第七話 アスガルド邸
一週間の馬車移動というものは、シャルティナが考えていたよりも遥かに過酷だった。
夜は宿で休めたものの、日中はほとんど馬車に揺られていなければならない。
さすがに高位貴族の所有する馬車、辻馬車とは違い揺れも少ないうえにクッションがたっぷり用意され、お尻の痛みはほとんどなかったものの、馬車を降りる頃にはカチコチに身体が固まっていた。
けれどシャルティナにとっては良いこともあった。
侍女頭のナターシャとは随分仲良くなれたのだ。
馬車の中ではすることがなく、景色を見るか同乗者と喋るかしか選択肢がない。
始めのうちはポツポツとしかお互い口を開かなかったが、オススメの雑貨店を一緒に見たり、パン屋で留守番をしている他の使用人へのお土産を一緒に選んだりしているうちに、随分と会話が弾むようになった。
ナターシャは甘いものが好きで、特にベリーを使ったパイが大好物らしい。
それを聞いて、シャルティナは自分が作ると言うのを一瞬躊躇した。
もう二度と作りたくないと思ったベリーパイ。
けれど、二度と作らないのはレントの分だ。
ぜひ、姉のように親しくなったナターシャには、得意のベリーパイを食べて欲しい。
そう、気持ちを切り替えて、アスガルド家で許可が下りれば、是非作らせて欲しいとナターシャに提案したのだ。
それを言った時のナターシャの笑顔は、普段のキリリとした表情からは想像できないくらいに、柔らかく、けれど何故か色気を感じるような表情で、シャルティナは同性だというのにドキドキしてしまった。
(それに……シュヴァル様にも食べて欲しいな。甘い物はお好きかしら……?)
多少話が弾むようになってからも、一歩引いた、どこか壁を作られているような気がしていた。
けれど、ベリーパイを作る約束をしてからは、その壁がなくなったように感じて、シャルティナはとても嬉しかった。
馬車から降りるたびに少しずつ涼しく澄んでいく空気に、自分がとても遠くに行くんだなと、実感していった。
そしてアスガルドの本邸に到着した時、邸の前に全ての使用人がいるのではないかと思うほど、たくさんの使用人が並び、先頭でシュヴァルがシャルティナを出迎えた。
シャルティナが馬車から降りるときにはエスコートし、少しふらついたシャルティナを軽々と支えた。
「遠くから遥々よく来てくれた。疲れているだろうから、今日は部屋でゆっくり休むといい」
「あ、ありがとうございます」
久しぶりに見たシュヴァルは、以前と違い、私服なのかラフな格好をしていた。
それでもなお失われない美しさに見惚れてしまった。
(この方の……婚約者……)
これが夢だとしても驚かないほどに、シャルティナにとって今の状況は幸福に満ちていた。
「ピュイ!」
自分もいるんだぞと主張するように、肩の小鳥がシュヴァルに向かって鳴いた。
驚いたのか、ほんの少し目を見開いているのが、なんだか少し可笑しかった。
自室になる部屋に案内され、シュヴァルは仕事があるからと去っていった。
小鳥は自分の居場所を探すように、あちこち飛んでは家具に止まり、居心地の良さを確認しているようだ。
シュヴァルが去ってからはナターシャが案内を引き継ぎ、旅の疲れと汚れを落としてはどうかと、入浴を勧めてきた。
「ナターシャさんもお疲れなのでは?」
「ふふ。それでは一緒に入りましょうか」
「え……!?」
クスクスと、イタズラが成功したような顔をしたナターシャ。
「驚きましたか? 実は、この邸には大きい浴場があるんです。男女別れていて、誰でも自由に入れるんですよ。この時間ならあまり使用人が使うことがないので、広い浴槽を独占できるんです」
いつも大きなタライに湯を張って入浴していたシャルティナは、広い浴槽というものが想像できなかったため、ポカンとしてしまった。
口を開けてなかっただけマシだったと思いたい。
「説明を聞くよりも、見た方が早いですよ。私と一緒に入るのが不快ならお一人で入れるように準備しますが……」
シャルティナは慌ててぶんぶんと大きく首を振る。
「不快だなんてそんな! 広い浴槽というものがどういうものだかさっぱり想像できなくって!」
わかってますよ、とニコニコしているナターシャ。
それもまた冗談だったようだ。
「それでは行きましょうか。今入れば入浴後にゆっくり休憩しても、夕飯に遅れませんよ」
ナターシャがここまで言うのだから、きっとよっぽど自慢の設備なんだろうと、段々と興味が湧いてきた。
必要なものは全て揃っているから手ぶらで構わないと、ナターシャがシャルティナの手を引く。
ウキウキとしているナターシャは珍しいのか、すれ違う使用人が驚いたり二度見していたのが、シャルティナには面白かった。
「本当に凄かった……」
シャルティナは広い浴槽が、頑張って想像していた大きい浴槽よりも広く、並々と湯が張ってあることにまず驚いた。
片側から湯が出ていて、湯口に近づけば熱く、離れた場所は温くなっているため、自分の一番心地よい温度で入ることができた。
自分が熱めのお風呂が好きなことなど、ここに来なければ一生知ることはなかっただろう。
たっぷりと湯に浸かり、全身をピカピカに洗われ、今は長椅子に寝転び果実を絞ったジュースを飲んでいる。
こんなに贅沢でいいのか……と思いつつも、旅の疲れに加え、これほど広い風呂での入浴はほぼ初めてで、気持ちの良い気だるさに瞼が重くなる。
「夕食の準備までには起こすので、そのまま眠ってしまっても大丈夫ですよ」
ナターシャの柔らかい声が遠くに聞こえた頃には、シャルティナは既にウトウトと微睡んでいた。
夕食の席も豪華だった。
シャルティナの目の前には沢山の食べきれない量の皿がずらりと並んでいた。
「こんな……に……?」
「ああ、全てを食べ切らなくていい。一口ずつだけでも食べて、好みを料理長に伝えてくれ」
「土地が違えば食事の味付けや種類が変わります。その中で少しでもお嬢様の気に入るものがありましたら、それを参考にして今後のメニューを決めていこうと思っています」
大柄な料理長は、険しい顔をしていたが、慣れないシャルティナのことを考えてくれる、とても優しい人だった。
やはり上の人間の雰囲気に、使用人たちも似てくるのかもしれないと、一人納得し内心で頷いていた。
「ありがとうございます。少しずつ食べてみますね」
シャルティナは色々口にしたが、香辛料がピリリと効いている白身魚のソテーのような物が一番のお気に入りになった。
これはそのままいつかまた出して欲しいと、料理長にお願いしてしまったほどだ。
「本当にこれは美味しいです! お魚がこんなに美味しくなるなんて!」
他の料理は美味しくても味見だけだからと我慢できたが、この魚料理だけは誘惑に勝てず、半分以上食べてしまった。
「そんなに喜んでもらえると作りがいがありますね! 坊っちゃんはいつもしかめっ面で食べるもんだから美味いか不味いかも最初はわからなかったくらいで……」
「そのへんにしておけ。それに、坊っちゃんはやめろと言っているだろう」
へいへいと適当に答える料理長に、シャルティナは驚いてしまった。
周囲を小さく見回してもこのやり取りに驚いている者はいない。
ということは、この程度は日常の範囲内なのだ。
高位貴族とは、もっと使用人との距離が遠いのかと思っていたシャルティナだったが、考えてみれば確かにシュヴァルがその程度で怒ったりする場面をあまり想像ができないと、一人納得する。
しかしそんなことよりもと、次は何を食べるか、もう一口だけまたあの魚料理を食べるかと、幸せな悩みで頭がいっぱいになっていた。




