幕間 メイリー後半
クウェルは視界に入れるだけでも汚らわしいと言わんばかりの、嫌悪を隠しもしない視線をメイリーに向ける。
「とにかく、全ての書類にサインしてくれ。今なら慰謝料は取らない。これまで援助した分も返さなくていい。だがサインをしないなら今まで援助した分の全額に、浮気の慰謝料を請求する」
メイリーの肩がビクリと跳ねる。
実家は困窮していて、クウェルからの援助でなんとかなっている。
援助が打ち切られるだけじゃなく、慰謝料や今までの援助金の返還まで求められたら、完全に破綻してしまう。
それどころか、借金奴隷に落ちてしまうだろう。
悲惨な未来を想像し、絶対に耐えられないと思ったメイリーは、震える手でペンを握る。
そして五枚ある書類の一番下にある署名欄にすべてサインした。
クウェルは書類を取りサインを確認すると、家令に渡す。
「最初に言ったが、一週間以内に荷物をまとめて実家に帰ってくれ。もし出ていかないなら、この家にある君の物はすべて捨てる。プレゼントした物は見たくもないから持ち帰って構わない」
必要なことをすべて言い終えると、クウェルは立ち上がり扉へと向かう。
その後姿に何か言おうとしたメイリーだったが、何を言ったらいいかわからず、扉が閉められるまで背中を見つめていただけだった。
(終わった……どうしよう、パパにもママにも絶対怒られる……! どうしてバレるようなことなんか……そうよ、どうしてバレたの?)
メイリーは俯いたまま考える。
なぜバレてしまったのか。
どこから漏れたのか。
(もしかして……レントの結婚するとか言っていた女から? 私がレントに愛されてることに嫉妬して逆恨みしたんだわ!)
ギリギリと奥歯を噛み締め、メイリーの思考は怒りに染まる。
(許さない……絶対に許さないんだから……! 自分に魅力がないせいでレントに愛されなかったクセに、私の幸せを奪うなんて!)
今回のことで両親に怒られるだろうが、上手く話せば自分への怒りを、レントの元恋人になすりつけられるかもしれない。
幸せを壊した憎い女に、絶対に痛い目を見せなければ気が済まないと、どうしたらいいのかを計算し始める。
まず、現状どこにいて何をしているのかを調べないといけない。
今は素直に実家に帰って、父に相談するのが一番良さそうだと考えるメイリー。
家では汚れ仕事を専門にする人間——影の部隊を飼っているから、それを動かしてもらえばいいと結論づけた。
父に頼んで、何人もの女を再起不能にしてきた影たちは誰よりも信用できる。
(待ってなさいよ、クソ女。誰を敵に回したのか思い知らせてやるわ!)
メイリーは応接室から出て、使用人に荷物をまとめるよう命令した。
事情を知っているのか、面倒そうな表情を隠しもしない使用人たちに腹が立ったが、クウェルに告げ口されこれ以上何かされるのも困ると、怒鳴りたい気持ちを抑える。
面倒そうにしつつも、黙々と手を動かす使用人は見逃すとして、あからさまにため息を吐いた使用人の名前を聞き出し、頭に入れた。
(身分の差もわからないような使用人はいらないわね。こいつも壊してもらおう)
酷い目に遭う使用人を想像して気分を持ち直したメイリーだったが、憂鬱な表情は崩さない。
罰が足りないと思われても面倒だからだ。
(あの感じだとクウェルはもう駄目ね。新しい金づるを見つけないと。ああ、でも噂は回るでしょうから相手のランクは落ちる……まあ、いいわ。お金を持ってるなら汚い中年でも我慢してあげる。早く見つけないとレントにお金を渡せないしね)
よっぽどの加虐趣味を持っているとかでない限り、相手がどんなであろうと気にしないことに決めた。
早速実家に手紙を出そうと机の引き出しから便箋を引っ張り出した。
仕事で放置されているのを可哀想に思った友人が夜会に連れて行ってくれたが、それを知って嫉妬したクウェルが離婚を言い出したこと。
浮気をしたと決めつけて、子供が出来たタイミングで追い出されること。
両親を助けたいから、すぐにでも再婚相手を探して欲しいこと。
(あの女と使用人の話は直接すればいいわ。いつもみたいに泣きながらパパに言えばなんとかしてくれるはず)
水差しに指先を入れ少し濡らすと、その便箋にポタポタと何滴か水を垂らす。
すぐに拭けば、涙をこぼして慌てて拭いたように見えるだろう。
(これでよし。あとは便箋に入れて、蝋封を少し曲げて……と)
愛する夫に誤解され叩き出される可哀想なメイリーが書いた手紙は出来上がった。
(使用人に頼んだら捨てられちゃうかも……。ここはクウェルに頼みましょう)
メイリーはクウェルの私室の前に立つと、弱々しくノックする。
入室の許可が下り、中に入ると苦虫を噛み潰したような顔をするクウェル。
「いくらすがろうと無駄だぞ。早く荷物を——」
「ごめんなさい!」
勢いよく頭を下げるメイリー。
「許して貰えないのはわかってる。でも、こんなにあなたを傷つけてしまうなんて思わなかったの! 謝ることしかできないけど……本当にごめんなさい……」
ポロポロと涙を流し顔をくしゃくしゃに歪める。
鼻をすすり、クウェルの目の前で土下座した。
「顔も見たくないのもわかってる! でも、謝らせて! ごめんなさい!」
「……そんなことはしなくていい。早く荷物をまとめてくれ」
クウェルの声から冷徹さが薄れる。
それでもしっかり、「いいから立ってくれ」と言われるまで頭を下げ続けた。
そして、立ち上がった瞬間顔を顰めふらつき家具に寄り掛かる。
「……? どうした?」
「あっ、ごめんなさい。さっき使用人に足を引っ掛けられて足を……いえ、自業自得ね……」
「……!」
驚きに目を見開くクウェル。
メイリーに反感を持ち冷たくあしらわれてしまえばいいと、使用人たちには事情を話したが、怪我をさせることまでは想定外だった。
「……後で医者をよこす」
「いいの。あ……でも、実家への手紙だけ出して欲しいの……その、捨てられちゃうかもしれないから……」
ポロリと涙をこぼし、手紙をクウェルに差し出す。
「……わかった。確実に出しておく」
メイリーは「ありがとう」と弱々しく微笑み、ゆっくりと歩いて部屋を出た。
(ふぅ。これで手紙は大丈夫ね。あの反応ならこれ以上のことはしてこなさそうだし、早く荷物をまとめて実家に帰ろう)
できることをすべてこなしたメイリーは心が軽くなりスキップでもしたい気分になったが、誰が見ているかわからない。
ほんの少しだけ足を引きずるのは馬車に乗り込むまで続けていた。




