幕間 前半
あの夜会の日。
エスメラルダが連れてきた、初めて見る令嬢に一瞬目を奪われた。
夜の闇のように深い濃紺のドレスに、陶器のような滑らかで白い肌。
サファイアを溶かし込んだような、伏せられた睫毛から覗く落ち着いた青い瞳。
「女性は少し目を離すと、いつの間にか蝶のように美しくなるものですね」
直前に話していた相手が、思わずといった様子で呟く。
「あ……、ええ。彼女のことをご存知ですか?」
「はい。今まであまり目立つ令嬢ではありませんでしたが、彼女はハイデン家のシャルティナ嬢でしょう。婚約者はいないものの、いつも同じ連れがいた筈ですが……」
それを聞いて、少しがっかりした自分に驚いた。
今まで自分は女性に対しまったく興味がないと、つい先ほどまで思っていた。
そんな自分が惹かれた女性に、既に相手がいるとは不運すぎた。
婚約者ではないというのが少し気になったが、縁がなかったのだろう。
意識を無理矢理に切り替え、つまらない社交を続けていった。
それでも無意識に、会場にいる彼女を目が探してしまう。
休憩室へでも行っているのか、ダンスホールにもエスメラルダの隣にもいなかった。
ハッと、我に返る。
相手がいるのだからとすぐに諦めたはずなのに、それでも探してしまうとは。
重症だなと一人苦笑し、頭を冷やすために庭園へと向かった。
月明かりと小さな魔法の光しか灯らない薄暗い庭園。
少し冷たい風を浴び熱を冷ましていると、その風に乗って微かに”離して”と女性の声が耳に届いた。
痴話喧嘩かと思ったが、そうでないこともありうる。
どちらにしても注意しようと足を向けると、木の陰で、彼女が男に触れられ、今にも涙をこぼしそうに恐怖していた。
カッと頭に血が上り、問答無用で二人の間に身体を割り込ませる。
抗議しようとした男を睨みつけ「私の顔がわからないほど酔っているのか?」と威圧すれば、わたわたと慌てながら急ぎ去っていった。
涙を滲ませる彼女に、内心少しだけ失望した。
今回は相手が悪かったのだろうが、夜会で女一人庭園に出るなど、”そういう”意味しかない。
美しいのは見た目だけかとガッカリしたが、それでも怖い思いをしたのは可哀想だと、会場に戻るまでは見届けることにした。
「本当にありがとうございました」
彼女はそう言うと、何度か振り返りながら会場へと戻っていった。
後を追いたい足をその場に縫い止めながら、彼女が見えなくなるまでその背中を見ていた。
それから数日後、エスメラルダから連絡があった。
珍しく、個人的に頼みたいことがあるから会えないかと。
エスメラルダは親同士仲が良く、そして私に妙な興味を持たない、友人に近い知人だ。
そんな彼女が自分に何を頼みたいのかと、少しの好奇心が刺激され、会うこととなった。
「まずはお礼を言わせて頂戴。夜会で私の友達を助けてくれたでしょう? とても助かったわ」
友達というのは彼女のことだろう。
偶然、嫌がってるのを見てつい間に入ってしまっただけで、感謝されるほどのことではない。
「ああ、気にするな。たまたま居合わせただけだ」
「それでも、よ。あの子が夜会に慣れていないことを失念していたせいで、怖い思いをさせてしまったわ」
「夜会に慣れていない?」
彼女を知っている貴族がいる程度には夜会に顔を出しているはずだが、慣れていないとはどういうことだとエスメラルダに話を促す。
「この前の夜会ではたっぷりドレスアップしてあげたのだけど、普段はもっと目立たない子なのよ。それで、普段は疲れると庭園で休憩していたらしいのよ」
それから彼女の母は平民で、夜会での立ち居振る舞いを教えてくれる人が誰もいなかったらしいとエスメラルダは言った。
「そう、か……」
彼女は男を漁るような人間ではなかった。
単純に無知だっただけ。
それだけのことに、内心でホッと息を吐く。
「それでね、頼みたいことはあの子——シャルティナのことなのよ」
エスメラルダの真剣な表情に、少し居住まいを正す。
「あの子、最近結婚の約束をしていた相手に裏切られてね……。気晴らしに夜会に連れていったら、どうも素敵な人に出会ったみたいで」
聞きたくないと、耳を塞いでしまいたかった。
だが、エスメラルダの言葉は止まらない。
「だから、その素敵な人とまた会うチャンスをあげたくって」
「……男の紹介などしないからな」
「あはっ。嫌ねえ。素敵な人ってあなたのことよ」
エスメラルダは人の気も知らないで、「その感じだと脈ありかしら?」などと言ってコロコロと笑っていた。




