第10話 消失
わたしは王太子殿下の私室前の廊下でお父様に泣きついた。
「……もう、帰りたいです。もう、嫌です」
お父様はわたしの背中を優しくなでてくれた。
「申し訳ございません。娘はもう限界です……」
王妃様に向かって懇願するけれど、王妃様は首を縦には振って下さらない。
消臭しないと困る。
その一点張りだ。
王妃様のお気持ちは分かるけど……、これまでずっとわたしは耐えてきた。もう、いい加減にやめても良いでしょう?
泣き落としが足りないか。婚約をなくしてもらわないなら、もうこれ以上消臭しないと脅すべきか。
考えているうちに、足音がして……ジェナ嬢を連れたマクシミリアン殿下がやってきた。
「母上! またその詐欺師どもを連れてきたのですか!」
「だってにおうのだもの」
「においませんっ! 母上はそいつらに騙されているんです!」
「このにおいを消せるのはエアリスさんしかいないのよ! エアリスさんがいなくなったら、もう耐えられないわ!」
「だから! 何もくさくなんてないでしょうに!」
「いいえ、マクシミリアン! あなたのギフトがくさいのよ!」
ぎゃあぎゃあとうるさいマクシミリアン殿下と王妃様。
ジェナ様は、お二人が争う様子を見て「えっと、ちょっとにおいますねー」なんて、のほほんとしている。
……ホントすごいわ、ジェナ様。この腐った肉を一か月以上放置したようなにおいが「ちょっとにおう」程度なの?
信じられないとぼそっと言ってしまったら。
「平民の貧民街はもっとすごい匂いですよー」との返事。
呆然としていたら、更なる足音が聞こえて……晴れた空のような明るく澄んだ青の髪の男女が現われた。
男性のほうは同じクラスの令息、フェアファクス侯爵家のナサニエル様だ。教室では挨拶する程度で特に親しくはないけれど、洗礼日は一緒だった。
女性のほうは、フェアファクス侯爵令息と似ている顔立ちに、同じ色の髪の毛……ということは、親戚とか姉とかかな?
その女性が「うふふふふふ。皆様お揃いですのねぇ、ごきげんよう」とおっとりと微笑まれた。
……お美しいんだけど、なんとなく背中がひゅっとするような感じがする。なんだろう?
「ナディア……。どうしてここへ」
「うふふふふ。王妃様におかれましては色々とご苦労が多いご様子ですわねぇ」
ナディア様というお名前……、ああ、国王陛下の側妃様か。
王妃様と側妃様の視線がぶつかって、火花でも散っているみたい。
なんか怖い……。
お父様にしがみついている腕に、更に力がこもってしまう。
「うふふふふ。そちらが平民上がりの男爵令嬢? 前世は『聖女』でギフトは『浄化』と聞いているわ。すごいわねえ『浄化』なんて……」
ナディア様がジェナ嬢に微笑みかける。
「ねえ、もう『浄化』のギフトはきちんと使えるのかしらぁ?」
いきなり問われたジェナ嬢はこの人誰? みたいな目で側妃様を見て、それでも「えっとー、あのー、練習してだいぶできるようになりましたー」と、間延びした声で答えた。
「ナサニエル?」
「……ジェナ嬢は嘘は言っていません」
ああ、そう言えば、フェアファクス侯爵令息は二つもギフトを持っていた。一つは『鑑識』もう一つは『判断』で……。それから、今の会話からすると、ジェナ嬢の発言が嘘か本当かをギフトを使って『判断』したのかしら?
そうだったらすごい。
「ナサニエルがそういうのなら、ジェナ嬢は確かに『浄化』を使えるのねぇ。だったらねえ、『消臭』の代わりに『浄化』でもいいんじゃないのぉ?」
「……ナディア、あなた、何が言いたいの?」
「うふふふふ。 その『消臭』の子、王太子の婚約者なんてもう嫌だって泣いているんでしょお? かわいそうじゃないのぉ」
そ、側妃様ああああああ! あなた女神? 女神様なの? わたしに味方して、王妃様を説得してくれるの?
わたしは盛大に頷いた。
ああ!
なんてありがたい!
お願いです! わたしを王太子殿下の婚約者から取りやめて、ジェナ嬢を新しく婚約者にして!
喜びにあふれたのはわたしだけじゃなかった。
王太子殿下も、盛大に頷いている。
「母上! 俺様は、ジェナを愛しているんです! その女など不要です! 俺様の婚約者はジェナにしてください!」
「あたし、マクシミリアンと仲良しなんですー。 『聖女』で『浄化』のギフトなんて、お買い得ですよー!」
今だけは、わたしもマクシミリアン殿下とジェナ嬢を応援します!
破棄でも解消でもいいからもうわたしを自由にして!
お願いします!
……だけど、王妃様は苦々しいお顔。
「……本当に『浄化』ができるの? このにおいを消せるの?」
「できまーすっ! やってみせますよー!」
ジェナ嬢がぐっと手を握る。
そして、その握られた手が虹色めいた淡い光を帯びて……。
「『浄化‼』くさいにおいよ、消えてー!」
視界いっぱいに広がった虹色の光。その光が収束すると……あたりに充満していたくさいにおいも消えた。
「わあっ! すごい! すごいです! ジェナ様の『浄化』はわたしの『消臭』よりももっとずっとすごい!」
ふっふーん! と、鼻高々という感じで、胸を張るジェナ様。
「この程度、前世『聖女』のあたしには簡単よー!」
すごい!
空気清浄機の最上機種よりもすごい消臭効果! あ、消臭じゃなくて、浄化か!
思わずわたしは拍手を送った。
わたしだけじゃなく、側妃様もニコニコしている。
「すごいわぁ! もしかして、そこにあるくさいにおいを消すだけではなくてぇ、根本的に『浄化』のできるのかしらぁ?」
根本的? 根本というと……、わたしはじっと王太子殿下を見て聞いてみた。
「えっと、根本的と言いますと……、そもそもにおわないようにするということですか? でも、王太子殿下のギフトは常時発動型ですよね?」
常に発動するモノを、元からなくす……?
どうやって?
空気清浄機の『消臭』だったら、そこにあるにおいを消すだけ。におわなくするように……は、できない。常に『消臭』した結果、においがしないとかいうのならともかく……。
でも『聖女』の『浄化』だったら、王太子殿下がにおわなくなるようにできるの?
「ねえ、どうかしら? 前世聖女様? 『浄化』してぇ、王太子殿下が初めからにおわないようにできるかしらぁ?」
ジェナ様はちょっと考えている。
そのジェナ様の腕を王妃様ががっしりと掴んだ。
「本当にマクシミリアンのギフトを消せる? 『浄化』して、二度とにおわないようにできるのなら……。あなたをマクシミリアンの婚約者にしてもいいわ」
王妃様! あああああ! 嬉しい!
わたしは思わず立ち上がった。
神様に祈るように、胸の前で手を組んでジェナ様に祈る!
「ジェナ様! お願いします! わたし、もう、マクシミリアン殿下の婚約者なんていやなんです! 『消臭』してもありがたく思われないどころか、詐欺師扱いで! わたしは別の場所で『消臭』に励みますから! 王太子殿下のことは、完全にジェナ様にお願いしたいんです!」
土下座とかしてもいい!
頼みます!
「えっと……。マクシミリアンを『浄化』すればいいのー?」
ジェナ様はよく分からない感じで、きょときょとしながら側妃様と王妃様とわたしを発現順に見た。
「よくわからないけどー。『浄化』したら、あたしがマクシミリアンの婚約者になれるってことですよねー! じゃあ全力で『浄化』いっきまーっす!」
においを消した時の虹色の光。それよりももっともっと強い光が王太子殿下を包み込む。
キラキラと輝いて、虹色というよりは……なんというか、オーロラとかプリズムみたいな、目がくらむくらいのものすごい輝き。王太子殿下のお姿も、光の乱反射で見えない……。
眩しすぎて、何も見えないほどで……。
……でも、違った。
眩しくて、王太子殿下の姿が見えないんじゃなかった。
光が収束した後に、王太子殿下は居なかった。
「え?」
大理石の床に、王太子殿下が着ていた服だけが、落ちていて……。
「え? 殿下はどこに?」
「消えた……?」
何が起こったの? どうして殿下がいないの? 服だけが残されて……。
訳が分からない。
王妃様もジェナ様もフェアファクス侯爵令息も……、わたしもお父様も、目の前の光景が信じられずに呆然としてしまった……。




