1-2
――ピンポーン。
わたしはチャイムを鳴らした。
もちろん、竹内奈々子の家のチャイム。
しばらく待つと、インターホンから声がした。
『――ガチャ、……はい、竹内です』
「ななちゃん? わたし」「雪姉さまぁ!?」
ドアが勢いよく開いて、ななちゃんが飛び出してきた。
笑顔全開だった。
「う、うん、そう。……余計なお世話かも知れないけど、オレオレ詐欺とかには気をつけたほうがいいよ」
これじゃインターホンの意味がない。
「ごめんなさい。でも、声でわかりましたから。あぁ……。お姉さまがうちに来てくれるなんて、かんげきですぅ。まるで天国にいるような気分ですぅ~」
「死にそうな気分なんだね。でも、死ぬ前に家に入れてくれない?」
「はい! お姉さまの頼みならどんなことでも聞いちゃいます!」
そう言うと、ななちゃんは家の中へ案内してくれた。
一人暮らしという割には、広い立派な家だと思った。
「こっちです。お姉さま」
ななちゃんはそう言って奥の部屋へと入っていった。
でもわたしは、そこにあるモノを考えると、中に入るのを躊躇わずにはいられなかった。
そのうちに、ななちゃんが部屋から顔を出した。
「雪姉さま?」
「うん。今行く」
わたしは部屋に入った。
「…………」
そこには、昨日の夕方に学校で見たのと同じモノがあった。
頭を赤く染め、白目を剥いた死体。
なぜか昨日よりもグロテスクに見えた。
「……臭いは、しないんだね」
「近所にばれるとまずいと思って、消臭剤をたくさん使いました。でも、いつまでも隠してはいられません」
「わかってる。裏山に穴掘って、そこに埋めよ」
「裏山、ですか? 二人で運べるでしょうか?」
「そのままだと重いかも知れないけど、バラバラにしたら運べるんじゃないかな」
「バラバラに……」
ななちゃんの顔が青ざめた。
「きょう、やるんですか?」
「うぅん。今日は山へ行って、埋める場所を選んで穴を掘るの。切るのは明日」
「そ、そうですか……」
ななちゃんの顔色が少しマシになった。
わたしは、暗い雰囲気を吹き飛ばすために、にっこり笑って言った。
「じゃ、行こっか。スコップとかはある?」
「あ、それなら、お昼のうちに買っておきました」
「準備いいね。それじゃ、汚れてもいい格好に着替えて、裏山の入り口に集合ってことでいい?」
「はい、お姉さま。ジャージでいいですよね」
ななちゃんの質問に頷いて、玄関へ向かった。
わたしは死体を振り返ることなく、ななちゃんの家を後にした。
*
別に裏山って言っても、学校の裏にあるとか、そういう意味じゃない。
ただ、雰囲気が裏山っぽいから、誰かが裏山って呼び出して、それが定着したんだって。
本当の名前は、多分誰も知らない。
少なくとも、わたしは知らない。
わたしがジャージに着替えて裏山の入り口に行くと、そこにはもう、ななちゃんがいた。わたしは一度家に寄ってきて、ななちゃんは直接ここに来たんだから、当たり前だ。
遠くから見てると、ななちゃんはまだわたしに気づいてないみたいで、寒そうに手を擦り合わせている。
わたしは普通のペースで、ななちゃんのところまで歩いていった。
あと十歩ぐらいのところで、ななちゃんがわたしに気づいて、手を振りながら駆け寄ってきた。
「雪姉さま~っ!!」
走ってきた勢いのまま、思いっきり抱きついてきた。わたしは後ろに倒れかけたけど、足で踏ん張って、何を言うこともなく、されるがままにしていた。
しばらくわたしの抱き心地を味わっていたななちゃんは、ハッと気づいて、わたしから離れた。
「ご、ごめんなさい……。会えたのがうれしくて、つい……」
「そうだね。なんせ一時間ぶりの再会だもんね」
「そうですよね! 仕方ないですよね! わたしうれし過ぎて、涙が出そうです!」
「……皮肉のつもりだったんだけど」
そんな返し方をされるとは思わなかった。
「お姉さまに皮肉を言ってもらえるなんて、光栄です!」
またもや予想外の返答。もしかしてななちゃんって、M?
「なんだか、あなたとは友達になれない気がする」
「そ、そんな……!」
ななちゃんがよろよろと後ずさる。
(ちょっと言い過ぎたかな?)
フォローしようと口を開きかけたら、
「でも……、お姉さまに二股なんてさせられません。友達以上の関係になりたいとは思いますけど、わたしなんかじゃ不釣り合いだし……」
友達になれない=恋人になる、って受け取ったみたい。
「……ななちゃんって、ポジティブなんだね」
「えっ? そうですか? わたし今、お姉さまにほめられました? やったぁ!」
「うん、もう、どうでもいいよ」
跳ね回って喜ぶななちゃんと、その横で笑顔のわたし。
実はこの時、わたしたちを影から見つめる人がいた。
その時のわたしはそんなことは知らなくて、どうやったらこのバカな子を静かにできるかなぁなんて考えてた。
「ほらほら、いつまでも跳ね回ってないで。もう行こ」
「ご、ごめんなさい、うかれちゃって。わたしのこと、うっととうしいって思いました?」
不安そうにわたしの顔を見上げてくるななちゃん。
「まさか。わたしが人のこと嫌いになるわけないじゃない」
「お姉さま……! 大好きです!」
「わたしもだよ」とは、当然言わなかった。
先に山の中に入っていったら、ななちゃんもきちんとついてきた。
「ところでななちゃん、聞きたいことがあるんだけど」
「はい、なんでしょう? ちなみにわたしの好きな人は、雪姉さまです。きゃっ! プロポーズしちゃった!」
「もう手紙でされたけど」
「手紙で書くのと、直接言うのは別なんです。あっ! わたしったらお姉さまに向かってえらそうな口を! ごめんなさい!」
「いいけど。ていうか聞きたいのは、そういうことじゃなきゃっ!」
会話に気を取られていると、木の葉に隠れた根っこにつまづきそうになった。
「なきゃ……? どこの方言ですか?」
ななちゃんが心底不思議そうに聞いてくる。からかってるわけじゃないみたいだったけど、ある意味からかうよりも性質が悪い。
「もうっ! だから、そういうことじゃないの!」
ななちゃんには、わたしが何に怒ってるのかわからなかったと思う。
「……? それじゃあなにが聞きたいんですか? 好きな食べ物ですか? 趣味ですか? それとも、スリーサイズですか?」
「全部違う。わたしが聞きたいのは、ななちゃんがどうして聞いてこないのかってことだよ」
「わたしは、お姉さまの趣味もスリーサイズも知ってますから」
なぜか得意げな、ななちゃん。
得意になられても困るんだけど……。
「ごめん。言葉足りなかった。ななちゃんはどうして、わたしが野口を殺した理由を聞かないの?」
聞くと、ななちゃんの声が少し低くなった。
「わたしは……、雪姉さまのこと信じてますから。雪姉さまがしたことなら、間違いはないと思ってます」
「わたしがしたなら殺人も許されるってこと? それってある意味、無責任だよね」
ななちゃんは首を振った。
「そういう意味じゃないんです。つまり、……だから、お姉さまほどの人がそんなことをしたなら、それなりの理由があるに決まってます。それは聞くまでもないことなんです」
「そうなの?」
「そうなんです」
わたしは、空を見ながら考え、
ようと思ったけど、石につまづきそうになったので、地面を見ながら考えた。
(この子をそこまで言わせてる、わたしの魅力って何だろう)
でも、わたしにそんなこと、わかるはずがなかった。
わからないことを悩むのはやめた。
そんなことよりも気になることがあったので、聞いてみた。
「じゃあ、ななちゃんは理由があれば人を殺してもいいと思ってるんだね」
「はい」
即答だった。
あそこまではっきりと答えるとは思ってなかった。
わたしは思わず、ななちゃんのほうを振り向いていた。
ななちゃんはいつになく真剣な表情だった。
「人が人を殺しちゃいけないなんて、人の本質を知らない人が言うことです」
その言葉には、深い意味が込められてる気がした。
「ななちゃんは、人の本質を知ってるの?」
聞くとななちゃんは、申し訳なさそうにうつむいた。
「…………いいえ。わたしは何も知りません……。ごめんなさい。えらそうでしたね。教えてもらえませんか? お姉さまが野口を殺した理由」
なんか、すごい言いにくい雰囲気だった。
(これじゃ、わたしがいじめたみたいだ)
「…………やめとく。もとから話す気もなかったし」
「わたし……、お姉さまの気分を悪くしましたか?」
不安そうにするななちゃん。
「そうじゃないよ。ほんとにもとから話す気なかったんだって。それにわたし、人から何か言われて傷つくことないし」
「それもそうですね。だって、雪姉さまですもんね」
「そうだね。穴、このへんにしよっか」
ななちゃんの言葉を、最後は軽く流し気味で、わたしは穴を掘る場所を指さした。
ある程度、道から離れてるだけで、他の場所と何も変わらない普通の場所。変に人が通らないところを選ぶと、かえって見つかるような気がしたから、そこにした。
「わかりました。まかせてください」
そう言うなり、ななちゃんが持っていたスコップで穴を掘り始めた。
わたしは手持ち無沙汰だった。
「気になってたんだけど、どうしてスコップをもう一本持って来なかったの?」
「だれが使うんですか?」
「わたし」
「そんな! 雪姉さまに穴掘りなんて、させられるわけがないです! わたし一人で、全部掘ります!」
忘れてたわけじゃなかったらしい。
「ふぅん、 がんばれ」
「はい! まかせてください!」
わたしの適当な声援を受けて、燃え立つななちゃん。
燃え尽きるまで、十分かからなかった。
*
穴を掘るのは、思ってた以上にしんどかった。
冬なのに汗がどんどん流れてきて、すごく気持ち悪かった。
地面が固くてなかなか進まないし、石とか木の根っこに当たったら、もう大変。
スコップだけしか持って来なかったのは失敗だったなぁと思った。
「……はぁ、……はぁ、……っ、だいぶ、……暗くなってきたね」
「そうですね。交代しましょうか?」
わたしたちは結局、交代で穴を掘っていた。
わたしはスコップを地面に突き刺して言った。
「うぅん。今日は、……やめにしよっか」
「えっ? まだ小さいですけど、いいんですか?」
ななちゃんの言う通り、穴は全然小さかった。
多分、野口が半分も入らない。
「また明日にしよ。一日遅れるぐらい、どうってことないよ」
「……そうですね。わかりました」
「よし、じゃあ、これ以上暗くならないうちに帰ろう」
「あっ、待って下さい」
スコップを持って先に歩き出したわたしに、ななちゃんが急いでついてきた。
「スコップ、持ちますよ」
「そう? ありがと」
土だらけになったスコップを、ななちゃんに渡した。変な子だけど、こういうところはいい。
「すみません。雪姉さまにこんなことをさせてしまって。わたしにもっと力があればよかったのに」
「別にいいよ。もともと、わたしがしたことだし」
「わたし、次にこんなことがあったときのために、これからはしっかり身体を鍛えます。それでお姉さまを守れるような、立派なナイトになります」
できればあんなこと、二度とあって欲しくないけど。
「そう、がんばってね」
「お姉さまに……! 応援してもらえるなんて……! はいっ! わたしがんばります!」
感極まったのか、目をうるうるさせるななちゃん。このリアクション、だんだんうざくなってきた。
そんな話をしてるうちに、山の入り口に着いた。
「家まで送ります」と言うななちゃんをなんとか説き伏せて、わたしは一人で夜道を歩いて家に帰った。
途中、人殺しに遭うこともなく、立ち寄ったファーストフード店でハンバーガーを食べて、わたしは帰宅した。
とりあえず泥だらけの服をぜんぶ脱いで、洗濯機に入れた。いつもなら下着も一緒に入れるんだけど、なんだか泥だらけにするのが嫌で、別に分けておくことにした。
そのままお風呂に入ってシャワーを浴びた。シャワーがあんなに気持ちいいと思ったのは、生まれて初めてかも知れない。もしかして、スポーツをする人はシャワーを気持ちよく浴びるためにスポーツをしてるんじゃないかと思ったぐらいだった。
――いや、そんなわけがないことぐらい、わたしだってわかってるけど。
お風呂を出たあとは自分の部屋に行って、ベッドで横になった。
何も考えずに、ぼーっと天井を見てると、ふと用事を思い出した。
起き上がって携帯を取り出し、ほとんど入ってないアドレスの中から、『りっちゃん』を選んで、電話をかけた。
りっちゃんはなかなか電話に出てくれなくて、もう留守電に切り替わるんじゃないかと思ったぐらいで、やっと出た。
『――も、もしもし、ユキ? どーしたの、こんな時間に』
「こんな時間って言っても、まだ九時だよ?」
ちらっと時計を見て確認した。八時四十八分。小学生とか、はたまた社会人ならどうか知らないけど、高校生ならまだ電話しても大丈夫な時間だ。
『あ、ゴメン。寝ぼけてた』
「寝てたの? こんな時間に?」
『うん、ちょっと眠くてね』
「ふーん。ま、いいや。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
『なに?』
わたしは伸ばしてた足を曲げて、あぐらを組んだ。
「竹内奈々子って知ってる?」
『え? 知ってるけど……』
「あの子って、どんな子?」
『どんな子って。えぇっと、うーん、一言で言うなら……』
「言うなら?」
『レズ、かなぁ』
「なるほど」
フムフム、と頷いてみた。電話じゃ見えないけど。
『あんまり驚いてないね』
「うん、実は知ってた」
『じゃ、何が知りたいワケ?』
「そのことが確認したかったの」
『なら、そう言えや』
「ごめんね。でも、なんであっくんは、そのことを言わなかったんだろ」
『ん? アツシ?』
「うん。学校でね、あっくんにもななちゃんのこと聞いたの。でもあっくん、個性的とは言ってたけど、レズとかは言ってなかった」
『あ~。アイツの場合、レズは欠点だと思ってるんじゃない? そんでアイツは、影で人の悪口とか、絶対言わない奴だし』
「あ、そっか」
納得納得。
『アイツもめんどくさいよネ。こっちが人のグチ言い出したら絶対ノってこないし。だいたい、頭固いのよ』
「わたしの彼氏の悪口を、わたしに言わないでよ」
腹が立つと言うより、対応に困る。
『てゆーか、なんでアンタら付き合ってんの?』
「なんでだろうね」
『いや、聞き返されても……。わかんないの?』
「うーん……。ちっちゃい頃からずっと一緒にいたし、改めてなんでって聞かれると……」
『いやそうじゃなくてね。幼馴染から彼氏彼女になったきっかけとか、あるじゃない?』
「ないよ」
『ないの?』
「うん」
『告白は? 好きとか、付き合おうとか』
「わたしからはしょっちゅう言ってるけどね、あっくんは言ってくれたことないかなあ。わたしが言ってもいっつもはぐらかされるし」
『それはユキが適当に言ってるからじゃない……?』
「あははー、そうかもねー」
だって真剣に告白するのって、わたしっぽくないんだもん。
「それはまぁ、置いといて。もう一個聞きたいことがあるんだ。りっちゃんはさ」
『なによ』
「人を殺すことってどう思う?」
『…………』
「…………」
黙り込んだりっちゃんの返事を、わたしは急かすことなく、待った。
一分ぐらいしてから、りっちゃんは静かに話し出した。
『――悪いコトだと思う……』
「やっぱり、そう思う?」
『うん。でもそれは、人を殺したコトのないアタシの意見』
「……どういう意味?」
『人を殺す人には殺すだけの理由があって、殺したコトのないアタシは、そこまでする理由がないから、しないだけかも知れない。もしアタシが同じ立場になったら、アタシはこんなコトを言えないのかも知れない』
「…………」
『でも、そんなアタシだからこそ、言うよ。人殺しは悪いコトだ』
「…………」
『…………』
今度はわたしが黙り込む番だった。
りっちゃんと、同じくらいの時間、黙考した。
そして、言った。
「…………りっちゃんは、……やさしいね」
『……。……ねぇ、アタシからも一つ聞いていい?』
「いいよ。何?」
『アタシら、友達だよね』
言葉の割に、少しイライラしてるみたいな声だった。
「……そうだよ」
『だったら。つらいことがあったら相談して。たいして力になれないかも知れないけど、出来るコトはするから』
本当にやさしい人だなって思った。
「うん。ありがと。その言葉だけで、十分だよ」
本当、もう十分。
『じゃあ、がんばってね』
「うん」
――ピッ。
ぽふっ。
「…………」
しばらくの間、布団の上に置いた携帯を、ジッと見つめてた。
一度目を閉じて、開いて、立ち上がって、電気を消して、布団の中に入った。
「…………」
今日はなんだか、よく眠れそうな気がした。
りっちゃんに電話してよかったって思った。
* *
次の日。
わたしの身体を、筋肉痛という恐怖が苛んでいた。予想しないでもなかったけど、まさかここまで痛むとは思わなかった。スポーツする人は、みんなバカだと思った。
ベッドから起き上がるのに、いつもの十倍近い労力を使って、なんとか朝の身支度を整えて、時間にせき立てられながら、家を出た。
いつもは余裕の時間だけど、今日はギリギリだった。いつもの場所であっくんが待っててくれてるかも、なんて思ったけど、そんなことはなかった。
久しぶりに一人で登校したわたしは、靴箱の前で靴を脱いで、中に入れようとして、また手紙が入ってることに気づいた。昨日のななちゃんのピンク色の手紙とは違って、味気ない真っ白な封筒。
『ゆきへ』と書かれた字を、一目見てわかった。
(あっくんの字だ)
封筒を裏返すと、やっぱり『暑司』と書いてあった。
封を切って、中の手紙を読んだ。
封筒と同じくらい味気ない内容。
たった一言。
『うらやまに来い』
* *
わたしは裏山に行った。学校は、もちろんサボった。
手紙には裏山のどことは書いてなかったけど、穴を掘った場所のことだろうなぁって、なんとなくわかった。
行ってみると、予想通り。そこには人がいた。
穴の中に。
両手両足を縛られて、猿ぐつわを噛まされて、入りきらない足を穴の外にはみ出して、目を大きく見開いて、穴の中にはななちゃんがいた。
「ンー! ンー!」
生きてた。
頭からお尻まですっぽり穴にはまって、自分では出られないみたいだったので、縛られた腕を引っ張り上げて、地面の上に座らせてあげた。
「ン! ン! ンー!」
地べたに座り込んだまま、わたしに必死で何か言おうとしてた。
とりあえず猿ぐつわを外してあげた。
「ぷはっ!」
水から顔を上げたような声を出した。
「お姉さま! 助けに来てくれて、ありがとうございます。あ、あの、大変なんです!」
「うん。わかるよ、大変なのは。今からロープ外すから」
腕のロープをほどく。割と簡単に解けた。
「わたし、誘拐されたんです!」
「誰に誘拐されたの?」
「あ、の……、……黒澤暑司……さんです……」
そう言うと思ってたけど。
腕が解けると、ななちゃんは自分で足のロープをほどいた。
ロープが外れるなり、携帯を取り出して、誰かに電話をかけた。
「電話? 誰にかけてるの?」
「えーっと……。それは……、あのぉ………」
言い渋るななちゃん。
「……そのぅ……あっ! もしもし!?」
電話が繋がったみたいだった。ななちゃんは、大き過ぎる声で携帯に叫んだ。
「大丈夫ですか!?」
『――――』
向こうの声は、わたしには聞こえなかった。
「――そうですか。でもそこはもう危ないです! いますぐはなれて下さい! あなたは殺されるかも知れ」『がちゃんっ』
その音だけは、聞こえた。
何かが割れるような音。
ななちゃんが息を呑む。
「も、もしもし!? 聞こえますか!? もしもし!?」
相手からの返事はないみたいだった。
「…………」
ななちゃんは呆然として、耳から携帯を離した。
「ななちゃん? いったい何が、」
「行かなくちゃ……」
お姉さまと慕うわたしの言葉さえ無視して、ななちゃんは山の麓へと走り出した。二瞬ほど迷ってから、わたしはななちゃんを追いかけた。
足の遅いわたしだけど、ななちゃんの足は更に遅かったので、そのうち追いついた。
わたしは走りながら聞いた。
「……ハァッ、……ハァッ、……ん、ど……、どこに……、……ハッ、行くの?……ハァッ、」
「……わたしの、ぅふ、う……わたしの家です……はぁっ、はぁっ」
「……ハッ、っ、………なんで?」
「……すみません……はぁっ、あとで…………、話します」
わたしも、走りながら喋るのはもう無理だったので、それ以上追求しなかった。
かなり走って、横腹が痛くなってきた。
そういえばわたしは筋肉痛だったっけ、と思い出した。意識した途端によけい辛く感じて、それからはなるべく関係のないことを考えるようにした。走り過ぎてマッチョになったらどうしよう、とか。
その内に、ななちゃんの家が見えてきた。もう走らなくていいんだ、って安心した。
「あっ!」
先を走っていたななちゃんが驚きの声を上げた。
どうしたのかと思って顔を上げると、ななちゃんの家の玄関から、あっくんが飛び出していくのが見えた。
「あっくん!」
わたしは思わず呼び止めていた。
「……!」
あっくんはこっちを振り向いて、わたしとななちゃんを交互に見つめると、向きを戻して何も言わずに走り去っていった。
「ちょっと待って、あっくん!」
でもあっくんは待ってくれなかった。
わたしはあっくんを追いかけるかどうかで悩んだけど、ななちゃんが家に入っていったので、そっちについていくことにした。
家の中は暗かった。
「先生!」
ななちゃんが靴も脱がずに玄関に上がって、明かりを点けた。わたしもそれに続く。
廊下の奥を見据えて、ななちゃんが息を呑むのがわかった。
でもそうしていたのは少しの間で、すぐに奥の部屋へと進んでいった。前に来た時に、野口の死体があったあの部屋へ。
部屋の中は、鉄の匂いに包まれていた。カーテンを閉めきっているせいか、部屋の中の様子は全く見えない。それでも匂いだけで、この部屋に異常なモノがあることはわかった。
――パチッ。
ななちゃんが電気を点けた。
「―――っっ!!」
続けて、声にならない悲鳴を上げた。
わたしは特に何も感じなかった。
そこには、うつぶせで机の下に頭を突っ込むようにして倒れた、野口の死体があった。その頭の周りを彩る、色とりどりの花、白い花瓶のカケラ、そして水と、それに混ざり合う赤い血。
芸術作品みたいだ、とわたしは思った。
ななちゃんがソレに駆け寄って、肩を激しく揺さぶる。
「先生! 野口先生! 野口先生!」
何度も名前を呼ぶ。
わたしはそんなななちゃんを尻目に、携帯を取り出した。
「雪姉さまっ、どうしよう! 先生が……!」
ななちゃんが振り返って、わたしを見た。
そしてそのまま固まった。
「ゆ、雪姉さま……? 何を……」
「何って。とりあえず警察を呼ぼうと思って」
そんなおかしいことをしてるつもりはなかったので、わたしは構わずに一一〇番を押して、耳に当てた。
「ちょっと! 待って下さい!」
でもすぐに取り上げられた。
「けっ、警察はちょっと待って下さい」
「なんで?」
「なんでって…………。それは…………」
ななちゃんは言いにくそうに、もじもじしていた。
しばらくそうしてからななちゃんは、「あっ」と声をあげた。
「そ、それより今は、こうなったら、あの、少しでも早く厚司……さんを探さないと! 警察がだめな理由は、後で話しますから!」
「………………わかった」
わたしとしては先に警察に連絡したかったけど、気になることもあったから、ななちゃんに従うことにした。
「でも……」
わたしは、ななちゃんの目を見て言った。
「その前に、これだけは確認させて。その野口が、本当に死んでるのかどうか」
わたしの言葉に、ななちゃんが少しうろたえた。わたしの顔色を伺うようにした後、こくんと頷いた。
「……はい。いいですよ」
「それじゃ」
わたしはななちゃんを脇に除けさせて、血の混じった水溜まりを踏まないように気をつけながら、死体の横にしゃがんだ。
脈を診ようとしたけど、どこが脈なのかよくわからなかった。だから胸に手を当てて、心臓が動いてるかどうか確かめてみた。
心臓っぽい動きはなかった。
「……今度は死んでるね」
あの時にも確認をしとけば、こんなややこしいことにはならなかったのかも、って少し後悔した。
「…………」
ななちゃんは何も言わなかった。
確認が済んだわたしは、立ち上がって、ななちゃんの方を向いた。
ななちゃんは、叱られるのを待つ子供のような顔をしてた。
「じゃ、いこっか」
「…………はい」
玄関に歩き出したわたしに、ななちゃんは俯き気味でついてきた。
そうしてわたしたちは、ななちゃんの家を後にした。




