1-3
「あっくんを探すって言ったけど、どこを探すつもり?」
玄関を出たわたしは、開口一番にそう聞いた。
「すみません、わからないんです……。雪姉さまは何か心当たりはありませんか?」
「わたしはさっぱり」
「……そうですか」
ななちゃんは少し考えるそぶりをしてから、口を開いた。
「家はどうですか? 厚司……さんの家がどこにあるか、知りませんか?」
「知ってるけど……。家に居るかな?」
「わかりませんけど……」
「……とりあえず行ってみよっか」
わたしはあっくんの家に向かって歩き出した。
ななちゃんが少し後ろを歩く。
(自分から言い出したのに、すごい他人任せだなぁ)
別にわたしも、あっくんを見つけたくなかった訳じゃないけど、それより、早く警察に電話したかった。自分たちで探すよりも、絶対にその方が早いんだから。
「あの……」
「なに?」
ななちゃんの呼び掛けに、わたしは振り向かずに、声だけを返した。
「………………」
でもななちゃんは何も言わない。
「なに?」
わたしは焦れて、もう一回聞いた。
十秒ぐらいして、ようやく声が聞こえた。
「…………すみません。なんでもないです」
「?」
今日のななちゃんは、なんかはっきりしない。昨日のずけずけと物を言うななちゃんとは、まるで別人みたいだ。
「それで、ななちゃん」
わたしは、やっぱり振り向かずに話を振った。
「野口は死んでなかったんだよね」
見えないけど、ななちゃんが少し緊張したのがわかる。
「……はい、そうです。ごめんなさい」
かなり長い沈黙の後、聞こえるか聞こえないかの小さい声で、ななちゃんは言った。
わたしはそこで、ちらっと後ろを見た。
ななちゃんは今にも泣きそうな顔で、俯いて地面を見てた。
「あの手紙に書いてたことは、全部嘘だったんだね」
おかしいとは思ってた。
いくら家が学校に近くても、こんな細い腕で太った野口を運べるわけがないんだから。
「……! ちっ、違います!」
ななちゃんが血相を変えて叫んだ。
「た、確かに先生を隠したこととか、運んだこととかは嘘です。ほんとうは、先生が意識を取り戻して、自分で隠れて、自分で歩いてわたしの家に来たんです。でも、」
ななちゃんがキッと顔を上げた。
「わたしが雪姉さまのことを死ぬほど好きだっていうのは、ほんとです」
死ぬほどっていうのはその時始めて聞いたけど。
本当にわたしの為に死んでくれるのかな? 機会があれば是非試してみたいと思った。
「…………好きです。雪姉さま」
何か、勝手に良い雰囲気にされた。
これでわたしが男なら、映画のワンシーンみたいだと思う。でも生憎、わたしは女だった。
「あっそ」
わたしはいつの間にか止まっていた足を動かして、あっくんの家に向けて歩いた。
少し間を置いて、ななちゃんの足音がパタパタとついてきた。
「ほ、ほんとうですよ? 雪姉さまのことが好きなんです、わたしは」
「別に疑ってるわけじゃないよ。どうでもいいだけ」
嘘。
気持ち悪かった。
「そんなことよりも、教えて? どうしてそこまで好きな雪姉さま……、……のことを騙したりしたのか」
ななちゃんを真似て自分のことを呼んでみると、ぞくっと背筋に悪寒が走った。
二度と言わないでおこうと思った。
「…………それは……」
ななちゃんはまた、言葉に詰まった。
この日の会話はこんなんばっかりで、なかなか話が進まなかった。
ななちゃんが重い口を開くまでに掛かった時間なんていちいち測ってないけど、わたし的には浦島太郎の帰りを待つおばあさんの気分だった。
「…………野口にそそのかされたんです……」
「野口に?」
ななちゃんは顔を上げて、こくんと頷いた。
「……野口は、お姉さまのことを恨んでました。自分のことは棚に上げて、雪姉さまに殴られたことを怒ってたんです」
――絶対に仕返ししてやる!
そんなことを言ってたらしい。
逆恨みってやつかな。迷惑な話だった。
「……ねぇ。ちょっと気になるんだけど……。ななちゃん確か、わたしが教室を飛び出したとこを見ただけで、野口を殴ったところは見てないって言ってたよね? 『自分のことは棚に上げて』ってどういうこと?」
「…………それも……、嘘なんです……。ごめんなさい……。ほんとは、その前から見てたんです」
純粋そうな顔に似合わず、嘘つきまくりだった。
「なんでそんな嘘ついたの?」
「だって……。雪姉さまは、あの話を聞かれたくなかったでしょう?」
「まあ、ね……」
「だから、聞かなかったことにしようと思ったんです」
ありがたいような、ありがたくないような心遣いだった。でも、そうしようとした奈々ちゃんの気持ちはわからなくもない。
「その時に誰か他に見なかった? ほら、わたしが走って追っかけた人。その人の顔とか、見てるんじゃないの?」
「あれは…………」
ななちゃんは、言うのを少し躊躇っていた。
「…………厚司……さん……でした」
ショックとか、そういうのはなかった。その答えは、半ば予想がついてたから。
「…………あの……、さっきの続きですけど…………」
「え?」
話が逸れ過ぎて、一瞬何のことかわからなかった。
「野口が目を覚ました後のことです」
「ああ、それ」
納得したわたしは、続きを促した。
「その後わたしは、野口をなだめようとしました。雪姉さまのことを悪く言う野口に腹は立ちましたけど、そこで怒っても意味がないと思ったんです」
「ふーん」
「でも話してる内に我慢出来なくなって、つい怒ってしまいました。一度怒ったらブレーキが利かなくなって、気がついたら、わたしの雪姉さまへの気持ちを全部しゃべってました。」
「…………」
「わたしの話が終わったら、野口が謝ってきました。『大事な人の悪口を言ってすまなかった』みたいなことを言ってました」
「野口らしくないね」
野口はもっと馬鹿で、自分のことばっかり考えてて、人への気遣いなんて皆無だった。
「今はわたしもそう思います。でもその時は頭に血が上ってて……。その後野口は、『わたしの恋に協力したい』って言ってきました」
「…………怪し過ぎない?」
「今はそう思います。でもその時は頭に血が上ってて…………」
同じ台詞を同じイントネーションで繰り返すななちゃん。
「つまり、ななちゃんはまんまと野口の口車に乗せられて、野口の復讐の手伝いをしてたわけだね」
「………………はい。……でもわたしがしたかったのは、恋敵の黒沢厚司をこらしめることで、雪姉さまに何かしようと思ったんじゃないんです。それはわかってください」
あっくんのことを呼び捨てだった。
同級生だから当たり前かもだけど、さっきは確かにさん付けしてた。微妙に詰まってたけど。
そっか。あれはきっと、さん付けしたくない相手にさん付けするのを躊躇ってたんだ。
わたしの恋人だから、さん付けしないといけない。
でもわたしの恋人だから、さん付けしたくない。
そんな心の葛藤があったんた。きっと。
話す内に、あっくんの家に着いた。わたしはいつもみたいにチャイムを鳴らした。
鳴らしてから、しまった、と思った。
(今日はいつもと違うんだから、もう少し考えてからにしたら良かった)
ななちゃんに相談するとか、チャイムを鳴らさずに家に忍び込むとか、何か別の選択肢があったかも知れない。
でもここでわざわざななちゃんに相談しても仕方ないし、忍び込むって言ってもそうする意味がわからない。
結局、チャイムを鳴らすのが一番だったと思う。
ドアノブがガチャっと音を立てて、ドアが開いた。
中から顔を出したのは、あっくんのお母さんだった。
「…………何の用?」
わたしの顔を見るなり、顔が険悪になった。声はかなり低い。
開けかけたドアをそれ以上開くこともなく、むしろ顔を出せるギリギリまでドアを引いた。今ドアを思いっ切り閉めたら首が挟まって大変なことになるなぁ、なんて思いながら、わたしは笑顔で聞いた。
「あのー……。厚司くん、帰ってませんか?」
あっくんの名前を聞いた時、おばさんの顔がピクッと動いた。
どんだけ睨むの? ってぐらい睨まれた。
「厚司に何したの?」
心外なことに、既にわたしが何かしたこと前提だった。わたしがあっくんに危害を加えることなんて、万に一つぐらいしか有り得ないのに。
「いえ、そうじゃなくて。厚司くん、今日は学校に来てないんです。それで病気か何かかなぁと思って」
我ながら上手く言った、と思った。ありのままを伝えても、ややこしいだけだし。
おばさんの目がスゥ、と細められて、ほとんど線になった。
勿論笑顔じゃなくて、訝しんでる時の顔だ。
(あれ? 何かまずかったかな)
「さっき厚司が『帰ってませんか』って言ったわよね」
「あ」
気づいた。会ってないのに『帰ってませんか』なんて言うわけがない。
ななちゃんがわたしの後ろに隠れて、腕のところをきゅっと摘む。昨日はナイトになってくれるって言ってたのに、全然頼りにならなかった。
ドアがゆっくり開いて、おばさんが全身を現した。
相変わらず、人の親とはとても思えない完璧なプロポーションだった。モデルのような高い身長で、上から冷たい視線を投げかけてくる。
「教えてもらいましょうか。厚司に何をしたか。知ってると思うけど、昨日厚司は帰ってないのよ。さっき警察に通報したところ。今まで一度たりとも私に逆らったことのない厚司が無断外泊なんて、有り得ないのよ。事件に巻き込まれたとしか思えない。でも夫が家に居るように言ったから家に居た。本当は今にも飛び出して街中を駆け回りたい気分よ。でもやっぱり夫は正しかったわね。まさか元凶が自分から訪ねてくれるなんて。あなたが厚司と付き合ってること、前から気に入らなかったけど、こんなことなら早く処理しておくべきだったわ。さあ、早く吐きなさい。厚司に何をしたの。吐かないなら、お腹をかっさばいてでも教えてもらうわ。早く。早く。早く、早く、早く早く早く早く早くはやくはやくハヤクはやく早くはやくはやくはやくハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤク」
言葉と共に少しずつ攻め寄ってくるおばさんから後ろ歩きで逃げている内に、いつの間にか道路まで出ていた。
おばさんの目は尋常じゃない。血走ってて、精神病じゃないのかと思うぐらいだった。
過保護ってやつかな? 普段は普通の人なのに、あっくんが一晩帰って来ないだけでここまで人が変わるなんて思わなかった。あっくんのこと前から子供っぽいって思ってたけど、もしかしたらこのおばさんが原因かも知れない。
「あー、そのー、なんていうか」
わたしはちらっと、おばさんの後ろにいるななちゃんを見た。
ななちゃんは「どうしたらいいんでしょう」って感じにオロオロしてたけど、わたしと目が合うとピタッと止まった。
そして無言で、あっくんの家に入っていく。
わたしは別に意味があって視線を送ったわけじゃなかったんだけど、ななちゃんは視線の中に何かを受信したらしい。
何をするのかと不安に思いながらも、目の前のおばさんから逃げ続けてた。
すると不意に、おばさんの頭の上に花瓶が見えた。わたしがその花瓶に目を奪われる間もなく、花瓶が落ちた。
おばさんの頭の上に。
呆気に取られるわたしの前で、おばさんが音を立てて崩れ落ちた。おばさんが倒れることで開けた視界の先には、花瓶を持ったななちゃんが居た。
「大丈夫ですか? お姉さま」
「うん……いや、そうじゃなくて。何してるの?」
「え? その…………、助けないとと思って……。わたしはお姉さまのナイトですから」
そう言って花瓶を足元に置くななちゃん。仕草からして、結構重そうな花瓶だった。
「でもこれ、どうするの?」
わたしは足元のおばさんを指差しながら、周りを見た。
幸い、誰にも見られてないみたいだった。うん。そういう問題でもないけどね。
「大丈夫です。死なないように優しく撲りましたから」
優しく撲るって。撲ってる時点で優しくないよね。
にしても、ななちゃんのこの行動は予想外だった。
わたしは少し焦って、携帯を取り出した。
「今度こそ警察に電話するよ。いいよね?」
「はい」
快く促してくるななちゃん。そこでわたしはふと、疑問を抱いた。
「ていうか、さっきはなんで止めたの?」
「事情をきちんと説明して、雪姉さまにわかってもらいたかったんです」
つまりは、わたしを味方につけたかったらしい。
なんだ、そんなことか、と内心呆れながら、警察に電話した。
「あのっ、人が死んでたんです! それでっ、逃げたら今度はおばさんを気絶させちゃったんですっ!」
わざとパニックを装ってみた。
この方が詳しいことを聞かれないで済むかなぁと思ったんだけど、相手の人は丁寧に話を促してきて、かなり細部まで喋ることになった。
全部話し終わったわたしは、携帯をスカートのポケットにしまった。
それからもう一回取り出して、時間を見た。
「警察の人が来るまでまだ時間があると思うから、少し質問してもいい?」
「はい、どうぞ」
時間を見ても警察が来る時間はわからないことに気がついて、今度こそわたしは携帯をしまった。
「昨日、わたしと別れた後のこと、詳しく教えて」
「あのあと……」
ななちゃんはゆっくりと話し出した。
「わたしが家に帰ったら、家の中に黒澤……」
「無理にさん付けしなくていいよ」
「はい、すみません。家には黒澤がいたんです。わたしは襲われて、気絶しました。それで気がついたら山の中に居たんです」
「そこにわたしが助けに行ったんだね」
「そうです。先生に電話したのは、嫌な予感がしたというか……。黒澤は先生を殺そうとしているような気がして」
「まあ、あんな風に言われたらね」
遠くからパトカーの音が聞こえた。
考える時間の終わりと、話をする時間の終わり、そしてこの事件の終わりを告げる音だ。
「パトカーだ……。思ったより早かったね」
「そうですね」
「ななちゃん、最後に聞いておきたいことがあるんだけど」
「なんですか?」
道路の向こうにパトカーが見えてきた。
音の近さに興味を惹かれたのか、二階の窓を開けて外を見てるヒトがいた。
わたしはそれらの景色から目を離して、隣に立つななちゃんを見た。
「ななちゃんは、ヒトを殺すことをどう思う?」
ななちゃんの瞳が揺れた。
そして返ってきたのは、それだけでは真意を掴めない言葉。
「大変なことだと思います」
その真意を確認する間もなく、パトカーが到着した。
中から、ヒトが出て来る。
これから事情聴取とかいうのをするんだろうな、面倒臭いなとか思いながら、わたしはパトカーに乗せられた。
わたしたちは警察署に運ばれていく。
*
わたしが事情聴取を受けている時、警察があっくんを見つけたという知らせがあった。




