第八話 幸せのベリーパイ
アスガルド邸に来てから一ヶ月経った。
半月前から礼儀作法の先生から高位貴族としての振る舞いを習い始め、だいぶ使用人の顔と名前も一致するようになり、シャルティナはようやくこの生活にも慣れてきた。
そろそろナターシャとの約束を果たそうと、料理長に厨房を少し貸してほしいとお願いすると、快く許可してもらえた。
丁度食べ頃のベリーをたくさん仕入れていたタイミングだったようで、どれだけふんだんに使っても在庫の心配はないと言われて安心する。
森の浅い所に魔物はあまりいないと聞き、自分で採りに行こうかと思っていたので、すぐに作り始められるとシャルティナは喜んだ。
ベリーがたくさん採れた時に作るいつものパイ。
使い慣れない調理器具が多かったが、料理長が丁寧に教えてくれたおかげで、さほど苦労せず使うことができた。
(ナターシャさん喜んでくれるかな……シュヴァル様にも食べて欲しいわ)
あの日のことを思い出して、少しだけ手が震える。
けれど、ベリーパイには罪がない。
美味しく焼き上げて皆と一緒に食べるんだ! と、嫌な気持ちを振り切って黙々と作っていく。
予熱してくれていたオーブンに入れ、あとは焼き上がるだけだ。
シャルティナとナターシャ、そして料理長の三人は、厨房の奥にあるテーブルでお茶を飲みながらパイが焼けるのを待っていた。
「んん、この焼けるまでの香りもたまらないわあ」
ナターシャは自分の好物がもう少しで出来上がると上機嫌だ。
料理長も、たまには人が作ったものが食べたいと思うらしく、焼けるのを今か今かと待っていた。
シャルティナは、出してもらったお茶を一口飲むとその香ばしさに驚いた。
「このお茶はどこのものですか?」
「ああ、これは賄い用で、普段出しているものじゃねえんですよ。余った麦をたっぷり炒って、濃いめに煮出すのがうまいんだ。悪くなりやすいからここでしか飲めない特別な茶だな」
「特別、なんて。そんな大層なものじゃないでしょ」
料理長の軽口にナターシャがつっこみを入れる。
パイが焼き上がるまで、レントとお喋りしながら待ってたこともあったなと、ほんの少しだけシャルティナの胸が傷んだ。
レントが浮気をしていたことを知った直後は、何を思い出しても悲しく、泣いてしまったこともあった。
けれど、良い思い出は、良いままでいいんだと、最近は思えるようになった。
きっと思い出せば胸は痛むけれど、あの頃は本当に、それが幸せだと思っていたのだ。
全部を嫌な気持ちで思い出す必要はないと、きっとこの胸の痛みもそのうちなくなるだろうと思う。
そしてもうレントとの思い出が増えることはない。
これからは、ナターシャや料理長、そして何より想い人のシュヴァルと、思い出を作りたい相手は沢山いるのだ。
そんなことをつらつらと考えていたら、料理長が「そろそろじゃないか?」と声を掛けてくれたので少しだけオーブンを開いて中を覗いてみる。
すると、それはもう完璧な焼き加減で、料理長本人のレシピじゃないのに、見ることもなく焼き上がりの時間がわかるなんて、「さすがプロは違う……!」と感動してしまった。
パイを取り出し、温かいうちに切り分ける。
いつ作ったのか、料理長が作ってくれたクリームも横に添えて、さあ食べようかという所で、シュヴァルが珍しく厨房にやってきた。
「ああ、ここにいたのか」
どうやらシャルティナを探していたらしい。
「何かありましたか?」
「いや、大した用事じゃないんだ。……ん? それは?」
シュヴァルがパイを目に止め、厨房で食べようとしているのを不思議に思ったようだった。
「ナターシャさんにベリーパイを作る約束をしてたんです。料理長にオーブンを貸してもらって……」
「私の分はないのか?」
表情が変わらないと言われているシュヴァルだが、慣れると案外表情豊かなことにシャルティナは最近気づいた。
今は、ほんの少し拗ねているようだ。
「勿論あります! 一緒に召し上がりますか?」
「ああ、今日は書類仕事が多くてな。疲れた時は甘いものに限る」
手近な椅子に座ると、料理長がさっきの茶を出す。
「ああ、懐かしいな」
「坊っちゃんの子供の頃はつまみ食いしに来ては、この茶もよく飲んでましたからねえ」
シャルティナはその言葉に驚いた。
想像したこともなかったが、シュヴァルにも子供の頃があったのだ。
小さいシュヴァルを想像して、あまりの可愛さに顔がにやける。
「あの、その頃の肖像画ってないんですか?」
「飾ってはいませんが、ちゃんと保管してありますよ。後で見に行ってみましょうか?」
「はい、是非!」
シャルティナがナターシャと盛り上がっていると、仏頂面で「冷めるぞ」と、シュヴァルが自分の分の皿を引き寄せフォークを握る。
なんだか今日は色んな表情が見れて嬉しいと思いながら、シャルティナもフォークを持ち早速食べてみる。
「んっ、美味しい! 上手に出来たわ」
「ほう。こりゃなかなか美味いもんですね」
「ああ、これは美味いな。甘すぎなくていい。他にも料理をするのか?」
「はい、我が家にも料理人は居ましたが、通いで最低限の食事を作って貰うだけだったので、おやつなんかはよく母と作っていました」
そういえばとナターシャを見ると、無言で口に運んではパタパタと脚を動かしていた。
それも、見たこともないほどのとろけた笑顔で。
(良かった、喜んでもらえたみたいだわ)
料理長が添えてくれたクリームを一緒に食べると、自分が作ったとは思えないほど上等な味に感じる。
「このクリーム美味しいですね! 何か、自分で作るクリームとも全然味が違って……」
「私も子供の頃から料理長のこのクリームが好きだ。他家で出てくるものと何か違う気がするが……」
シャルティナとシュヴァルはクリーム単体で食べてみるが、何が違うのかわからず首をひねる。
「ああ、そりゃ酒が入ってるからじゃねえですかね? ほんの少し入れると風味が変わるんですよ」
「なるほど、お酒が……!」
お肉を煮込む時に少し入れることがあるのは知っていたが、お菓子にも使えるとは。
料理長には色々教えて貰えそうだと、シャルティナはまた楽しみが一つ増えた。
「美味かった。シャルティナ、ミートパイは作れるか?」
シュヴァルは皿を空にし、口元を拭ってからシャルティナに聞く。
「はい、お肉と少しのハーブがあれば基本は変わらないですから」
「じゃあ今度はそれを作って欲しい。甘いのもいいが、やはりパイは肉が……」
「ベリーパイが一番です!」
ナターシャが割って入り、シュヴァルの言葉に被せるように主張した。
ちなみにナターシャは二枚目を皿に移しているところだ。
「ふふ。ベリーパイもまた作りますよ」
よくよく考えれば、レントは二枚目なんて食べてなかったなと思い出す。
もしかしたら、最初から私のこともベリーパイも、そんなに好きではなかったのかもしれない。
急な心変わりだと思っていたけれど、両親や周りに流されて、私と過ごしていたのかもと、なんだか逆に心が軽くなる。
(ここに来れて……シュヴァル様に選ばれて良かった。たまに偽装だと言うことを忘れそうだわ。それだけは気をつけないと……)
一目惚れだったが、知れば知るほどシュヴァルのことが好きになる。
きっといつか偽装だと言うことに傷つくかもしれない。
けれど、この温かい時間は本物だ。
だからきっと、幸せに暮らしていけるだろうと、シャルティナはお喋りしながら心を温めていた。




