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黒白雪  作者: 泉野 戒
3/13

1-2

――ピンポーン。

わたしはチャイムを鳴らした。

もちろん、竹内奈々子の家のチャイム。

しばらく待つと、インターホンから声がした。

『――ガチャ、……はい、竹内です』

「ななちゃん? わたし」「雪姉さまぁ!?」

ドアが勢いよく開いて、ななちゃんが飛び出してきた。

笑顔全開だった。

「う、うん、そう。……余計なお世話かも知れないけど、オレオレ詐欺とかには気をつけたほうがいいよ」

これじゃインターホンの意味がない。

「ごめんなさい。でも、声でわかりましたから。あぁ……。お姉さまがうちに来てくれるなんて、かんげきですぅ。まるで天国にいるような気分ですぅ~」

「死にそうな気分なんだね。でも、死ぬ前に家に入れてくれない?」

「はい! お姉さまの頼みならどんなことでも聞いちゃいます!」

そう言うと、ななちゃんは家の中へ案内してくれた。

一人暮らしという割には、広い立派な家だと思った。

「こっちです。お姉さま」

ななちゃんはそう言って奥の部屋へと入っていった。

でもわたしは、そこにあるモノを考えると、中に入るのを躊躇わずにはいられなかった。

そのうちに、ななちゃんが部屋から顔を出した。

「雪姉さま?」

「うん。今行く」

わたしは部屋に入った。

「…………」

そこには、昨日の夕方に学校で見たのと同じモノがあった。

頭を赤く染め、白目を剥いた死体。

なぜか昨日よりもグロテスクに見えた。

「……臭いは、しないんだね」

「近所にばれるとまずいと思って、消臭剤をたくさん使いました。でも、いつまでも隠してはいられません」

「わかってる。裏山に穴掘って、そこに埋めよ」

「裏山、ですか? 二人で運べるでしょうか?」

「そのままだと重いかも知れないけど、バラバラにしたら運べるんじゃないかな」

「バラバラに……」

ななちゃんの顔が青ざめた。

「きょう、やるんですか?」

「うぅん。今日は山へ行って、埋める場所を選んで穴を掘るの。切るのは明日」

「そ、そうですか……」

ななちゃんの顔色が少しマシになった。

わたしは、暗い雰囲気を吹き飛ばすために、にっこり笑って言った。

「じゃ、行こっか。スコップとかはある?」

「あ、それなら、お昼のうちに買っておきました」

「準備いいね。それじゃ、汚れてもいい格好に着替えて、裏山の入り口に集合ってことでいい?」

「はい、お姉さま。ジャージでいいですよね」

ななちゃんの質問に頷いて、玄関へ向かった。

わたしは死体を振り返ることなく、ななちゃんの家を後にした。



別に裏山って言っても、学校の裏にあるとか、そういう意味じゃない。

ただ、雰囲気が裏山っぽいから、誰かが裏山って呼び出して、それが定着したんだって。

本当の名前は、多分誰も知らない。

少なくとも、わたしは知らない。


わたしがジャージに着替えて裏山の入り口に行くと、そこにはもう、ななちゃんがいた。わたしは一度家に寄ってきて、ななちゃんは直接ここに来たんだから、当たり前だ。

遠くから見てると、ななちゃんはまだわたしに気づいてないみたいで、寒そうに手を擦り合わせている。

わたしは普通のペースで、ななちゃんのところまで歩いていった。

あと十歩ぐらいのところで、ななちゃんがわたしに気づいて、手を振りながら駆け寄ってきた。

「雪姉さま~っ!!」

走ってきた勢いのまま、思いっきり抱きついてきた。わたしは後ろに倒れかけたけど、足で踏ん張って、何を言うこともなく、されるがままにしていた。

しばらくわたしの抱き心地を味わっていたななちゃんは、ハッと気づいて、わたしから離れた。

「ご、ごめんなさい……。会えたのがうれしくて、つい……」

「そうだね。なんせ一時間ぶりの再会だもんね」

「そうですよね! 仕方ないですよね! わたしうれし過ぎて、涙が出そうです!」

「……皮肉のつもりだったんだけど」

そんな返し方をされるとは思わなかった。

「お姉さまに皮肉を言ってもらえるなんて、光栄です!」

またもや予想外の返答。もしかしてななちゃんって、M?

「なんだか、あなたとは友達になれない気がする」

「そ、そんな……!」

ななちゃんがよろよろと後ずさる。

(ちょっと言い過ぎたかな?)

フォローしようと口を開きかけたら、

「でも……、お姉さまに二股なんてさせられません。友達以上の関係になりたいとは思いますけど、わたしなんかじゃ不釣り合いだし……」

友達になれない=恋人になる、って受け取ったみたい。

「……ななちゃんって、ポジティブなんだね」

「えっ? そうですか? わたし今、お姉さまにほめられました? やったぁ!」

「うん、もう、どうでもいいよ」

跳ね回って喜ぶななちゃんと、その横で笑顔のわたし。

実はこの時、わたしたちを影から見つめる人がいた。

その時のわたしはそんなことは知らなくて、どうやったらこのバカな子を静かにできるかなぁなんて考えてた。

「ほらほら、いつまでも跳ね回ってないで。もう行こ」

「ご、ごめんなさい、うかれちゃって。わたしのこと、うっととうしいって思いました?」

不安そうにわたしの顔を見上げてくるななちゃん。

「まさか。わたしが人のこと嫌いになるわけないじゃない」

「お姉さま……! 大好きです!」

「わたしもだよ」とは、当然言わなかった。

先に山の中に入っていったら、ななちゃんもきちんとついてきた。

「ところでななちゃん、聞きたいことがあるんだけど」

「はい、なんでしょう? ちなみにわたしの好きな人は、雪姉さまです。きゃっ! プロポーズしちゃった!」

「もう手紙でされたけど」

「手紙で書くのと、直接言うのは別なんです。あっ! わたしったらお姉さまに向かってえらそうな口を! ごめんなさい!」

「いいけど。ていうか聞きたいのは、そういうことじゃなきゃっ!」

会話に気を取られていると、木の葉に隠れた根っこにつまづきそうになった。

「なきゃ……? どこの方言ですか?」

ななちゃんが心底不思議そうに聞いてくる。からかってるわけじゃないみたいだったけど、ある意味からかうよりも性質が悪い。

「もうっ! だから、そういうことじゃないの!」

ななちゃんには、わたしが何に怒ってるのかわからなかったと思う。

「……? それじゃあなにが聞きたいんですか? 好きな食べ物ですか? 趣味ですか? それとも、スリーサイズですか?」

「全部違う。わたしが聞きたいのは、ななちゃんがどうして聞いてこないのかってことだよ」

「わたしは、お姉さまの趣味もスリーサイズも知ってますから」

なぜか得意げな、ななちゃん。

得意になられても困るんだけど……。

「ごめん。言葉足りなかった。ななちゃんはどうして、わたしが野口を殺した理由を聞かないの?」

聞くと、ななちゃんの声が少し低くなった。

「わたしは……、雪姉さまのこと信じてますから。雪姉さまがしたことなら、間違いはないと思ってます」

「わたしがしたなら殺人も許されるってこと? それってある意味、無責任だよね」

ななちゃんは首を振った。

「そういう意味じゃないんです。つまり、……だから、お姉さまほどの人がそんなことをしたなら、それなりの理由があるに決まってます。それは聞くまでもないことなんです」

「そうなの?」

「そうなんです」

わたしは、空を見ながら考え、

ようと思ったけど、石につまづきそうになったので、地面を見ながら考えた。

(この子をそこまで言わせてる、わたしの魅力って何だろう)

でも、わたしにそんなこと、わかるはずがなかった。

わからないことを悩むのはやめた。

そんなことよりも気になることがあったので、聞いてみた。

「じゃあ、ななちゃんは理由があれば人を殺してもいいと思ってるんだね」

「はい」

即答だった。

あそこまではっきりと答えるとは思ってなかった。

わたしは思わず、ななちゃんのほうを振り向いていた。

ななちゃんはいつになく真剣な表情だった。

「人が人を殺しちゃいけないなんて、人の本質を知らない人が言うことです」

その言葉には、深い意味が込められてる気がした。

「ななちゃんは、人の本質を知ってるの?」

聞くとななちゃんは、申し訳なさそうにうつむいた。

「…………いいえ。わたしは何も知りません……。ごめんなさい。えらそうでしたね。教えてもらえませんか? お姉さまが野口を殺した理由」

なんか、すごい言いにくい雰囲気だった。

(これじゃ、わたしがいじめたみたいだ)

「…………やめとく。もとから話す気もなかったし」

「わたし……、お姉さまの気分を悪くしましたか?」

不安そうにするななちゃん。

「そうじゃないよ。ほんとにもとから話す気なかったんだって。それにわたし、人から何か言われて傷つくことないし」

「それもそうですね。だって、雪姉さまですもんね」

「そうだね。穴、このへんにしよっか」

ななちゃんの言葉を、最後は軽く流し気味で、わたしは穴を掘る場所を指さした。

ある程度、道から離れてるだけで、他の場所と何も変わらない普通の場所。変に人が通らないところを選ぶと、かえって見つかるような気がしたから、そこにした。

「わかりました。まかせてください」

そう言うなり、ななちゃんが持っていたスコップで穴を掘り始めた。

わたしは手持ち無沙汰だった。

「気になってたんだけど、どうしてスコップをもう一本持って来なかったの?」

「だれが使うんですか?」

「わたし」

「そんな! 雪姉さまに穴掘りなんて、させられるわけがないです! わたし一人で、全部掘ります!」

忘れてたわけじゃなかったらしい。

「ふぅん、 がんばれ」

「はい! まかせてください!」

わたしの適当な声援を受けて、燃え立つななちゃん。

燃え尽きるまで、十分かからなかった。



穴を掘るのは、思ってた以上にしんどかった。

冬なのに汗がどんどん流れてきて、すごく気持ち悪かった。

地面が固くてなかなか進まないし、石とか木の根っこに当たったら、もう大変。

スコップだけしか持って来なかったのは失敗だったなぁと思った。

「……はぁ、……はぁ、……っ、だいぶ、……暗くなってきたね」

「そうですね。交代しましょうか?」

わたしたちは結局、交代で穴を掘っていた。

わたしはスコップを地面に突き刺して言った。

「うぅん。今日は、……やめにしよっか」

「えっ? まだ小さいですけど、いいんですか?」

ななちゃんの言う通り、穴は全然小さかった。

多分、野口が半分も入らない。

「また明日にしよ。一日遅れるぐらい、どうってことないよ」

「……そうですね。わかりました」

「よし、じゃあ、これ以上暗くならないうちに帰ろう」

「あっ、待って下さい」

スコップを持って先に歩き出したわたしに、ななちゃんが急いでついてきた。

「スコップ、持ちますよ」

「そう? ありがと」

土だらけになったスコップを、ななちゃんに渡した。変な子だけど、こういうところはいい。

「すみません。雪姉さまにこんなことをさせてしまって。わたしにもっと力があればよかったのに」

「別にいいよ。もともと、わたしがしたことだし」

「わたし、次にこんなことがあったときのために、これからはしっかり身体を鍛えます。それでお姉さまを守れるような、立派なナイトになります」

できればあんなこと、二度とあって欲しくないけど。

「そう、がんばってね」

「お姉さまに……! 応援してもらえるなんて……! はいっ! わたしがんばります!」

感極まったのか、目をうるうるさせるななちゃん。このリアクション、だんだんうざくなってきた。

そんな話をしてるうちに、山の入り口に着いた。

「家まで送ります」と言うななちゃんをなんとか説き伏せて、わたしは一人で夜道を歩いて家に帰った。

途中、人殺しに遭うこともなく、立ち寄ったファーストフード店でハンバーガーを食べて、わたしは帰宅した。

とりあえず泥だらけの服をぜんぶ脱いで、洗濯機に入れた。いつもなら下着も一緒に入れるんだけど、なんだか泥だらけにするのが嫌で、別に分けておくことにした。

そのままお風呂に入ってシャワーを浴びた。シャワーがあんなに気持ちいいと思ったのは、生まれて初めてかも知れない。もしかして、スポーツをする人はシャワーを気持ちよく浴びるためにスポーツをしてるんじゃないかと思ったぐらいだった。

――いや、そんなわけがないことぐらい、わたしだってわかってるけど。

お風呂を出たあとは自分の部屋に行って、ベッドで横になった。

何も考えずに、ぼーっと天井を見てると、ふと用事を思い出した。

起き上がって携帯を取り出し、ほとんど入ってないアドレスの中から、『りっちゃん』を選んで、電話をかけた。

りっちゃんはなかなか電話に出てくれなくて、もう留守電に切り替わるんじゃないかと思ったぐらいで、やっと出た。

『――も、もしもし、ユキ? どーしたの、こんな時間に』

「こんな時間って言っても、まだ九時だよ?」

ちらっと時計を見て確認した。八時四十八分。小学生とか、はたまた社会人ならどうか知らないけど、高校生ならまだ電話しても大丈夫な時間だ。

『あ、ゴメン。寝ぼけてた』

「寝てたの? こんな時間に?」

『うん、ちょっと眠くてね』

「ふーん。ま、いいや。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

『なに?』

わたしは伸ばしてた足を曲げて、あぐらを組んだ。

「竹内奈々子って知ってる?」

『え? 知ってるけど……』

「あの子って、どんな子?」

『どんな子って。えぇっと、うーん、一言で言うなら……』

「言うなら?」

『レズ、かなぁ』

「なるほど」

フムフム、と頷いてみた。電話じゃ見えないけど。

『あんまり驚いてないね』

「うん、実は知ってた」

『じゃ、何が知りたいワケ?』

「そのことが確認したかったの」

『なら、そう言えや』

「ごめんね。でも、なんであっくんは、そのことを言わなかったんだろ」

『ん? アツシ?』

「うん。学校でね、あっくんにもななちゃんのこと聞いたの。でもあっくん、個性的とは言ってたけど、レズとかは言ってなかった」

『あ~。アイツの場合、レズは欠点だと思ってるんじゃない? そんでアイツは、影で人の悪口とか、絶対言わない奴だし』

「あ、そっか」

納得納得。

『アイツもめんどくさいよネ。こっちが人のグチ言い出したら絶対ノってこないし。だいたい、頭固いのよ』

「わたしの彼氏の悪口を、わたしに言わないでよ」

腹が立つと言うより、対応に困る。

『てゆーか、なんでアンタら付き合ってんの?』

「なんでだろうね」

『いや、聞き返されても……。わかんないの?』

「うーん……。ちっちゃい頃からずっと一緒にいたし、改めてなんでって聞かれると……」

『いやそうじゃなくてね。幼馴染から彼氏彼女になったきっかけとか、あるじゃない?』

「ないよ」

『ないの?』

「うん」

『告白は? 好きとか、付き合おうとか』

「わたしからはしょっちゅう言ってるけどね、あっくんは言ってくれたことないかなあ。わたしが言ってもいっつもはぐらかされるし」

『それはユキが適当に言ってるからじゃない……?』

「あははー、そうかもねー」

だって真剣に告白するのって、わたしっぽくないんだもん。

「それはまぁ、置いといて。もう一個聞きたいことがあるんだ。りっちゃんはさ」

『なによ』

「人を殺すことってどう思う?」

『…………』

「…………」

黙り込んだりっちゃんの返事を、わたしは急かすことなく、待った。

一分ぐらいしてから、りっちゃんは静かに話し出した。

『――悪いコトだと思う……』

「やっぱり、そう思う?」

『うん。でもそれは、人を殺したコトのないアタシの意見』

「……どういう意味?」

『人を殺す人には殺すだけの理由があって、殺したコトのないアタシは、そこまでする理由がないから、しないだけかも知れない。もしアタシが同じ立場になったら、アタシはこんなコトを言えないのかも知れない』

「…………」

『でも、そんなアタシだからこそ、言うよ。人殺しは悪いコトだ』

「…………」

『…………』

今度はわたしが黙り込む番だった。

りっちゃんと、同じくらいの時間、黙考した。

そして、言った。

「…………りっちゃんは、……やさしいね」

『……。……ねぇ、アタシからも一つ聞いていい?』

「いいよ。何?」

『アタシら、友達だよね』

言葉の割に、少しイライラしてるみたいな声だった。

「……そうだよ」

『だったら。つらいことがあったら相談して。たいして力になれないかも知れないけど、出来るコトはするから』

本当にやさしい人だなって思った。

「うん。ありがと。その言葉だけで、十分だよ」

本当、もう十分。

『じゃあ、がんばってね』

「うん」

――ピッ。

ぽふっ。

「…………」

しばらくの間、布団の上に置いた携帯を、ジッと見つめてた。

一度目を閉じて、開いて、立ち上がって、電気を消して、布団の中に入った。

「…………」

今日はなんだか、よく眠れそうな気がした。

りっちゃんに電話してよかったって思った。


* *


次の日。

わたしの身体を、筋肉痛という恐怖が苛んでいた。予想しないでもなかったけど、まさかここまで痛むとは思わなかった。スポーツする人は、みんなバカだと思った。

ベッドから起き上がるのに、いつもの十倍近い労力を使って、なんとか朝の身支度を整えて、時間にせき立てられながら、家を出た。

いつもは余裕の時間だけど、今日はギリギリだった。いつもの場所であっくんが待っててくれてるかも、なんて思ったけど、そんなことはなかった。

久しぶりに一人で登校したわたしは、靴箱の前で靴を脱いで、中に入れようとして、また手紙が入ってることに気づいた。昨日のななちゃんのピンク色の手紙とは違って、味気ない真っ白な封筒。

『ゆきへ』と書かれた字を、一目見てわかった。

(あっくんの字だ)

封筒を裏返すと、やっぱり『暑司』と書いてあった。

封を切って、中の手紙を読んだ。

封筒と同じくらい味気ない内容。

たった一言。

『うらやまに来い』


* *


わたしは裏山に行った。学校は、もちろんサボった。

手紙には裏山のどことは書いてなかったけど、穴を掘った場所のことだろうなぁって、なんとなくわかった。

行ってみると、予想通り。そこには人がいた。

穴の中に。

両手両足を縛られて、猿ぐつわを噛まされて、入りきらない足を穴の外にはみ出して、目を大きく見開いて、穴の中にはななちゃんがいた。

「ンー! ンー!」

生きてた。

頭からお尻まですっぽり穴にはまって、自分では出られないみたいだったので、縛られた腕を引っ張り上げて、地面の上に座らせてあげた。

「ン! ン! ンー!」

地べたに座り込んだまま、わたしに必死で何か言おうとしてた。

とりあえず猿ぐつわを外してあげた。

「ぷはっ!」

水から顔を上げたような声を出した。

「お姉さま! 助けに来てくれて、ありがとうございます。あ、あの、大変なんです!」

「うん。わかるよ、大変なのは。今からロープ外すから」

腕のロープをほどく。割と簡単に解けた。

「わたし、誘拐されたんです!」

「誰に誘拐されたの?」

「あ、の……、……黒澤暑司……さんです……」

そう言うと思ってたけど。

腕が解けると、ななちゃんは自分で足のロープをほどいた。

ロープが外れるなり、携帯を取り出して、誰かに電話をかけた。

「電話? 誰にかけてるの?」

「えーっと……。それは……、あのぉ………」

言い渋るななちゃん。

「……そのぅ……あっ! もしもし!?」

電話が繋がったみたいだった。ななちゃんは、大き過ぎる声で携帯に叫んだ。

「大丈夫ですか!?」

『――――』

向こうの声は、わたしには聞こえなかった。

「――そうですか。でもそこはもう危ないです! いますぐはなれて下さい! あなたは殺されるかも知れ」『がちゃんっ』

その音だけは、聞こえた。

何かが割れるような音。

ななちゃんが息を呑む。

「も、もしもし!? 聞こえますか!? もしもし!?」

相手からの返事はないみたいだった。

「…………」

ななちゃんは呆然として、耳から携帯を離した。

「ななちゃん? いったい何が、」

「行かなくちゃ……」

お姉さまと慕うわたしの言葉さえ無視して、ななちゃんは山の麓へと走り出した。二瞬ほど迷ってから、わたしはななちゃんを追いかけた。

足の遅いわたしだけど、ななちゃんの足は更に遅かったので、そのうち追いついた。

わたしは走りながら聞いた。

「……ハァッ、……ハァッ、……ん、ど……、どこに……、……ハッ、行くの?……ハァッ、」

「……わたしの、ぅふ、う……わたしの家です……はぁっ、はぁっ」

「……ハッ、っ、………なんで?」

「……すみません……はぁっ、あとで…………、話します」

わたしも、走りながら喋るのはもう無理だったので、それ以上追求しなかった。


かなり走って、横腹が痛くなってきた。

そういえばわたしは筋肉痛だったっけ、と思い出した。意識した途端によけい辛く感じて、それからはなるべく関係のないことを考えるようにした。走り過ぎてマッチョになったらどうしよう、とか。

その内に、ななちゃんの家が見えてきた。もう走らなくていいんだ、って安心した。

「あっ!」

先を走っていたななちゃんが驚きの声を上げた。

どうしたのかと思って顔を上げると、ななちゃんの家の玄関から、あっくんが飛び出していくのが見えた。

「あっくん!」

わたしは思わず呼び止めていた。

「……!」

あっくんはこっちを振り向いて、わたしとななちゃんを交互に見つめると、向きを戻して何も言わずに走り去っていった。

「ちょっと待って、あっくん!」

でもあっくんは待ってくれなかった。

わたしはあっくんを追いかけるかどうかで悩んだけど、ななちゃんが家に入っていったので、そっちについていくことにした。

家の中は暗かった。

「先生!」

ななちゃんが靴も脱がずに玄関に上がって、明かりを点けた。わたしもそれに続く。

廊下の奥を見据えて、ななちゃんが息を呑むのがわかった。

でもそうしていたのは少しの間で、すぐに奥の部屋へと進んでいった。前に来た時に、野口の死体があったあの部屋へ。

部屋の中は、鉄の匂いに包まれていた。カーテンを閉めきっているせいか、部屋の中の様子は全く見えない。それでも匂いだけで、この部屋に異常なモノがあることはわかった。

――パチッ。

ななちゃんが電気を点けた。

「―――っっ!!」

続けて、声にならない悲鳴を上げた。

わたしは特に何も感じなかった。

そこには、うつぶせで机の下に頭を突っ込むようにして倒れた、野口の死体があった。その頭の周りを彩る、色とりどりの花、白い花瓶のカケラ、そして水と、それに混ざり合う赤い血。

芸術作品みたいだ、とわたしは思った。

ななちゃんがソレに駆け寄って、肩を激しく揺さぶる。

「先生! 野口先生! 野口先生!」

何度も名前を呼ぶ。

わたしはそんなななちゃんを尻目に、携帯を取り出した。

「雪姉さまっ、どうしよう! 先生が……!」

ななちゃんが振り返って、わたしを見た。

そしてそのまま固まった。

「ゆ、雪姉さま……? 何を……」

「何って。とりあえず警察を呼ぼうと思って」

そんなおかしいことをしてるつもりはなかったので、わたしは構わずに一一〇番を押して、耳に当てた。

「ちょっと! 待って下さい!」

でもすぐに取り上げられた。

「けっ、警察はちょっと待って下さい」

「なんで?」

「なんでって…………。それは…………」

ななちゃんは言いにくそうに、もじもじしていた。

しばらくそうしてからななちゃんは、「あっ」と声をあげた。

「そ、それより今は、こうなったら、あの、少しでも早く厚司……さんを探さないと! 警察がだめな理由は、後で話しますから!」

「………………わかった」

わたしとしては先に警察に連絡したかったけど、気になることもあったから、ななちゃんに従うことにした。

「でも……」

わたしは、ななちゃんの目を見て言った。

「その前に、これだけは確認させて。その野口が、本当に死んでるのかどうか」

わたしの言葉に、ななちゃんが少しうろたえた。わたしの顔色を伺うようにした後、こくんと頷いた。

「……はい。いいですよ」

「それじゃ」

わたしはななちゃんを脇に除けさせて、血の混じった水溜まりを踏まないように気をつけながら、死体の横にしゃがんだ。

脈を診ようとしたけど、どこが脈なのかよくわからなかった。だから胸に手を当てて、心臓が動いてるかどうか確かめてみた。

心臓っぽい動きはなかった。

「……今度は死んでるね」

あの時にも確認をしとけば、こんなややこしいことにはならなかったのかも、って少し後悔した。

「…………」

ななちゃんは何も言わなかった。

確認が済んだわたしは、立ち上がって、ななちゃんの方を向いた。

ななちゃんは、叱られるのを待つ子供のような顔をしてた。

「じゃ、いこっか」

「…………はい」

玄関に歩き出したわたしに、ななちゃんは俯き気味でついてきた。

そうしてわたしたちは、ななちゃんの家を後にした。

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