第五話 偽装結婚のお誘い
顔合わせの当日、シャルティナは朝からずっとソワソワしていた。
何日も前から悩みに悩み抜いて決めたシンプルな淡い空色のデイドレスに、ほんの僅かに香る程度に調整された、香油の香りを纏う。
髪飾りも華美過ぎないよう、小ぶりな青い宝石のついた控えめのものを取り付ける。
準備は完璧に整った。
けれど、肝心な心の準備が一向に整わない。
あまりに落ち着きなくウロウロしていたので、母がソファにじっと座って待っていなさいと注意したくらいだ。
そして一向に落ち着かないまま一時間後、ようやくシュヴァルが馬車に乗ってやってきた。
シャルティナと父親が、シュヴァルとアスガルド家前当主であるシュヴァルの父親を出迎えた。
応接室に通し、四人でソファに座り、向かい合う。
挨拶もそこそこに、父が口火を切り、まずは軽い雑談から始める。
けれど、何故か父と前当主の二人は狩りの話で盛り上がり、婚約の話も何もないまま二人は談話室へ移動してしまった。
応接室にはシャルティナとシュヴァルが取り残される。
頼りにしていた父がいなくなってしまったシャルティナは、とても緊張していた。
少しでも緊張を和らげようと紅茶に口をつけ、意を決してシュヴァルに話しかける。
「あの、先日は助けて頂きありがとうございました。お礼としてはささやかになってしまったのですが、もし良ければこちらを受け取って頂けると嬉しいです」
シャルティナはシュヴァルのイニシャルを刺繍した、濃紺を水に溶かしたような淡い蒼のハンカチを手渡した。
シュヴァルはそれをじっと見つめ、懐へしまいながらあの夜の行いに苦言を呈する。
「ありがとう。だが女性があのような暗がりにいたのは感心しないな」
「はい。友人にも叱られました。夜会の常識を知らず、お恥ずかしい限りです」
(エスメラルダに”わざと暗がりで男性を待つはしたない女もいる”と教えてもらったけれど、これでそうじゃないことをわかってもらえたかしら?)
今まで生きてきて一番素敵だと思える男性に、そんな勘違いをされていたら辛すぎると、エスメラルダと相談して、さり気なく誤解を解く言葉を色々と考えていたのだ。
上手く言えるタイミングがあって良かったと、シャルティナは心の内でホッと胸を撫で下ろす。
「エスメラルダ嬢に聞いているだろうか? 今日は婚約の申し込みをしたいと思っている」
「あ……はい。お見合いみたいなものだと、聞いています」
改めて言葉に出されると、少し面映ゆい。
けれど、とりたてて美しいわけでも、何かに秀でているわけでもない。
爵位も離れている自分を何故選んだのだろうか、という気持ちはある。
「ここだけの話にしてほしいんだが、偽装結婚を頼みたいと思っている」
「偽装?」
「ああ。中央の貴族や神殿からの婚約の打診が鬱陶しい。始めは紹介されれば直接会ったし、婚約を結んだこともあった。だが、夜会や劇場に連れていけと煩く、魔物討伐があるからと断っていたら婚約を解消される。それがいい加減煩わしくてな。最初から全てを説明してわかってもらえる人と婚約・婚姻しようと思っている」
アスガルド領は最北端にあり、隣国との境界にある森からの魔物を、王都を守るために討伐し続けなければいけない使命を持っていると、シャルティナですら知っていた。
それなのに、それを邪魔するような誘いをするなど考えられなかった。
「あなたは私と会っても媚を売るわけでもなく、礼を言って去っていった。エスメラルダ嬢からの紹介なら変な野心もなく、人格にも問題ないだろうと、今回の話を持ってきた」
説明を受けて、ようやく何故自分が選ばれたのか理解した。
女性として選ばれなかったのは残念だったが、人柄を信用して選ばれたのなら、それはそれで嬉しい。
結婚してアスガルド領へ行ってしまえばレントと顔を合わせることもなくなるし、シャルティナにとってもいい話だ。
それに何より、シャルティナはシュヴァルに一目惚れをしてしまっていた。
だから、好きな人のために何かできるのなら、それだけで頷く理由になる。
「事情はわかりました。偽装、ということなら何か条件があるのですか?」
「出席しなければいけない夜会や社交など、外向きには辺境伯夫人として振る舞ってほしい。なので、他に恋人などを作られるのも困る。後は王都のタウンハウスで暮らしても構わないが、できれば領地の本邸で暮らしてほしい。贅沢できるほどではないが、ある程度自由に使える予算も用意する。後は、偽装結婚だと言うことを誰にも明かさないでほしい」
恋人など、好きな人と婚姻できるのに作ることは絶対にない。
住まいは、エスメラルダに会う時だけ、タウンハウスで宿泊させてもらえればありがたいくらいで、基本は本邸に住むのがいいだろう。
散財するタイプではないので、用意される予算を使い切ることもないだろうと、シャルティナは思案する。
ただ一つ気になるのが——。
「条件はほとんどお受けできます。ですが、男爵である私は高位貴族としての振る舞いやマナーが身についていません。それを教えてもらうことはできますか?」
「ああ、私に教えてくれた教師を呼び寄せよう。婚約期間中、領地に来てもらうことは可能か?」
シャルティナは勉強できる環境があることにホッとする。
「確約できるのは両親に相談してからになりますが、私個人としては領地に赴くことに異存はありません」
「わかった。それから、次回会うのはアスガルド領に来てもらってからだと思う。もし何か聞きたいことや伝えたいことがあったら、この鳥を使ってくれ」
シュヴァルは手のひらを上に向け魔力を練ると、伝達用の小鳥を作り出した。
その瑠璃色の小鳥はパタパタとシャルティナの方へ飛び、肩に止まる。
「わあ、可愛い」
じっと見ると首を傾げる小鳥。
以前、家庭教師に魔法はイメージが大事なのだと教わった。
こんなに精巧で、小さな仕草まで完璧な小鳥を作れるのは、それほどまでにシュヴァルが小鳥のことをよく知っていることになる。
(もしかして、小鳥や小さい生き物が好きなのかしら?)
そんな、可愛らしい一面を持っているのかもと考えるだけで、やはり心優しい人なんじゃないかと、シャルティナの中ではさらにシュヴァルへの好感度が上昇した。
大体の話がまとまったところで、タイミング良く父たちが部屋に戻ってきた。
二人は本当に気が合ったようで、今度一緒に狩りに行く約束をしたらしい。
シャルティナとシュヴァルが婚約の話に前向きだと話すと、トントン拍子にアスガルド領へ行く話が整った。
一ヶ月後にシャルティナはアスガルド領へ向かうこととなる。
「こんな可愛らしいお嬢さんを婚約者として我が家に迎え入れることができるとは……妻も喜びます」
「こちらこそ、誠実そうな方にシャルティナを任せることができそうで安心しました」
父同士盛り上がる話を聞きながら、シャルティナはこっそりとシュヴァルへ目を向ける。
惚れた欲目なのか、何度見ても素敵すぎて、一日中見ていても飽きないだろうなと、しょうもないことを考えてしまう。
視線に気づいたシュヴァルがシャルティナを見返して、ほんの僅かに目元を緩めると、シャルティナは顔面がだらしなく崩れてしまいそうで、必死に表情を引き締めた。




