第十二話 馬車の中で
ガタゴトと揺れる夜会へと向かう馬車の中、シャルティナは車窓から外を眺め、遠くに見える王城の明かりをぼんやりと見つめていた。
これからあそこで、シュヴァルの婚約者として初めて夜会へと参加する。
酷く緊張していいはずの今、なぜか全ての感覚が鈍い。
まるで頭からヴェールを被り、その薄い布越しに世界が存在しているようだった。
ふと、席の向かいに視線を向けると、同じように外を眺めていたはずのシュヴァルと目が合う。
ラフな格好をしていてもため息の出るほどの野性味のある美しさが、夜会用の礼服でさらにきらめき、シャルティナの胸を撃ち抜く。
今日のシュヴァルの装いは、黒を基調とした中に光りすぎない金の刺繍と、一目で高品質だとわかる、透明度の高いサファイアが所々に散りばめられている、シックなものだった。
そして、勘違いでなければ、シャルティナのドレスと合わせたデザインになっている。
シュヴァルに贈られたドレスは、黒と濃紺の布を使ったドレープの美しいドレスだった。
シュヴァルの礼服にあしらわれているのと同じ柄の刺繍が、さり気なく胸元に添えられた、サイズが均一で歪みのない黒真珠と共に縫い付けられている。
お互いの色を纏い、同じ刺繍をあしらった礼服とドレス。
これならどこから見ても、仲睦まじい婚約者に見えるに違いない。
「シャルティナ、緊張しているようだな」
緊張どころかぼんやりとしてしまうほどに落ち着いているのに何を? とシャルティナは首を傾げる。
「自分ではわからないだろう。緊張しすぎると、身体に力が入らなくなる。新兵がたまにそうなり、戦えなくなっていることがあるんだ」
シュヴァルはシャルティナの目の前にスッと手を出した。
「力いっぱい握ってみろ」
言われるがままに全力で握ってみるが、確かに力が入った感覚がない。
どうしたものか? と考えるものの、頭の動きまで鈍っているようで、何も思いつかない。
「シュヴァル様……これは、どうしたら……」
「少し刺激してやればいい」
そう言うと向かいに座っていたシュヴァルが、シャルティナの隣に移動する。
(わ、近い……)
頬に熱が集まるのを感じながら、シュヴァルを見上げるシャルティナ。
シュヴァルは再びシャルティナの手を取り、手袋越しに指の先に一本ずつ口づけをする。
「あ、しゅ、シュヴァル様!?」
思わず手を引っ込めようとしたシャルティナだったが、しっかりと握られていて逃げられない。
布越しだというのに、唇が触れた場所がポッと火が灯ったように熱を感じた。
「あの、あの! 大丈夫ですシュヴァル様! もう、それくらいに……!」
つい先ほどまでぼんやりとしていたのが嘘のように、全ての感覚が鋭敏になったように感じる。
強く、けれど痛くないよう握られた、普段は剣を握っている大きな手。
そして、かすかに温もりを感じる指先。
チラリと向けられた濃紺の瞳に、シャルティナの胸が激しく跳ね始める。
「ふ……。いつもの調子に戻ったようだな」
シュヴァルはそっと指先で赤く染まった頬をスルリと撫でると、シャルティナの耳に唇を寄せ、低く囁く。
「……言い忘れていた。そのドレス、本当に似合っている。選んだ自分を褒めてやりたい気分だ」
「う……、え、と……。シュヴァル様の服も、いえ、全部、素敵です……!」
(手袋をしていて良かった! きっと今手汗が凄いことになってるわ……!)
思いがけず褒められ、あわあわとしているシャルティナに目を細めるシュヴァルは、最後にもう一度指先に口づけし、手を解くと向かいの席へと戻った。
そしてすぐに馬車が止まる。
あんなに遠くに見えていた王城へと、いつの間にか到着していた。
「我々の入場はまだ先だ。きっとこれからじわじわと緊張してくるだろう。口が乾くからこれを」
シュヴァルは手のひらを上に向けると、魔力を練り小さな氷を作り出した。
そしてそれを指で摘み、シャルティナの口元に運ぶ。
手で受け取るタイミングを逃したシャルティナは、おずおずと小さく唇を緩め、その氷を口に含んだ。
(これから始まる夜会よりも、シュヴァル様と一緒にいる緊張の方が酷いわ!)
頬に集まった熱が冷めないまま、イタズラっぽく目を細めるシュヴァルをシャルティナは恨めしそうに見るが、まったく堪えている様子はない。
シャルティナは仕方なく、素直にコロコロと氷を口内で転がし、そのひんやりとした感覚に意識を向ける。
溶け出した冷たい水が喉を過ぎると、不思議と気持ちが落ち着いてくる。
感覚の戻ってきた手を、シャルティナはキュッと握った。
(少し緊張しているけど、もう大丈夫。ミズリー夫人に教えられた通りに振る舞って、皆に教えてもらったことを忘れなければ、きっとうまくいくわ)
そんな、自分を鼓舞しているシャルティナを、シュヴァルは優しい瞳で見つめていた。
コンコンと馬車の扉がノックされ、いよいよ入場の時間が、もう目の前まで迫っている。
先に下りたシュヴァルがシャルティナに手を差し出した。
「行こう、シャルティナ」
「はい……!」
シャルティナは差し出された手にそっと自身の手を添え、ゆっくりと優雅に見えるようシュヴァルのエスコートに身を任せ馬車から降りる。
少し冷たい風に肌を撫でられ、シュヴァルに握られた指先の温もりをしっかりと感じた。
お腹に力を入れ、背筋をピンと伸ばす。
(大丈夫、私は一人じゃないわ。シュヴァル様が隣にいてくれる。頑張りましょう!)
隣を見ると、シュヴァルもシャルティナを見つめている。
シャルティナが小さく頷くと、シュヴァルは前を見てゆっくりと歩き出す。
引かれる手に導かれ、シャルティナはついに会場へと足を踏み入れた。




