第十話 可愛い失敗
今日もシャルティナは疲労困憊だった。
シュヴァルが手配してくれた淑女教育の家庭教師——ミズリー夫人は爵位の低いシャルティナに嫌な顔一つせず、わかりやすく丁寧に教えてくれる良い先生だ。
けれど、熱意が行き過ぎているのか、みっちりと詰め込まれている。
今日もダンスを半日以上も踊り、脚がパンパンになってしまった。
(これは確実に明日筋肉痛だわ)
シャルティナは苦笑しソファに座ると、靴と靴下を脱ぎ、疲れ切った脚を揉み解す。
少しでもやっておけば翌日が楽になることも、ミズリー夫人が教えてくれた。
明日のためにと丁寧に揉んでいると、コンコンとドアがノックされる。
「シャルティナ、私だ」
「少々お待ち下さい」
シュヴァルが夜に訪問するのは珍しい。
何の用なのかと考えながら乱れたスカートを直し、手早く靴下と靴を履いてから扉へ向かう。
「お待たせしました」
扉を開け、ソファへと案内すると、シュヴァルも少々疲れているようで、ドカリとソファに座る。
そして、シャルティナの前に小さな箱を置く。
「これは……?」
「ああ、疲れた時には甘味が一番だと思ってな。料理長に作ってもらった」
箱を開けると可愛らしい見た目の、ベリーを使った小さなムースケーキが二つ入っていた。
「わぁ……可愛い! それにとっても美味しそう」
自分とシュヴァルの前にムースケーキを置き、シャルティナはお茶を入れる。
チーズケーキのように口当たりが重くはなさそうだったので、スッキリとした香りが控えめの紅茶を用意した。
「料理長には一つでいいと言ったんだが……」
「ふふ。一緒に食べましょう」
シュヴァルは、午前中に領内の視察と、午後には訓練をしていたと食事中に話していたから、それを料理長も聞いていたんだろう。
一口食べると最初は甘さが、次にベリーの爽やかな酸味が口に広がる。
土台のムース部分と上部のゼリーが固めに作られていてさっぱりとしていた。
予想通りチーズケーキのような重さはなく、寝る前に食べるには丁度良い甘味だ。
「んんっ、料理長の作るデザートはいつも格別に美味しいですね」
ナターシャほど大袈裟ではないが、シャルティナも想像以上の美味しさに身悶える。
「ああ、城の料理人にも引けを取らない自慢のコックだ」
シュヴァルは表情を和らげ、ムースケーキを口に運ぶ。
一緒に過ごすようになって数ヶ月経ち、シュヴァルの表情は日に日に豊かになってきている。
それだけ心を許してくれているようで、シャルティナはそれを喜ばしく思う。
偽装だとしても、これから家族になるのだ。
仲が良いに越したことはない。
「そうだ、これも渡そうと思っていたのを忘れていた」
小さな瓶を渡され蓋を開けてみると、薬草の独特な香りがする。
「私の身体がまだ出来上がる前、訓練の後によく使っていたものだ。塗っておくと翌日の筋肉痛が和らぐ。正直、君への教育がやや行き過ぎているのではないかと思い、もう少し優しくできないのかと、ミズリー夫人に言おうかとも考えた」
「ミズリー夫人は、私の理解度や習熟度を考えて教えてくださっているように感じます。だから私なら大丈夫ですよ。ただ、シュヴァル様が気にかけてくれているのは、とても嬉しいです」
好きな人が心配してくれた。
それだけで心が温かくなり、明日からも頑張れそうだとシャルティナは思う。
教育自体はシュヴァルへ言ったように厳しいが丁度良い。
今日も疲労困憊だが、きちんとケアをして寝て起きれば、動ける程度には回復するように、加減されている。
「ああ、シャルティナならそう言うかもしれないと、本当に辛いか確認してからミズリー夫人には言おうと思ってな。だが、無理だけはするな。身体を壊せばその分、治るまでに時間がかかり、逆に遠回りになってしまう。私も子供の頃は強くなりたいと焦って、何度もそれで失敗してしまった」
この前ナターシャに見せてもらった、シュヴァルの幼少期に描かれた肖像画を思い出す。
あんな、天使のように可愛らしい子が、強くなりたいと頑張っていたのを想像して、シャルティナはほっこりした気持ちになった。
シュヴァルはグイと紅茶を飲み干すと立ち上がる。
「こんな時間だというのについ長居してしまったな。また明日」
そう言いながらシャルティナの肩をスルリと撫で、シュヴァルは自室へと戻って行った。
「シュヴァル様……」
シャルティナは触れられた部分が熱をもっているようで、何か気恥ずかしく、ムースケーキを食べた時とは違う意味で身悶えてしまった。
翌日、覚悟していた筋肉痛はやってこなかった。
就寝前のマッサージとシュヴァルにもらった軟膏のおかげだろう。
それをミズリー夫人に報告すると、夫人が目を細め、とても良い笑顔を浮かべる。
「それならもう少し詰めても大丈夫そうですね」
「は、はい……」
「出席しなければいけない夜会が迫っているのでやることは沢山あります。大丈夫、あなたは私の教えるペースにちゃんとついてこられていますよ」
「……!」
殆ど夫人に褒められたことがなかったシャルティナは、ようやく少し認められたような気がして、とても嬉しかった。
「子供がまっさらな状態で覚えるよりも、学び直すことの方が大変です。限界ギリギリまでやった方が、下手にあれこれと考えることができなくなるので、まっさらに近い状態になるのですよ」
スパルタな日々にそんな理由があったのかと、シャルティナは驚く。
やはり、ミズリー夫人を信じて一生懸命取り組んでいけば、きちんと成果が出るのだ。
「本当に辛い時、体調が悪かったり、まったく集中できない時は言いなさい。わたくしも、あなたのことを完全に把握しているわけではありません。自分で自分の状態を把握し、コントロールすることも大切です」
「はい。シュヴァル様にも無理をするなと言われているので、気をつけます」
「では、今日は昨日のおさらいが上手にできたら、あなたの先輩であるシュヴァル様の、幼い頃の可愛い失敗談をこっそりと教えてあげましょう」
「……! それは頑張らないといけませんね!」
俄然やる気のでたシャルティナは、昨日は最後までできなかった難しいステップを踏み切り、無事にシュヴァルの子供時代の話を聞くことができた。
その日の夜、寝る前のマッサージを終え軟膏をしっかりと塗ると、明日に備えベッドに入る。
(はあ……人に歴史ありね。あんなに完璧に見えるシュヴァル様でも、最初から出来たはずないもの。私も頑張らなくっちゃ!)
シャルティナは目を閉じ、聞いたばかりの幼いシュヴァルを想像しながら、気分良く眠りについた。




