第四話 夜会の影
庭園で涼みながらアネモネを眺めていたシャルティナ。
しかし、その穏やかな空気が、無粋な大きな足音で壊れる。
そして、シャルティナの傍に迫った。
「おや、今日の主役じゃないですか。エスメラルダ様から離れて、こんな場所で何を? もしかして男を誘っているのですか?」
グイッと近寄ってきた男性は、酒精の匂いを漂わせ、明らかに酔いが回っていた。
「いいえ、もう戻る所ですわ」
見回しても誰もいない。
心細く思いながら、広間へ戻ろうと一歩離れる。
そして、男の脇をすり抜け会場へ戻ろうとしたシャルティナの腕を、酔った令息は無遠慮に掴んだ。
「きゃっ」
「この私が、夜会の楽しさをもっと教えてあげますよ」
腕を引っ張られ木の陰に連れていかれたシャルティナは、突然の暴挙に怯え、身体を震わせる。
「は、離して……!」
男は腕を引きシャルティナを抱き締めると、背中や肩、腰のラインに手を這わせた。
「……!」
悲鳴を上げようとしても、恐怖に喉が引き攣りまともな声が出ない。
(怖い……! 誰か……!)
男の手が、ドレスの内側へ入り込もうとしたその時、男とシャルティナの間に割って入った者がいた。
「なんだ! 邪魔をするな! お前は……」
誰だ、と言おうとしたのだろう。
けれどその言葉は最後まで紡がれなかった。
シャルティナはその割って入ってきた男性を見上げ、その大きな体躯の陰に入れられると、助かったと、ホッと息を吐いた。
「私の顔がわからない程に酔っているのか?」
シュヴァル・アスガルド。
この国の北に位置する、大森林から湧き出る魔物を屠る、王国の守護者。
氷の辺境伯と呼ばれ恐れられている。
彼は令嬢たちの、ふんだんに使われた香水の香りが充満する会場を厭い、庭園の奥へ向かっていた所だった。
「も、申し訳ありません!」
一瞬で酔いが冷め、顔を青くした男は、逃げるように会場へと戻っていった。
シャルティナはシュヴァルを見上げ、月の光に照らされた野性味のある端正な顔立ちに見惚れた。
夜の闇に溶けるような漆黒の髪と、深く底知れない黒にも見える濃紺の瞳。
先ほどまでシャルティナに群がっていた男たちが華奢に見えるほど大きな体躯。
ひやりとした魔力を纏っているかのような、圧倒的な威圧感。
「一人でこんな所をうろつくな」
「……! あ……、助けて頂いてありがとうございます!」
低くよく響く声で注意され、シャルティナは見惚れるあまり、遅くなった礼をする。
シュヴァルはニコリともせず、「早く戻れ」と、その場に佇む。
無事に会場へ戻れるよう見守ってくれていると感じたシャルティナは、その優しさに心が温かくなる。
「本当にありがとうございました」
こんな素敵な人と話をしてみたかったと、後ろ髪を引かれながら、シャルティナは会場へと戻った。
エスメラルダを見つけ合流し、庭園で男に絡まれたと話すと、怒られてしまった。
「庭園に一人で出るなんて何を考えてるの!」
「あの、ごめんなさい。でも、今まで何もなかったから」
そういえばシャルティナは元々は目立たないタイプだったと、エスメラルダは思い出した。
それにシャルティナの母も元平民で、夜会の過ごし方を教わったことがなかったのだろうと思い直す。
「ああ、そうよね。ごめんなさい。私も注意が足りなかったわ。疲れた時は、カーテンを開けたままテラスに出るか、使用人か騎士に声をかけて休憩室に行くのよ」
「そうなの……次からそうするわね。ありがとう、エスメラルダ」
「それにしても……すぐに助けが来て良かったわ。あのシュヴァル様に助けてもらったなんてね」
「ええ。とてもお優しくて……素敵な方だったわ」
シャルティナはシュヴァルを思い出すと、ほんのりと頬が染まる。
「あら、あら。シャルティナったら、ああいう方が好みだったの?」
猫のように目を細め、からかうようにエスメラルダは指先でシャルティナをつつく。
「そんな! ……ええ、でも、とても良い思い出になったわ」
「楽しんでくれて良かったわ! これであのクソ……んんっ、素行の悪いあの男からの傷は癒えたかしらね」
「……! もう、すっかり忘れていたわ!」
シャルティナはレントの浮気現場に遭遇してから、ずっと心が押し潰されたようだった。
けれど、楽しくダンスを踊り、エスメラルダとお喋りして、最後には素敵な男性に窮地を助けられドキドキと胸を高鳴らせていたら、レントのことなどすっかり忘れてしまっていた。
「本当に、連れてきてくれてありがとう」
「いいのよ。私も義務的に夜会に参加していたから、シャルティナと一緒の方が楽しいもの。もう少し挨拶回りをしてくるから、今度こそ休む時は休憩室かカーテンを開けてテラスにいるのよ?」
「ええ、わかったわ。心配かけてごめんね」
「いいのよ。後もう少し楽しんで」
ニコリと笑みを残し、エスメラルダはまた他の貴族と会話をするため、するすると人を避けて歩いていき、すぐに見えなくなった。
その時、レントはメイリーをエスコートしながらシャルティナの方を見ていた。
(見たことない女だな……ミリオルゴーク公爵令嬢の隣にいるということは高位貴族か? メイリーがいなければ声を掛けるんだが……ちっ、今日は一人で来れば良かったな)
レントはその美しい女性が、まさか普段は自分の言うことなら何でも聞く地味なシャルティナだと気づかず、一人だったら口説いていたのにと悔しい思いをしていた。
確かにシャルティナはいつもより数段美しくなったが、濃い化粧をしているわけでもなく、親しい間柄であればすぐにわかる程度。
だが、レントの中のシャルティナのイメージは、いつも野暮ったい服を着て、自分の回りをウロチョロしているという認識だったので、まさか自分のエスコートなしに女友達と夜会に参加するなど、微塵も考えつかなかった。
エスメラルダの挨拶回りも終わり、少し早いが二人は帰ることにした。
一方的に見られていたシャルティナだったが、レントの存在に気づくことなく夜会を退場した。
帰りの馬車でも話は盛り上がり、ベッドの中でもシャルティナは興奮して喋っていたのだが、さすがに限界がきたのか、一瞬の沈黙の間に、まるで糸が切れたように夢の中へと旅立っていった。




