第1章 人間殺人
「わたし、人を殺したの」
*
沈みかけの太陽に赤く照らされた教室の中、わたしは一人立ち尽くしていた。綺麗に整列した机と椅子が、わたしの周りだけ乱れていた。
わたしの両手には、花瓶があった。そして目の前には、頭から血を流して倒れる担任教師がいた。
「死んだ……?」
返事はなかった。期待したわけでもなかった。だけど、死んでいて欲しくないという思いはあった。
(殺しちゃった……)
今日はなんて運のない日なんだろう。放課後に文化祭の準備をさせられて、担任の野口と二人っきりになった時点でそう思った。だけどそれ以上に運がないと思えることが起こってしまった。
(まさか殺しちゃうなんて)
わたしはすごく後悔した。だけど後悔していても始まらない。今は何とかこの死体を隠すなり、アリバイを作るなりして、罰から逃れないと。
そう思って死体のほうに向かったわたしは……。
「……!」
衣擦れの音を聞いた気がした。左後ろ、扉のほうからだった。
わたしは目を閉じて、一回だけ深呼吸した。それから息を止め、
「――っ!」
一息に走って扉を開けた。
(誰もいない?)
そうじゃなかった。左手に、廊下の角を曲がる後ろ姿が見えた。
「逃がさない……!」
わたしは必死で追いかけた。普段走ったりなんかしないんだけど、この時ばかりは全力で走った。
でもその子は、ものすごく足が速かった。ただでさえわたしは足が遅いのに、相手が速くて追いつけるはずがなかった。あっという間に引き離されて、足音すら聞こえなくなる。
「は、は、はぁ、はぁ……、ふぅ……」
諦めてしゃがみ込んだ場所は、一階の靴箱の前だった。
そこで息が整えていたわたしは、上の方から悲鳴を聞いた。
(野口が、死体が見つかったんだ……!)
もう死体を隠せない。あとはアリバイを作るぐらいしかないけど、そんな方法すぐには思い浮かばなかった。
(とにかく、ここにいないほうがいい)
わたしは靴箱から靴を出して、穿いた。怪しまれない程度の早足で、校門に向かう。
(どうしよう。どうしよう……)
一生懸命悩みながら、わたしは家に帰った。
*
いくら悩んでもいい方法が思い浮かばず、気が付けば朝になった。
お弁当を作ったり、顔を洗ったり。いつもの習慣で学校に行く準備をしている内に、ふんぎりがついた。
(もう諦めよう。どうせ捕まるんだし、今日一日いつもみたいに過ごして、それから警察に行こう)
わたしは切り替えが早いから、それですっぱりいつも通りの気分になれた。家を出て鍵を掛けてから、待ち合わせ場所に向かった。
着いてから三分としない内に、あっくんがやってきた。わたしは笑顔を作って、走っていった。
「あっくーん!」
そのままあっくんに抱き着……こうとしたら、すんなり避けられてわたしは宙を抱くことになった。
「ちょっとぉ、あっくん! どうして避けるの!」
「何回目かわからないけど、もう一回言ってやる! 俺が避けるのは、公衆の面前で抱き合うのが恥ずかしいからだ!」
「わたしは恥ずかしくないもん!」
「俺は恥ずかしいんだよ!」
「そんなことだから、いつまで経ってもあっくんは大人になれないんだよ!」
「か、関係ないだろ!」
ちょっと慌てた感じのあっくんが、子供扱いされるのを何より嫌がってることを、わたしは知っていた。
わたしは両腕を開いて、声を張り上げる。
「ほら、あっくん! 大人になりたかったら、早くわたしを抱いて! 一緒に大人の階段を昇ろうよ!」
「やめろ! 誰かに聞かれたら誤解されるだろ!」
「誤解? それってどんな風に誤解されるの?」
「わかってる癖に訊くな!」
「えー。わたしわかんなーい」
「じゃあわからなくていい!」
怒ったあっくんは、一人で学校に向かって歩いていってしまった。わたしはそれを追いかけながら、わざとらしい猫なで声で言う。
「ねえあっく~ん。何怒ってるのぉ?」
「胸に手を当てて考えろ」
「わかった」
わたしはあっくんの後ろから抱きつくようにして、あっくんの胸に手を当てた。
「うーん……」
「おい、何してるのかはよくわかったから、もうやめろ」
「わからないなあ、あっくんがなんで怒ってるのか」
「そろそろ俺の怒る理由がもう一つ増えそうなんだが」
「そうだね。せっかく胸を触るなら、あっくんがわたしのを触ったほうが絵的にもいいよね」
「そういうことを言ってんじゃねえ!」
「というわけで、ちょっとだけ時間を巻き戻して、今度は逆でやってみよう!」
「俺はしないからな!」
「『胸に手を当てて考えろ』」
「それ、俺の真似か……?」
俺はそんな偉そうな言い方をしてるのか、とか言いながら悩むあっくんは、見た目に似合わず繊細な心の持ち主。
わたしはそんなあっくんが可愛くて、ついついからかってしまう。
「『そのうざいボケをやめろ』」
「う……。わ、悪かった。もうそんな言い方しないから、やめてくれ」
「おおー。素直に謝れるなんて、あっくんも大人になったねー」
「…………」
言い返したいけど必死に我慢してるあっくんは、やっぱり可愛かった。
「大人になったあっくんは、わたしが抱きつこうとしても避けたりしないよねー」
わたしは少しあっくんから距離を取った。それから助走をつけて、あっくんに抱きつく。
「あっくーん!」
避けられた。
「どうして!? どうして避けるの!?」
「避けるに決まってるだろ!」
「そんな偉そうな言い方していいの!?」
「今わかった! 雪を相手にする時はこれで正解なんだよ!」
「そっか! 心を許した人にだけ見せる本当の顔ってやつだね!」
「違う!」
楽しくお喋りしながら、わたしはあっくんと一緒に学校に行った。
こんな時間が永遠に続いて欲しいと願いながら。
*
いつものように、あっくんとはわたしの教室の前で別れた。
「じゃあな」
あっくんが後ろ手に手を振りながら、自分の教室へと歩いていく。
「またねー」
わたしはその背中に手を振った。
隣の教室に入っていくあっくんを見送ったあと、教室の中に入った。
わたしとあっくんが同じクラスならいいのになぁ、とか考えながら席に着くと、すぐに女の子が一人近づいてきた。
「おはよ、ユキ」
「おはよ、りっちゃん」
挨拶しながら正面の誰かの席に座ったのは、りっちゃんだった。
「りっちゃん、今朝は早いね。いつもギリギリに来るのに」
「ユキが遅いんだよ。そんなことより、あの話聞いた?」
「あの話?」
一応聞き返しはしたけど、聞く前から、何の話かわかるような気がした。
「昨日の夜ねぇ」
「うん」
「チカンが出たんだって!」
「……、ふぅん」
わかる気がしただけだった。
(てっきりあのことかと思ったら……)
不思議だった。
人が一人死んだのに、どうして噂になってないのか、不思議だった。
今思えば、人死にのあった教室に入れた時点で不思議だったんだけど。
わたしの様子を訝しんだりっちゃんが、首を傾げた。
「あれ? 反応鈍い。どうかした?」
わたしは首を横に振って答えた。
「別に、なんでもない。それ、誰がやられたの?」
「さあ? そこまでは聞いてない」
「犯人は?」
「まだ捕まってないみたい」
「どの辺であったの?」
「このガッコのすぐ近く。だからやられたのも、多分ウチの生徒だろうね」
りっちゃんは、「こわいこわい」と、たいして怖くなさそうな仕草をした。そりゃ、怖くないよね。誰だって、噂を聞いただけで自分が同じ目に遭うとは思わない。
わたしもりっちゃんに合わせて、軽い調子で答えた。
「怖いね」
「ホント。ユキも気をつけてね。あ、でもユキは、もっと気をつけなきゃならないことがあったね」
一瞬、わたしが野口を殺したことを言ってるのかと思ったけど、すぐにそんなはずはないと思い直した。
「なに? なんかあったっけ?」
心底思い当たることがなかったので、率直に聞いてみた。
聞いてから気付いた。
りっちゃんは、笑ってなかった。軽い口調でもなかった。
りっちゃんの表情は、凍りついたように固まって、動かなかった。
りっちゃんは、喜怒哀楽が激しい。いつも笑っていて、休憩時間は口を閉じている時間よりも開いてる時間のほうが多いぐらいだ。たまに怒る時も、目を尖らせてわかりやすく怒る。
だからこそ、こんなりっちゃんを見たのは初めてだった。まるで陶人形みたいに表情を消して、穴のような光彩のない瞳でこっちを見てくるりっちゃんは、見たことがなかった。
少しの間、その存在が本当にりっちゃんなのかどうかわからなくなった。まるでヒトが変わったように見えた。むしろ、ヒトでなくなってしまったようにも見えた。
りっちゃんとわたしの周りで世界が閉じられていた。りっちゃんの向こう側にもヒトがいるのが見えるのに、そのヒトはずっと遠くにいるみたいに思えた。
二人きりの世界で、りっちゃんの声が静かに響く。
「……とぼけるつもり?」
「とぼけるって、何が?」
りっちゃんは、なにを知ってるの? どこまで知ってるの? まさか……
「まさか、あれを隠したのも、りっちゃんなの?」
「あれって?」
りっちゃんが首を傾げた。わたしは自分の中の動揺を押し殺して、言った。
「……野口の死体は教室に置きっぱなしだった。最初に見つけた誰かが隠したとしか考えられないよ。あれはりっちゃんだったの? 何のために、そんなことしたの?」
「何言ってるの? 野口は……」
りっちゃんが、右手を上げた。その手はわたしの肩越しに、後ろを指差していた。
「そこにいるじゃない」
わたしはその手を追って、後ろを振り向いた。
そこには、野口がいた。
なんで? なんで野口がいるの? まさか、死んでなかったってこと? じゃあ、私が殺したのは一体誰? 昨日のあれは、全部夢だったとでも言うの?
野口はいつもと変わらず、当たり前のように出席を取り始めた。
「それじゃあ、出欠を取ります。相沢くん」
「はい」
野口の額に、何かがこぼれた。
「岩城くん」
「はい」
違う。それは野口の額から出ているんだ。
「亀田くん」
「はい」
血がどんどん流れ出て、流れ出て、止まらない。顔、胸、腹、脚と、野口の身体はどんどん血に染まっていった。なのにクラスの誰一人として、そのことを気にした様子はない。
「じゃ、次は女の子。飯島さん」
「はい」
「小野木さん」
「はい」
わたしは立ち上がった。もう考える必要はなかった。机と机の間を縫うように走った。誰もそんなわたしに目を向けてこなかった。
「白井さん」
わたしは窓際に飾られた花瓶を手に取った。
「白井雪さん? いないんですか?」
走る。走りながら花瓶を頭の上に掲げた。
振り下ろした。野口の頭に。昨日体験した感触が、手の中に蘇る。
「白井さん、いるなら返事してください」
なのに倒れない。わたしはもう一度振り下ろした。倒れない。振り下ろす。倒れない。振り下ろす。振り下ろす。振り下ろす。振り下ろす振り下ろす振り下ろす。
「どうしたんですか? 白井さん」
野口が、わたしを見た。流れる血の間から、ぎらつく瞳がこっちを向いていた。
血に塗れたその腕を、わたしのほうに伸ばしてきた。わたしはその腕に花瓶を振り下ろした。手応えはあるのに、野口の腕はびくともしなかった。
腕が、わたしの首を掴んだ。
わたしの身体が宙に浮く。花瓶を持つ手から力が抜けた。地面に落ちた花瓶が、音を立てて壊れた。
なぜか、死んだ自分の姿が目に映った。割れた花瓶の真ん中で倒れるわたしは、昨日自分が殺した野口にそっくりだった。
「白井さん? いないんですか?」
夢の中と同じその言葉に、わたしは飛び起きた。
目に映ったのは、副担任の福村だった。あと、わたしに注目してるクラスメイトたち。とりあえず教壇に立ってるのが野口じゃなかったことに少し安心して、わたしは席に着く。何事もなかったように。
だけど、何もなかったことにはできなかった。
「白井さん、大丈夫ですか? 調子が悪いんじゃないですか?」
福村が、気遣うようにそう言ってきた。
わたしは少し迷ったけど、実際、寝不足だったので、お言葉に甘えて保健室に行くことにした。自主的に付いてこようとするおせっかいな保険委員をなんとか断って、教室を出た。
人気のない廊下を歩いて保健室に向かっていると、途中で携帯に着信が入った。
開いて見ると、りっちゃんからだった。
『からだ、だぃじょぅぶ?』
「うん、大丈夫だよ」
口に出しながら、わたしはメールを返した。
一分もしない内に、メールが返ってきた。
『もし何かあったら、相談してね』
「大丈夫だってば」
授業中にメールして、そっちこそ大丈夫なのかな、とか思いながら、わたしはメールを返す。またすぐに返ってきた。受信したメールを開く。
表示された文章を見て、思わずわたしは足を止めていた。
それから改めて、そこに並んだ文字を見直す。
『話してくれるの、待ってるから』
夢はどこまでが夢だったのか。どれだけ考えてみても、結局答えは出なかった。
*
昼休みになって、わたしはあっくんのクラスにご飯を食べにいった。
あっくんはご飯を食べている最中、不機嫌そうな顔をしてた。だけど、それはいつものことだから、理由は聞くまでもなかった。
そしてそれを敢えて聞いてみるのが、わたしだった。
「あっくん、なんで怒ってるの?」
「別に怒ってねぇけど……」
「けど?」
あっくんはムスッと横を向いて言った。
「なんでお前は、いっつもここで飯を食うんだよ」
「だめなの?」
「俺は嫌だ」
「なんで?」
「恥ずかしいから」
「あっくん本当に高校生?」
あっくんはたまに子供っぽいことを言う。
「まぁ、そこがかわいいんだけどね」
「気に障る発言だな、それ」
「気にしないで。将来はわたしが面倒見てあげるから」
「お前なんか嫌いだ」
「もしかして、か弱い女の子のほうが好き?」
「少なくとも、お前よりは好きだ」
「そっかぁ。あっくんはあねさん女房よりも、妹女房かぁ」
「その発言は色々と間違ってる」
「今度からわたし、あっくんのこと、あんちゃんって呼ぶよ」
「……うぜえ」
(あっ、やばい)
あっくんがキレそうな雰囲気が伝わってきたので、話題を変えることにした。
「ところで、あっくん。昨日、痴漢が出たって話だけど」
「…………」
相槌を打たないのは、不機嫌な時。
でも、こういう時でもあっくんは、話をちゃんと聞いてくれてる。
「あれ、誰がやったかとか、やられたのが誰かとか、知ってる?」
あっくんは軽く口を開けて、目を見開いて、なんか少し驚いたみたいだった。
わたし、おかしなこと聞いたかな?
「……ぁ、ああ。噂でなら聞いてる」
「どんな噂?」
「噂というか、俺の推測でもあるんだけど……」
あっくんが顔を引き締めた。
「犯人は……あまり言いたくないが、お前のクラスの担任の野口が怪しいと思う」
「うん。それはうちのクラスも、みんなそう言ってる」
ほんとうは違うんだけどね。
「そうか。それで被害者の方だけど」
「うんうん」
「俺のクラスの竹内奈々子じゃないかと思う」
「誰? それ」
わたしの問い掛けに対して、あっくんはまるでそう来るとわかってたみたいに答えた。
「かなり背が低い上に、喋り方は子供口調。髪型が毎日ころころと変わる、個性的な女子だ」
「はっきり『変』って言えばいいのに」
「そういう差別用語は、使わない事にしてんだよ」
「そういえば、あっくんは妹キャラがタイプだっけ」
「それは誤解だ!」
「ひょっとしてあっくん、その子のこと……」
「…………」
(あ、不機嫌モードになった)
本当に子供なんだから、と思いながら、わたしは話を戻した。
「どうしてその子が被害者だと思うの?」
「……。……まず一つは、今までほとんど休んだ事のないその子が、今日に限って休んでいる事と」
「と?」
「その子が、…………ロリコンうけしそうな、可愛い子だからだ」
「…………、あっくん、……やっぱり」
「違う! あくまで噂だ!」
「でも、あっくんの推測でもあるんだよね」
「うっ、……それはそうだけど」
「あっくん、ロリコンだし」
「それは違う!」
「わたし、その子に負けないようにがんばるよ! あんちゃん」
「こんのぉぉ……!」
あっくんが怒った顔をしながらうなる。
「ちなみにわたしは、ツンデレな人がタイプなんだ。べ、別にあんちゃんのことじゃないんだから、勘違いしないでよね!」
「お前がツンデレしてどうする!? あと俺はツンデレじゃない! あんちゃんって呼び方もやめろ! って言うか、俺はどんだけツッコめばいいんだ!!」
「…………」
「はぁ、はぁ、は…… あ」
熱いツッコミを終えたあっくんは、はっと気づいて、辺りを見回した。
わたしもそれに合わせて回りを見る。
わたしとあっくんの漫才(?)は、いつの間にかクラス中からの視線に晒されていた。
だからって、わたしはどうってことないけど、あっくんはそういうのをすごい気にする。
「…………」
無言で昼ご飯のパンを食べ始めたあっくんを見つめながら、わたしは笑顔でお弁当を食べた。
やっぱり、あっくんはかわいいなぁ。
結局、最後の授業が終わるまで何も起こらなかった。
わたしが放送で呼び出されることもなかったし、野口が死んだことも噂にならなかった。
授業が終わった後、あっくんと りっちゃんはそれぞれ部活に向かったけど、帰宅部で、一緒に帰る友達もいないわたしは、一人で帰ろうとしてた。
靴箱の前で上履きを脱いで靴箱に入れ、下足を取り出そうとした時。中に手紙が入ってるのに気づいて、わたしはびっくりした。
それ自体は別に珍しいことじゃない。わたしは友達は少ないし、あっくんにぞっこんだけど、なぜかこういうことは尽きない。
わたしがびっくりしたのは、その手紙がピンク色で、女の子っぽくて、何よりも、差出人が竹内奈々子だったことだ。
今日欠席してるはずの竹内奈々子。
痴漢に遭ったって噂の竹内奈々子。
あっくんのお気に入りの竹内奈々子。
その竹内奈々子からの手紙だった。
(女の子からラブレター貰うのは、さすがに初めてだなぁ)
わたしは靴を履きながら手紙の封を開けて、歩きながら読んだ。そこには、女の子っぽい丸文字で、長々と文章が綴られていた。
『雪姉さまへ
はじめまして。
こうやってお手紙を出すのは初めてですね。突然の手紙でおどろかれたことと思います。
わたしは、お姉さまのとなりのクラスの、竹内奈々子って言います。みんなからはナナちゃんって呼ばれてます。
今日、お手紙を書いたのは、お姉さまにどうしても伝えないといけない、大事なことがあるからです。少し長いお手紙になるかも知れませんが、どうか最後まで読んで下さい。
まず始めに。
わたしは雪姉さまのことが好きです。
すごく好きです。
お姉さまのことを考えると、すごくドキドキします。今だって、すごくドキドキしながらこのお手紙を書いています。
わたしがお姉さまのことを気になり出したのは、この高校に入ってすぐのことです。
最初は、いつも一人ぼっちの暗い人だと思っていました。
でもお姉さまは、一人でいても全然さみしそうなそぶりは見せず、人から何と言われようと、堂々とした態度をくずしませんでした。
今でこそ友達がいるようですが、それでもお姉さまの素晴らしさには変わりありません。
わたしはもう、お姉さまのことしか考えられません。雪姉さま以外のお姉さまは目に入りません。男なんて論外です。
…………』
ここからはほとんど覚えてない。
まともに読むのをやめたから。
確か、『雪姉さまのことを考えると夜も眠れない』とか、『いつもお姉さまのことを見ています』とか、『お姉さまとわたしが別のクラスになったときは、死にたくなった』とか書いてたと思う。
そんな話が延々と、大きめの便箋で四枚ぐらい続いた後、やっと本題に入った。
『ついつい話が長くなってしまいました。ごめんなさい。
でも、先にこのことを伝えておかないと、わたしのことを信じてもらえないと思ったんです。
きのうわたしは、居残りをしていたお姉さまのことが気になって、部活が終わったあと、お姉さまの教室に行きました。ですが、わたしが教室につく前に、教室から飛び出して、廊下を走っていくお姉さまの後ろ姿が見えました。
おどろいて後を追いかけようとしましたが、教室の中の様子に気づいて、追いかけるのをやめました。
中では野口が倒れていました。
何があったのかは今でもわかりませんが、これを隠さないとお姉さまが大変なことになると思いました。
別な場所で悲鳴を上げて、人をそちらに引き付けているすきに、野口を体育倉庫に運びました。
その後、わたしの悲鳴で集まっていた人たちの近くに隠れて、見つけてくれた人に、「痴漢にあって、怖くて隠れていた」と話しました。誰にやられたのかと聞かれて、わたしは、「相手の顔は見てません」と答えました。その後もいろいろ細かいことを聞かれましたが、適当にごまかして、そのあとわたしは、もう大丈夫ですと言って、家に帰りました。
しばらくしてから、もう一度学校へ行って、野口を自分の家に運びました。わたしは一人暮らしだし、家が学校に近かったので、誰にも見つからずにすみました。
でもこれからどうしたらいいかわからないので、お姉さまにお手紙を書きました。
下に住所を書いておきます。できれば、一度うちに来て下さい。
親愛なる雪姉さまへ
奈々子より』




