第十九話 穏やかな変化
ゴトゴトと揺れる馬車の中、シュヴァルはシャルティナの隣に座り、未だ震える手を優しく握り話しかける。
「ナターシャは”幼馴染”と言っていたが、あれが例の?」
「はい。でも何か様子がおかしくて……。だらしのない格好にも驚いたのですが、意地を張るなだとか、戻ってこいとか、許してやるとか言っていて。いったい何の話をしているのかよくわかりませんでした」
いつも身なりは綺麗にしていたのに、シャツには皺がよったまま無精髭もそのままに、決して身だしなみも整えられているとは言い難い様を、レントが家を出ていることを知らないシャルティナは不思議に思っていた。
そして、”地味な女”だとか”仕方なく”などと言っていたのだから、わざわざ好きでもないシャルティナとよりを戻すよりも別の女性を探せばいいのに、わざわざ自分にちょっかいを出しているのも意味がわからなかった。
突然腕を掴まれたことにも驚いたが、意味不明の行動と言動がシャルティナには恐怖だった。
”仕方なく”付き合い結婚をする予定だとか言っていたレントにとって、シャルティナが離れることは喜ばしいはずなのにとも。
その”仕方なさ”の理由としては、レントの両親がシャルティナを可愛がっていたことも要因だった。
けれど、レントの両親に関しては、シャルティナの両親に事情を説明してくれるようお願いしたから、”仕方ない”理由もなくなったのはわかっている筈なのにと。
「ふむ……。確かによくわからないな。そもそも浮気をしたのは幼馴染の方だろう?」
「そうなんです。用事なんてあるはずもないのに、どうしてわざわざ家から離れた土地まできたのかも、わからなくて」
レントが実家から半ば追い出されたことを知らないシャルティナには、思い当たるような理由が見つからなかった。
同じく事情を知らないシュヴァルも思案したが、答えは出ない。
「色々と、今後の取り調べでわかるかもしれないな。動機がわかれば知らせにくるだろうからそれを待とう」
「確かにそうですね。……考えていてもわからないだろうし、報告を待つことにします」
(今日は怖かったけど、レントは捕まっているし、もう終わったこと。それよりも……)
シャルティナは握られている手を意識する。
剣を振っていたからだろうか、厚みのある大きな手に包まれているだけで、血の気が引いて冷たくなっていたシャルティナの指先が、ようやく熱を取り戻していた。
それどころか好きな人に手を握られている事実に、シャルティナは段々と恥ずかしくなってくる。
けれど、シュヴァルはそんなシャルティナの様子には気づかず、別の話へと切り替えた。
「そうだ、市を巡るのも途中だったんだろう? 昼前に仕事を終わらせるから、明日は最初から三人で行こう」
「明日も市は開かれているんですか?」
大抵の商隊は到着した翌日に売り物を広げ、それを売りさばくとさらにその翌日には出発してしまう。
「ああ、いつもくる商隊はたくさん売り物を持ってきてくれていてな。数日にわけて売り出しているから、明日にはまた別の物を見る楽しみもあるぞ」
「それは凄いですね!」
折角三人で過ごせる時間を邪魔されて残念に思っていたシャルティナだったが、明日もまた市が開かれると知りとても喜んだ。
そして、すっかり恐怖を拭われ、いつもの調子を取り戻したシャルティナ。
シュヴァルもそんなシャルティナを見て、レントの話を終わらせ、今日の市について質問した。
「今日の市はどうだった? なかなか賑わっていたように見えたが」
「はい! とても楽しかったです。最初は綺麗な糸を見つけて——」
シャルティナはシュヴァルに説明しているうちに手を握られることも忘れ、美味しそうで気になった屋台や、ナターシャの値切りが凄かった話など、今日あったことを楽しげに語る。
そして二人の手は繋がれたまま、馬車はいつもよりゆっくりとアスガルド邸へと向かって行った。
その日の夜。
ナターシャは、日中の疲れから早く就寝したシャルティナのそばを離れ、シュヴァルに詳細を報告していた。
「……そうか。フィリップから貰ったブレスレットが役に立ったな」
「はい。けれど、私ももっと周囲に気を配るべきでした」
後悔を滲ませるナターシャ。
けれど、シュヴァルは険しかった表情を和らげ、ナターシャを責めることをしない。
「いや、シャルティナを楽しませるのもお前の仕事だ。結果、被害は何もなかったのだから次から気をつければいい。ブレスレットには魔力を補充しておいたから、多少後手に回るくらいは問題ない」
元々、シュヴァルがナターシャに求めているのは、侍女としての仕事が第一で、護衛は二の次だった。
それに、いくら気を抜いていてもシャルティナに殺気が向けられれば、ナターシャはすぐに護衛として動けることがわかっているので、大して気にしてはいなかった。
「帰りの馬車でシャルティナは、今日のことを本当に楽しそうに話してくれた。それだけでも十分な働きだ」
「そうですね……私と”二人”で市を回るシャルティナ様はとても楽しそうでしたよ」
「……おい、二人を強調するな。明日”三人で”回ることも楽しみにしていたぞ。まったく……シャルティナが来てから、段々遠慮がなくなっている気がするのだが?」
クスクスと笑うナターシャ。
「ふふ。私はシャルティナ様の専属侍女なので! シャルティナ様が一番の主なのですから当然です」
わざとらしく胸を張るナターシャに、シュヴァルは呆れた視線を投げる。
けれど、そうは言いながらもシャルティナが楽しく過ごせるのなら、多少自分への対応が雑になるくらい大したことじゃないと、シュヴァルは思う。
それに、良くも悪くもずっと同じことの繰り返しだった毎日が、シャルティナを中心に良い方向へ変化しているのを、日に日に感じていた。




