第6話 東京からの誘い
遥が入院してから一週間が経った。
彼女の容態は安定し、退院の目処も立っていたが、医師からは「今後もしばらくは無理をしないこと」を強く言われていた。俺は毎日店の手伝いと病院の往復を続けながら、少しずつ自分のこれからを考えるようになっていた。
そんなある午後、東京の元同僚・山本から電話がかかってきた。
「拓也、久しぶり。どうしてる?」
山本は俺が東京で最も信頼していた先輩だった。
彼は単刀直入に切り出してきた。
「実は来月、うちの新規プロジェクトのチーフを探してるんだ。
お前しかいないと思って連絡した。
年収も前よりかなり上がる。どうだ?」
俺は一瞬、言葉を失った。
山本は続けた。
「父親の具合はどう? もう落ち着いたなら、東京に戻ってきてもいいだろ?
お前みたいな人材、うちはまだ欲しがってるぞ。」
電話を切った後、俺は海の見えるベンチに座り、ぼんやりと波を眺めた。
条件は悪くなかった。むしろ、破格と言っていい。
東京に戻れば、かつての生活にすぐに戻れる。安定した収入、刺激的な仕事、都会の便利さ——。
しかし、今の俺の心は、15年前とは違っていた。
その夜、病院の病室で遥にその話をした。
遥はベッドに体を起こし、静かに聞いてくれた。
表情は穏やかだったが、指先がシーツを軽く握りしめているのが見えた。
「すごい話じゃない。拓也くんの実力だね。」
「……どう思う?」
遥は少し間を置いてから、微笑んだ。
「正直に言うね。
行ってほしいような、行かないでほしいような……すごく複雑。
私、拓也くんがまた東京に行っちゃったら、今度こそもう会えない気がする。」
彼女の声は抑揚が少なかった。それが逆に胸に刺さった。
「俺も迷ってる。
ここに残れば、父の面倒も見られるし、遥の店も手伝える。
でも、正直に言うと……怖いんだ。
この町で何をすればいいのか、まだよくわからない。」
遥は窓の外の夜の海を見つめながら言った。
「15年前、私は拓也くんを東京に行かせた。
今度は……私が止める資格なんてないよね。」
その言葉が、俺の胸を締め付けた。
俺は遥の手を握り、静かに言った。
「まだ決めたわけじゃない。
ちゃんと考えるよ。」
遥は俺の手を握り返し、小さく頷いた。
でもその瞳の奥に、寂しさと諦めのようなものが浮かんでいるのが、はっきりとわかった。
病室を出て、病院の廊下を歩きながら俺は思った。
東京に戻るか、ここに残るか。
それは単なる生活の選択ではなく、
遥とのこれからをどうしたいかという、人生の選択でもあった。
海風が病院の窓を叩いていた。
その音は、まるで俺に答えを急かしているようだった。




