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【漫画化】ヴェリタスの最終定理Ⅲ 野狐の偽証  作者: 王牌リウ@skeb
●第20章:野狐の偽証

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真理7:最初の物語!

過去。新暦128年。

世界を無に還そうとした完全消滅現象、通称白紙化の脅威から数年の歳月が流れ、かつての王都は新王都と名を改めてようやく復興の兆しを見せ始めていた。崩落した城壁は新しい煉瓦で積み直され、灰色の粉塵に覆われていた空には、澄み切った青さと輝く太陽が戻ってきている。人々は失われた過去を悼みながらも、力強く明日への歩みを進めていた。

そんな真新しい街の片隅、埃っぽい古書店の奥深くで、十四歳になる狐獣人の私は、一冊の分厚い歴史書を胸に抱きしめて嗚咽を漏らしていた。


何度読んでも、涙が止まらないのだ。


活字を追うたびに胸の奥が熱く焼け焦げ、魂が震え、どうしようもないほどの感動と喪失感が入り混じった激流となって全身を駆け巡る。

その歴史書には、今から二十年前、新暦一百八年の旧王都に実在したという一人の魔導士の生涯が記されていた。


彼女の名は、エラーラ・ヴェリタス。


類まれなる天才的な頭脳を持ち、この星で最強と謳われた大魔導士。しかし、彼女はその恐るべき力を決して己の私利私欲のためには使わなかった。権力に阿ることもなく、富に執着することもなく、ただひたすらに世界のために、そして純粋な真理と正義のために、あらゆる巨大な悪と戦い続けた。歴史書に描かれる彼女は、常に白衣を翻し、コーヒーとドーナツを愛する、どこか飄々とした、しかし誰よりも温かい心を持った人物だった。


そして、彼女の傍らには常に一人の妻がいた。種族は竜人であったと伝えられているが、本名は歴史の欠落により不明であり、書物の中ではただ飛竜とだけ記されている。


エラーラ・ヴェリタスは、迫り来る世界の白紙化を食い止めるべく、その命を燃やして戦い抜いた。だが、最強の彼女をもってしても、世界の崩壊という絶対的な運命を完全に止めることはできなかった。激闘の末、彼女は新王都の空に消え、消息不明となった。


残された飛竜は、愛する妻が守ろうとした世界を、そして未来を担う子供たちを救うため、崩壊していく大地を放浪し続けた。己の身を削り、傷つき、泥に塗れながらも、一つでも多くの命を繋ぐために。そしてついに力尽き、絶命の淵に立たされた時、飛竜の魂は真の躍動を迎え、完全なる飛竜へと覚醒を果たしたのだ。彼女はその気高く美しい魂と引き換えに、世界を完全な白紙化から救済し、光となって散っていった。


これが、私が愛してやまない二人の英雄の物語だ。


私はエラーラ・ヴェリタスと飛竜を、ただの歴史上の偉人として尊敬しているのではない。


私は彼女たちを愛していた。


もし私が同じ時代に生まれていたなら、間違いなく彼女たちの背中を追いかけ、文字通りのストーカーになっていたと断言できる。彼女たちの呼吸、彼女たちの足跡、彼女たちが見つめた景色、そのすべてをこの目に焼き付けたかった。


私は、エラーラ・ヴェリタスそのものに……なりたかった。


しかし、現実は残酷だ。鏡を見れば、そこに映るのは狐の耳とふさふさとした尻尾を持った、小柄で非力な自分の姿。私にはエラーラのような世界をひっくり返すほどの圧倒的な知性はない。飛竜のように奇跡を起こす圧倒的な魔力もない。ただの、しがない獣人の少女だ。


この新時代において、獣人の地位は決して高くない。

ましてや、生まれつき魔力を一切持たない者の地位は、さらに地の底にあった。法律という建前上、表立った差別は存在しないことになってはいるが、社会の冷たい視線や暗黙の了解という名の暴力は、至る所に蔓延っている。魔力を持たない狐獣人の私は、街を歩くだけで石を投げられ、泥水をかけられる、明確な迫害対象だった。


それでも、私は決して諦めなかった!


私は、歴史書の中でエラーラ・ヴェリタスが真理を追い求めた職業である探偵を志したのだ。

魔力を用いた凶悪な犯罪が横行し、警察すらも手を焼くこの混沌とした新王都で、魔力を持たない獣人の子供が探偵業を営む。それは誰の目から見ても正気の沙汰ではなく、無謀を通り越して滑稽な自殺行為に等しかった。

私はなけなしの金を叩いて、エラーラの象徴である真っ白な白衣を買った。自分の背丈には大きすぎるその白衣の裾を引きずりながら、狐の耳を隠すこともなく、堂々と探偵を名乗った。偉大なるエラーラ・ヴェリタスのコスプレをしてお遊戯をしているのだと、周囲の大人たちは私を嘲笑った。依頼人など来るはずもなく、路地裏でならず者に囲まれて殴られ、蹴られ、血と泥に塗れる日々が続いた。


「獣人風情が探偵ごっこか」


「魔力もないくせに、正義の味方ぶるんじゃあねえ」


罵声を浴びるたび、全身の骨が軋むような痛みを感じるたび、私は歯を食いしばって立ち上がった。泥だらけの白衣を払い、不敵に笑ってみせた。


私の中にはエラーラがいる。


飛竜がいる。


彼女たちが命を賭して守り抜いたこの世界で、私が諦める理由など、一つもなかったのだ。


逆境。

明らかな逆境。

絶望的なまでの能力差。

それでも私は、知恵と観察眼、そして何よりも折れない根性だけを武器に、小さな事件から一つずつ解決していった。迷子の猫探しから始まり、浮気調査、そしてついには裏社会の魔導薬密売ルートの特定に至るまで、私は泥水すする思いで真実に喰らいついた。

魔力がなくとも、足で稼いだ情報は嘘をつかない。獣人特有の鋭い嗅覚と聴覚は、魔導士たちの見落とす微かな痕跡を捉えた。


三年が経った頃、私の周りから嘲笑は……消えていた。

ボロボロになった白衣を纏う狐獣人の少女は、いつしか新王都の裏路地で一目置かれる存在となっていた。そしてついに、私の実績と執念は、新王都警察の頑なな扉をこじ開けたのだ。


新王都警察の幹部から手渡された、一枚の推薦状。


それは、魔力を持たない獣人が、公的な捜査協力を認められたという、歴史的な証明だった。推薦状を受け取った日、私は自室に鍵をかけ、声が枯れるまで泣いた。


エラーラ、飛竜、見ていますか。


私は、少しだけあなたたちに近づけたでしょうか。


努力が報われたという事実が、私の魂を震わせた。


しかし、運命はさらに決定的な出来事を私に用意していた。私への祝福とも思える、奇跡のような大発見のニュースが新王都中を駆け巡ったのだ。


新王都の地下深く、旧時代の遺跡から、天才エラーラ・ヴェリタスの最後の遺産とも言える発明品が発掘されたのである。


その名は、ナンバー。


腰に巻くことで、大気中の魔力粒子を強制的に収束させ、使用者の魔力を増強、あるいは、魔力を一切持たない者であっても魔力を生成し、行使できるようにするという、神の如き魔道具だった。


最強の魔導士であったエラーラ・ヴェリタスは、己の力に溺れることなく、魔力という生まれながらの特権を打破し、すべての人々が平等に生きられる世界を作るために、この世界格差を是正するデバイスを開発していたのだ。


さらに、ナンバーの設計図と共に、エラーラ直筆のメモが発掘されたという。そのメモの写しが新聞の第一面に掲載された朝、私は文字通り呼吸を忘れた。


『生まれながらに魔力を持たない者へ、明るい未来を』


『狐獣人などへの差別や格差を是正するための、大いなる一歩として』


新聞を持つ手が、震えた。


狐獣人。


エラーラは、明確に私の種族を名指ししていた。私のように魔力がなく、迫害され、それでも泥の中で生きる者たちのために、彼女は世界の終わりと戦いながら、このナンバーを残してくれていたのだ。


ああ、これは私への手紙だ。


時を超えて、過去の彼女から未来の私へと宛てられた、甘く、そして力強いラブレターだ。私が白衣を着て探偵をしていることを、彼女はずっと昔から知っていて、そして認めてくれていたのだ。


それが私の完全な妄想であり、身勝手な解釈であることなど……百も、承知だった。


それでも。


それでも、そのメモの言葉は、私の魂の奥底に永遠に消えない勇気の炎を灯してくれた。

その後、ナンバーの設計図はエラーラの母国である隣国ゼランティアへと渡り、国家の威信をかけて量産体制が敷かれた。ついに、一般市場にもナンバーが流通し始めた日、私はこれまでの探偵業で稼いだすべての貯金を叩いて、そのベルトを購入した。


腰に巻いたナンバーから、温かい波動が全身に流れ込んでくるのを感じた時、私はエラーラに抱きしめられているような錯覚に陥り、再び、涙を流した。


それからさらに数年が経った。


私はすっかり新王都で名の知れた探偵となり、事務所の構えも立派なものになっていた。

狐獣人への差別は、ナンバーの普及と社会の成熟によって徐々に薄れつつある。私は相変わらず白衣を着て、依頼人の持ち込む厄介な謎と向き合う日々を送っていた。

雨の降る、ある冷たい午後のことだった。

事務所のドアのベルが、カランと控えめな音を立てた。


「はい、『ヴェリタス探偵事務所』です。どのようなご依頼で────」


書類から顔を上げた私の目に飛び込んできたのは、ひどくずぶ濡れになった一人の、竜人の少女の姿だった。

黒髪の、とても小柄な少女。サイズの合わないダボダボの古着を纏い、黒縁の眼鏡をかけている。年齢は私より少し下くらいだろうか。雨の滴が黒髪から滴り落ち、事務所の床に小さな水たまりを作っている。

彼女は部屋の中を見回すと、眼鏡の奥の大きな瞳を私に向け、ひどく真剣な声で言った。


「あの。……パンを、恵んで。私は三日ほど、何も食べていない」


なんだあ、こいつは。


それが、私の第一印象だった。探偵事務所の扉を叩いておきながら、依頼ではなく施しを求める。孤児院や炊き出しの場所なら、この街の至る所にあるはずだ。

明らかに、不審な竜人だった。


しかし。


なぜだろうか。

なぜだか、全く悪い気がしないのだ。

追い返すどころか、私は彼女のその真っ直ぐな瞳から目を離すことができなかった。心臓が、まるで別の生き物になったかのように激しく鼓動を始めている。顔が熱い。手の中のペンが震えている。


私は、エラーラ・ヴェリタスと飛竜という、歴史上の英雄にしか恋をしたことがない。彼女たちへの愛が深すぎるあまり、現実のどんな美しい女性にも靡いたことは一度もなかった。私の魂は、あの過去の二人に捧げられているはずだった。


だが。


今、私は、目の前に立っている正体不明の、パンをねだる黒髪の眼鏡の少女を、心の底から好きだと、愛おしいと思ってしまっている。

雷に打たれたような、絶対的な一目惚れだった。論理も理由も存在しない。ただ魂が、彼女を求めて泣き叫んでいるような感覚。

私は無意識のうちに立ち上がり、ふらふらとした足取りで彼女に近づいた。自分の声が、ひどく上ずっているのがわかる。


「いや、えーとね、あー。そう、私は…………ニーア、ヴェリタス。大丈夫なキツネだから、大丈夫だから。で……あなたの、名前は」


パンのありかではなく、気がつけば私は彼女の名前を問うていた。

黒髪の少女は、不思議そうに小首を傾げた。眼鏡の奥の瞳が、雨の日の薄暗い事務所の中で、なぜか金色の光を帯びて見えた気がした。

彼女は、静かに、そしてはっきりとした声で答えた。


「アスナ。……アスナ・クライフォルト。」


・・・・・・・・・・


それから、数ヶ月後。


「ちょっとアスナ!いつまでベッドでぼーっとしてるのよ! 私の特製モーニングが冷めちゃうでしょ!」


私が声をかけると、大きすぎる私の予備のシャツをパジャマ代わりに着た黒髪の少女が、のそりと起き上がってきた。大きな丸眼鏡の奥の瞳は、相変わらず感情の起伏が読めない。


「……食べる」


アスナはぽつりと呟き、ふらふらとした足取りでテーブルについた。そして、私が差し出したお皿の上のトーストを、両手で大事そうに持ってかじりつく。


「……美味しい。温かい」


「当然でしょ!私が作ったんだから、この街で一番美味しいに決まってるわ! ほら、牛乳も残さず飲みなさいよね!」


アスナがこくりと頷いてグラスに口をつけるのを見ながら、私は思わず頬が緩んでしまうのを必死に堪えていた。

あの日、事務所に迷い込んできたこの正体不明の竜人の少女を、私はどうしても手放すことができなかった。直感、運命、あるいはただの一目惚れ。


まあ、理由はなんだっていい。


この手を離したら、彼女が二度と手の届かない遠いどこかへ消えてしまうような気がしたから。


だから、私は彼女を事務所に泊めることにした。それからというもの、私の心臓は毎日限界ギリギリのペースで鳴りっぱなしだ。


「……私、ここにいて、いいの。パン、毎日ただで食べてる」


アスナはトーストを咀嚼しながら、感情の薄い声で尋ねてきた。


「べ、別に私一人くらい養う稼ぎは、新王都で一番の探偵である私には余裕なんだから!気にするんじゃないわよ!それに、ただでなんて言っていないでしょ。アンタには、今日から私の助手として、しーっかりと働いてもらうんだからね!」


私が胸を張って言い放つと、アスナは眼鏡のブリッジを指で押し上げ、淡々と答えた。


「……助手。わかった。……私にできることなら。何でも命令して」


「め、命令って……もう、行くわよ! 今日は迷子の犬探しっていう、重大な依頼が待ってるんだから!」


街は復興の活気に満ち溢れていた。行き交う人々は皆笑顔で、かつての白紙化の恐怖など嘘のように平和な空気が流れている。

私は真っ白な白衣を翻し、腰には偉大なるエラーラ・ヴェリタスの遺産である魔道具「ナンバー」を誇らしげに巻いて、新王都のメインストリートを闊歩していた。その後ろを、アスナがトテトテと静かな足音でついてくる。


「ほらアスナ!はぐれないように、ちゃんと私についてきなさい!この街は広いんだから!」


私は立ち止まり、後ろを振り返ってアスナに向かって手を差し出した。


本当は、ただ彼女と手を繋ぎたいだけなんだけど、そんなこと死んでも口に出せるわけがない。


アスナは差し出された私の手をじっと見つめ、それからゆっくりと自分の小さな手を重ねてきた。


「……手。……体温、高い」


「うるさいわね!アンタの手が冷たすぎるのよ! ほら、しっかり握ってなさいよね!」


顔がカッと熱くなるのを感じながら、私はアスナの手を強く握り返した。彼女の指は細くて折れそうだけど、不思議と安心する重さがあった。


「……ニーア」


「な、なによ。どうかしたの?」


「……迷子の犬。あそこに」


アスナが空いている方の手で指差した先には、依頼書に描かれていた特徴と完全に一致する茶色い子犬が、路地裏の木箱の影で震えていた。


「助手のアンタがお手柄を立てたってことは、つまり私の指導が完璧だってことよね!よくやったじゃない!」


無事に子犬を飼い主の元へ届け、たっぷりの報酬をもらった帰り道。夕日が新王都の街並みをオレンジ色に染め上げていた。

私は隣を歩くアスナを盗み見た。彼女は相変わらず無表情で、空を飛ぶ鳥をぼんやりと眺めている。


エラーラ・ヴェリタスと、飛竜。


かつて世界を救った二人の英雄に憧れて探偵になった私だけど、今は目の前にいるこの黒髪の少女のことで頭がいっぱいだ。

私は少しだけ勇気を出して、口を開いた。


「ねえ、アスナ。アンタ、今日、少しだけ役に立ったわ。だから……これからもずっと、いつまでも、私の隣にいなさいよね。私が特別に許してあげるんだから」


これは、私なりの、最大限の告白だった。


これ以上ないくらい、ストレートで完璧な言葉のつもりだった。

しかし、アスナは立ち止まり、私の方を向いて真面目な顔で頷いた。


「……ずっと?……わかった。……つまり、雇用契約、無期更新ということ」


「はああああ?……こようけいやく!?」


私は思わず叫んでしまった。


「バ、バカッ!そうじゃないでしょ! もっとこう、なんか、なんか……心とか、運命とか、そういうロマンチックな意味合いを……って、あーもー!」


私が顔を真っ赤にして怒ると、アスナは困ったように瞬きをした。


「……運命。……わからない。私は、そういうの、よく知らないから」


「アンタって本当に鈍感ね!イライラするわ!」


「……ごめんなさい。でも……」


アスナは私の手を、今度は彼女の方からきゅっと握り直した。


「……ニーアの隣は、温かいから。悪くない」


その真っ直ぐな言葉に、私の怒りは一瞬で空の彼方へ吹き飛んでしまった。


勝てない。


この子には、絶対に勝てない。


彼女は私の好意に一ミリも気が付いていないというのに、私の心臓はもう爆発寸前だった。


「……っ! そ、そう! なら、私から離れることは絶対に許さないわよ!私が新王都で一番の探偵になって、アンタを世界で一番、幸せにしてあげるんだから!」


「……うん。わかった」


夕日に照らされた二人の影が、長く長く伸びていく。

私は極太の狐尻尾を誇らしげに揺らし、愛する少女の手を引いて、輝く明日へと続く道を力強く歩き出した。

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