとひとり、見覚えのない子がいた。
こちらの子も浴衣を着て、髪を結い上げている。
綺麗な二重の瞳は少しだけ目尻が上がっているが、きついイメージはない。
「えっと……はじめまして、かな?」
その子は小さくうなずいた。子猫のような瞳に緊張感が浮かんでいる。
人見知りなのかなと思っていると健臣がその子の手を掴んだ。
「森野真子だよ。俺の彼女」
健臣が笑みを浮かべて少しだけ照れくさそうに紹介した。
それを聞いてわたしは一気にテンションが上がる。
中学時代から直と同じくあまり恋愛と縁のないイメージだった健臣に彼女ができた。
しかもこんなに可愛い女の子。幼馴染としては嬉しい報告だ。
わたしは振り返って屋上にいる元同級生たちを見た。
「みんなぁ、健臣が彼女連れてきたぁ!」
そう言うと、みんながこっちを向いて固まった。しんと静まり返る。
しかしそれも一瞬で騒々しくなった。
みんなが駆け寄ってきて健臣と真子ちゃんを取り囲む。
「群がるな!」
健臣はそう叫んで真子ちゃんを庇うようにうしろに隠した。
取り囲んでいる内の誰か――たぶん宮地幸成が言った。
「えっと、もしかして直も彼女連れてきたとか言わないよね……?」
「ありえないんだけど」
間髪いれずに悠里ちゃんが言った。腕を組んで幸成を睨む。
直が悠里ちゃんの顔を見て目を丸くしていた。
そのやりとりがおかしくて笑う。みんなも笑っていた。
またどこかから直を冷やかす声が飛んでくる。
「ありえないって! ドンマイだな、直」
「うるせぇな。ほっとけよ!」
直が真っ赤になりながら叫んでいた。直はいつもこういう役回りばかりだ。
わたしはそこから抜け出して遠巻きに見ていた智恵の元へ行く。
智恵は涼しそうな花柄のワンピースを着ている。
離れたところにいる直をそっと見る。
直は悠里ちゃんと拓也君と一緒に夜空に目を向けていた。
直がにっと笑って悠里ちゃんを見ている。
いつもならあそこにいるのはわたしなのに。
嫌な気持ちが沸き上がってきてそっと視線を逸らした。
しばらくするといつの間にか悠里ちゃんたちの傍を離れて他の友達のところにいた直が話しかけてきた。
「まゆが浴衣なんて珍しいな」
わたしは複雑な気持ちを隠して笑みを浮かべる。浴衣の袖を持って広げた。
「ちょっとね。可愛いでしょ?」
「可愛い、可愛い。というか自分で言っちゃうのがまゆだよな」
「あー! バカにしてる」
「してない、してない。可愛い、可愛い」
「心がこもってない!」
そうむくれながら言う。
直がにっと笑った。やっぱりこの笑顔が好きだ。
ふと直の背後に視線が向いた。井上尋が悠里ちゃんに話しかけていたのだ。
尋は中学時代からかっこいいと人気があった。
綺麗な顔立ちと気さくな性格ゆえだ。
しかし中学を卒業する少し前からあまりいい噂を聞かなくなった。
高校に進学してからは特に。色々な女の子に声をかけているらしい。
モテるからと天狗になっていると誰かが苦々しく言っていた。
また尋の悪い病気が出た。悠里ちゃんのことが少し心配になる。
「まゆ? 怖い顔してどうした?」
直にそう言われて少しショックを受ける。
感情がすぐに顔に出てしまうのはわたしの悪い癖だ。
そして直は思ったことをすぐ口にするのが悪い癖だと思う。
言いたいことは山ほどあったが今は悠里ちゃんのことだ。
なので直の失言は水に流してあげよう。
わたしは直に少し近づいて小声で言う。
「尋が悠里ちゃんに声をかけてる」
すると隣にいた智恵が先に反応した。
「ほんとだ。そういえば井上君、うちの高校の子とも揉めたみたい。
夏休みの前に相談受けたんだ」
「聞いたことある。二組の飯尾さんだっけ?」
「そうそう」
智恵が苦笑を浮かべている。
直は振り返って悠里ちゃんと尋を見ていた。
尋は楽しそうにしているが、悠里ちゃんはつまらなそうに足元を見ている。
「しょうがねぇな」
直がぼそっと言って、悠里ちゃんたちの方を歩きだした。
言葉は悪かったが、直の表情はどこか優しかった。
きっとそれは悠里ちゃんに向けられたものだ。
直は少し早足で悠里ちゃんの傍に近づいて行く。
悠里ちゃんを庇うように横にしゃがんだ。なにか話しているようだ。
すると尋が遠目でも分かるくらい顔を歪めた。
尋のもうひとつの悪いところだ。思い通りにならないとすぐに怒る。
そう言うことを知っているわたしにとっては尋がなぜモテるのか疑問でしかない。
ひやひやとしながら様子を伺っていると、立ち上がった尋の顔を悠里ちゃんが思いっきり殴った。
尋はよろけて地面に腰をついた。
その様子を驚いて見ていると悠里ちゃんはまた拳を振り上げた。
そこでやっと立ち尽くしていた直が動いた。
悠里ちゃんの振り上げた腕を掴んだのだ。
そして尋と悠里ちゃんの間に入って必死に止めようとしている。
周りを見ると、突然起こった喧嘩――それも女の子の悠里ちゃんが尋を殴るという事態に唖然としていた。
その中で健臣と拓也が慌てて駆け寄って行く。
直と悠里ちゃんに視線を戻すと未だに悠里ちゃんは暴れていた。
しかし直が悠里ちゃんの肩に頭を寄せると、悠里ちゃんの腕は少しずつ降りて行く。
そして直は悠里ちゃんの背中に手を回して抱きしめているように見えた。
一体どうしてそうなった? その言葉が浮かんだあと、わたしの頭は真っ白になった。
わたしはいつのまにか始まっていた花火を見ていた。
しかし花火はちゃんと見えていない。
わたしは正気を保つのに必死だったからだ。
直は健臣たちと花火を見ている。
隣には悠里ちゃんがいて、なにやら楽しそうに話していて見ていられなかった。
花火が咲く夜空を見上げる。少しだけ涙が零れた。




