2-4
――事件は、終わった。
だけど俺の心の中には、まだわだかまりが残っている。なぜならこの事件は、どう考えてもハッピーエンドではなかったから。
内海が死なずに、生きようと決意してくれた。そのことは、勿論良かったと思う。
だが、一人助けることが出来たから、他の三人を助けられずに死なせてしまったことが赦されるのかと言うと、決してそんなことはない。
特に、中沢と甘木。二人の死は、俺が一生背負っていかなくてはならない、俺の罪だ。
どうやってその罪を償っていけばいいのか、それはわからない。
罪を背負い続けることこそが償いなのか。
誰か他の人を救うことが償いになるのか。
それとも決して赦されることはないのか。
わからない。
しかし、内海のしようとした方法だけは、絶対に間違っていると言い切れる。
死は、償いにはならない。
それは十年前に、既に学んだ。
だから俺は、これからも生きていく。罪を背負いながら。
「難しい顔してどうしたの? あっくん」
向かい席からの声に、ハッと我に返った。
「悪い、ぼーっとしてて」
喫茶店で二人。いわゆるデートの最中だというのに、こんなことを考えるのはあまり良くないということは、自分でもわかっている。
しかし昨日からずっと、このことが頭から離れない。
夜布団に入った時、朝起きた時、ご飯を食べている時、用を足している時、授業の合間、会話が途切れた時。
ふと気付けば、事件のことを考えている。
それ自体は決して悪いことではない。罪の意識があるのは、むしろ良いことだと思う。それに雪だって、デートに集中出来ないことを怒ったりはしないだろう。
だけど俺は、このことを言い訳にはしたくない。なぜならこれも、俺の償いの一つだと考えているからだ。
小さいことだが、こうやってコツコツ償っていくしかないんだろう。
「ねえ、なに考えてたの?」
だから雪にこう訊かれて、少し焦った。
「いや、なにって。その……だな……」
なんて答えよう。
これは償いだ。だから雪には話さない。だけどそれなら代わりに尤もらしい理由を作らなければならない。ウェイトレスの制服に見とれていたことにするか? いや、いくらなんでもその答えは俺のプライドが……。いやいやしかし、これも償いの一つだと考えれば、そう答えた方がいいのかも知れない。実際に初めてこの喫茶店に入った時は、二秒ぐらい見つめてしまったんだし。だが仮にそう答えたとして、どうなる? 雪を怒らせるだけじゃないのか? 雪の性格からして怒ることはないかも知れないが、不快にさせてしまうのは間違いない。償いが償いを生む結果になりかねない。なら、どう答えればいい? この質問を上手く回避するその答えは……!
「……この店の支払いをどっちが持つのか、気になってな」
「あっくん」
「即答かよ!」
質問を回避したことに安心する暇もねえな!
「なんでだよ! 俺は金ないっていつも言ってんだろ! それに誘ったの雪の方だし、前回も俺が払ったし、普通ここは割り勘だろ!」
激情している俺を前に、雪は全く動じずニコニコ笑顔。
「でもほら、あっくんも是非行きたいって言ったじゃない」
「いやあれは……!、ってか是非とか言ってねえし……」
「前回だって、あっくんは納得ずくで払ってくれたんだし」
「あれを納得したっていうのかお前は!」
「だからあっくんが払って」
「だからそれがおかしいっツってんだろっ!」
思わず立ち上がって机を叩く。
――と、そこでデジャヴュが。
はっと横を見ると、予想通り。ウエイトレスさんが笑顔で立っていた。偶然なのかなんなのか、いつも同じ人だ。
「「…………」」
しばし無言で見つめ合う、俺とウエイトレスさん。
ニコッと可愛らしく首を傾げられたウエイトレス様の仕種に、俺は耐え切れず床に手を着いて土下座のポーズ。
「騒がしくして申し訳ありませんでしたッ!」
体育会系のノリで謝罪した。
そのまましばらく待っても何一つ反応がないので、恐る恐る顔を上げてみると、そこには既にウエイトレスさんの姿はなかった。終始無言で俺たちを黙らせた……。あのウエイトレスさん、ただ者じゃないな。
未だ空中に漂っているようにも感じられる威圧感に恐怖を覚えながら、俺は立ち上がった。
手を軽く払ってから顔を引き締め、席に着いて、雪と向かい合う。
「さて、本題に入ろうか」
「さすがにその切り換え方は格好悪いよ……」
「さっきのやり取りは忘れてくれ」
「………………………………うん」
あれ?
ここでまたからかわれるだろうと思ったのに、妙に素直だ。何があったんだ? 雪の心境に変化でもあったのか?
「あまりにも格好悪すぎて、なんか可哀相になっちゃった」
「そういうオチか……」
なんか締まらないな。
「それで、」
「ん?」
今度は雪の方から話を振ってきた。
「本題ってなに?」
「ああ」
それか。逸れかけた話が戻ってきて、かなり助かる。今日の雪は優しさ五割増しだ。
「俺にはわからない」
「へ?」
雪の面食らった顔が見れた。割とレアな表情だ。
そしてその表情は、すぐさま膨れっ面に取って代わる。
「あっくんにわからなかったら、誰がわかるって言うの? ほんとは気まずくて話を変えたかっただけで、本題なんてないんでしょ」
「いや、ある」
「じゃ、なに?」
「それはお前が知っている」
今度は訝しむような顔をする雪。そんな雪に対して、俺は言葉を続ける。
「悩みがあるんだろ? それを俺に聞いて欲しくて、今日は誘ったんじゃないのか?」
表情が消えた。ただしそれはほんの少しの間で、すぐに雪は薄い笑みを浮かべた。軽く手で拭っただけで剥がれてしまいそうな程に、薄い笑みを。
「もう。みんなわたしに見透かしたみたいなことばっかり言うんだから」
「じゃあ、あるんだな」
「うん、あるよ」
答えは、思いの外あっさりと返ってきた。
「何を悩んでるんだ?」
「どうせわかってるくせに」
「予想はつくけど、雪の口から聞きたい」
はぁ、と雪がため息をついた。
「あっくん……。最近のわたし、なんか変だと思わない? ううん、わたしはいつも変だと思うけど、その変なわたしがさらに変っていうか……」
「そこまで自虐的にならなくてもいいけどな」
続きを口にするのが少しためらわれて、言葉に詰まる。間を持たす為と、喉を潤す為に、目の前のコーヒーを啜る。苦みが口に広がって、却って喋りにくくなった。
「確かに、最近の雪は雪らしくないと思う」
「やっぱり……。そう思ったのっていつから?」
そう言えば、いつからだろう。
はっきり意識したのは、あいつにあんなことを言われてからだが、それまでも漠然とした違和感を感じていたような気がする。
いつからなのか、記憶を掘り起こしながら考える。
「……雪が警官と話してた時から、だな」
「え?」
意外だったのか、雪が驚いたようなそぶりを見せる。
「わたしがりっちゃんの足を掴んだ時じゃないの?」
「いや、あの時は必死だったし、そこまで気が回らなかった。俺がおかしいと思ったのは、その後、雪の警官への対応だよ。お前、あからさまに無視してただろ?」
「う、うん」
「今までの雪なら、人を邪険にするなんてのは有り得ない。雪にとっては、人間全てが単なる他人でしかないからな。対応に違いがあるとしても、それは利用出来る人間と出来ない人間に対する違いだ。意味もなく無視するなんて、有り得ない」
「あれは、利用出来ないから無視しただけだよ」
「いや。今までの雪なら、あそこまで無視しない。適当にあしらうなりして、黙らせたはずだ。それを無視したのは、苦手な相手だからだろ? 良くも悪くも他人に平等だった雪が、平等じゃなかったから、おかしいと思ったんだ」
雪は黙り込んだ。
別に相手を言い負かすのが目的じゃなかったから、この沈黙は少し辛い。
「実はね……」
雪が話し出した。
「れーちゃんを学校に呼び出したのは、れーちゃんを殺すためだったんだ」
「知ってる」
「だよね」
零れるように、雪は笑った。
「でも聞いて。わたしね、事件を解決するには、れーちゃんが死んじゃえばいいんだって思った。仮にあそこで、あっくんにわたしの推理を伝えても事件が長引くだけでしょ? 今でこそ、れーちゃんは立ち直って、生きていく決意をしたけど、こんな風になる保障なんて、少しもなかったから。死んでくれた方がさっぱりすると思ったの」
崩れるような笑みだった。
「それでね。わたしの悩みだけど。――もちろん、れーちゃんを殺そうと思ってた自分が嫌になったとかじゃないよ」
「だろうな」
その笑顔は、まるで雪らしくなくて。
「どうしてわたしは、りっちゃんを助けちゃったのかな?」
本当に雪らしくない。作り笑顔なんて。それを俺に――利用できない人間に向けるなんて。
「れーちゃんが飛び降りた時は、普通に見送ることができた。でも、りっちゃんが飛び降りた時は、どうしてかわからないけど手が出たの。自分も死ぬかも知れないのにね。こんなのわたしじゃない」
「一応確認するが、内海と律を差別したことを悩んでる訳じゃないよな?」
雪はキョトンとした。
それから納得したように、軽く口を開いた。
「ああ、そっか。そういう考え方もあるんだ。違うよ、そうじゃない。わたしは、自分が変わるのが怖いの」
俺が。
「ううん、怖いっていうか……。そう、気持ち悪い。わたしは漫画なんかに出てくる主人公じゃないし、自分が一番大切なの」
俺が、雪を……。
「そのわたしが自分の命をなげうってまでヒトを助けるなんて……、わたしらしくないじゃない。だから……」
「…………!」
俺は耐えられず、テーブルの上に両手をついた。大きな音が出て、雪が少し驚いていた。
「すまなかった、雪」
そして机にこすりつけるようにして、頭を下げた。
「え……、何?」
「全部俺のせいだ。雪が今悩んでいるのも、十年前のことをこんなに長く引きずっているのも」
十年前と聞いた雪の表情が、即座に固くなる。
「……どういうこと?」
「俺は、もっと雪のことを認めてやるべきだった。雪のことを冷たいとか何とか言って、それで雪を苦しめていた。責務とか義務とか、そんなんじゃなく、もっと雪を見てやらないといけなかったんだ。俺が雪を縛り付けていたんだ」
俺の謝罪を聞いても、雪は納得出来なかったようだ。
「あっくんは、何でもかんでも自分のせいにしすぎだよ。わたしがヒトに優しくないのは確かだし「それは違う」
雪の言葉を、強く否定する。
「お前は……」
昨日、警察に連れていかれた俺は、例の警官と話す機会があった。それは事情聴取と言うより、カウンセリングのようなものだった。
『あの子は苦しんでるんじゃないかな? 無意識の内に、大事な人が思う自分であろうとして。自分が変われば、関係も壊れてしまうと思ってるのかもね。大事なのは……』
「お前は……」
『認めてあげることだよ』
「優しい人間だ」
雪が息をのんだのがわかった。しかしそれが、どんな感情から来る仕種なのかまではわからなかった。
それからしばらく、逡巡するようにテーブルの上のカップに目を落としていた。
「あの警官に何か吹き込まれたの?」
さすが、鋭い。
その問いは、明らかな嫌悪感から来るものだった。俺は答えず、続ける。
「雪はよく、自分のことを異常だとか、変だとか言うよな。でもそんなことはない。誰だって自分のことは大切だし、自分に良くしてくれる人を大切に思う。お前はただ、自分が変な方が安心していられるんだ。まともな人間になって、傷付くのが怖いんだ。だけど怖がらなくていい。お前は受け入れてもいいんだ。人に優しくしてもいいんだ。今まで通りのお前でなくてもいいんだ。今まで通りのお前じゃなくても俺は……」
「お前の傍に居るから」
「俺は、雪のことが好きだ」
思えば、今まで何となく付き合っていただけで、改めて告白したことはなかった。
俺の告白に、雪が何を感じたのか、その仮面のような無表情からは窺い知れない。しかし何かを感じたことは間違いない。
それきり雪は何も話さなかった。目の前に置かれたミルクティーを飲んだり、外の景色を眺めるだけだった。俺も言いたいことは全て言い切ったから、もう何も言えない。
「俺、帰るよ」
そう言って、領収書を取り、レジに向かう。
「待って、あっくん」
そこを呼び止められた。
振り返ると、雪がこちらに歩いてきていた。俺の前まで来ると、右手を差し出してくる。俺は思わず、それを受け取っていた。
「わたしも半分払うよ」
それはお金だった。五百円玉が一枚。明らかに半分を超えている。
「……サンキュ」
やっぱり雪は変わった。
俺は、今度こそレジに向かう。
店を出る時、振り返ると、雪がもう一度席に戻っていくのが見えた。




