真理6:歩き出す探偵!
かつてのニーアは、ヴェリタスという偉大すぎる名を継承することに、激しい引け目を感じていた。自分は偽物だ、自分は嘘の血脈だ。そう自嘲し、聖女としての仮面に怯えていた。
だが、今。
地脈の風に吹かれ、復興の音に包まれながら、彼女の心には清々しいほどの自信が満ちていた。
ヘレナのように世界を壊し、アスナのように世界を守る。
その二つの激しい「愛」を継承し、誰よりも優しく、誰よりも公平な形で世界に愛を分配した。
血の繋がりなど、もはや、関係なかった。
その行為こそが、何よりも強く、彼女が「ヴェリタス」の魂を受け継いだ正当な後継者であることを証明していた。
「あたしは、ニーア・ヴェリタス。嘘から始まって、真実に辿り着き、世界を破壊して、世界を守った……いいとこ取りの、世界で一番贅沢な名前よ!」
彼女は、自分自身の名前に誇りを持ち、前を向いて歩き出した。
魔法が当たり前になった新しい世界で、彼女は一人の人間として、誰よりも自由に、誰よりも強く生きていく。
愛は世界に満ち、物語は、今度こそ本当の平和へと向かって続いていく。
黄金の尻尾を誇らしげに揺らし、彼女は一歩、また一歩と、自分たちが作り上げた新しい時代の中へと踏み出した。その足取りは、かつてないほど軽く、そして確かなものだった。
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ニーア・ヴェル・リータスの手によって地脈の深淵へと投下された二つのナンバー。それは、ただの魔力生成装置としての枠をとうに超えていた。
一つは、冷徹なるマフィアの女帝でありながら、誰よりも深い愛の歪みの中で世界を等しく無に帰そうとしたヘレナ・ヴェリタスの魂を記憶する鋼。
もう一つは、黒髪を揺らし、眼鏡の奥の理知的な瞳で常に弱者の側に立ち、愛する者たちのためにその身を粉砕して散った探偵、アスナ・ヴェリタスの魂を宿す鋼。
相反する二つの究極の愛。それが、星の血液たる地脈の奔流の中で激突し、融合した瞬間であった。
二人の血脈の源流には、一人の偉大なる存在がいた。銀髪をなびかせ、純白の研究衣を纏い、この世界のあらゆる理を解き明かそうとした孤高の大魔道士、エラーラ・ヴェリタス。彼女の遺した叡智は、あまりにも強大であったがゆえに世界の底に封印され、永きにわたり忘れ去られていた。だが、アスナとヘレナという、エラーラに最も近しい二人の魂が触媒となったことで、地脈はかつてない次元の共鳴を起こしたのである。
暗闇に包まれていた「場所」の空が、突如として眩い白銀の光に包まれた。
それは光の柱となって天高く突き抜け、無数の細かな光の粒子となって弾けた。まるで、世界全体を祝福する銀色の雪だった。
エラーラ・ヴェリタスの頭脳に収められていた深淵なる叡智の概念。
世界の真理、魔法の公式、命の法則。
それらが物理的な光の結晶となって、風に乗り、海を越え、あらゆる大陸へと降り注いだのである。
その銀の雪は、権力者の住む豪奢な宮殿にも、スラムの泥にまみれた路地裏にも、病に伏せる者の窓辺にも、戦場で銃を握る兵士の肩にも、等しく舞い降りた。ゼランディア人か、新王都人か。そんな矮小な括りは、大魔道士の巨大な叡智の前では何の意味も持たなかった。
結晶は人々の体内に溶け込み、失われていた魔力回路を強制的に起動させ、あるいは拡張した。もちろん、受け取る個人の器によって、その力には明確な格差が生まれた。巨大な炎を操る者もいれば、指先に小さな火を灯すことしかできない者もいた。しかし、それは「持たざる者」と「持つ者」という絶対的な断絶の終わりを意味していた。誰もが等しく、この星の鼓動を感じ、己の魂の形を魔法として顕現させる権利を得たのだ。
それは、特定の血統だけが魔法を独占し、他者を支配してきた歴史の、完全なる終焉であった。エラーラ・ヴェリタスが純粋な知的好奇心から追い求め、ヘレナが絶望の中で希求し、アスナが命を懸けて守り抜こうとした「人間」の可能性。それが今、万人の手に委ねられたのである。
その荘厳な光景を、地脈の吹き出し口で見上げていたニーアの頬を、一筋の涙が伝って落ちた。
その激動の世界の中で、ニーアの心にも静かな、しかし決定的な変化が訪れていた。
夜な夜な彼女を苦しめていたPTSDによる悪夢が、いつの間にか、彼女の精神から完全に消え去っていたのである。
なぜか。
その理由は、ニーア自身が一番よく理解していた。
彼女の魂の中に、「やるべきこと」という確固たる強大な柱が打ち立てられたからだ。人は、向かうべき未来を持った時、過去の亡霊から解放される。
ニーア・ヴェル・リータス。
名もなき獣人の孤児であった彼女は、政治的な思惑で「ヴェリタス」という大層な名前を被らされ、ずっとその名に引け目を感じていた。自分は偽物だ。嘘の血脈だ。そう自分を蔑み、アスナやヘレナのような本物のヴェリタスたちの前では、常に借り物の命を生きているような感覚だった。
だが、あの夜。
世界に魔法を解放し、自らの手で運命の歯車を回した時、彼女は初めて、その名が自分の肌に馴染むのを感じた。
血の繋がりなど関係ない。想いを継ぐこと。痛みを背負い、それでもなお世界を愛そうとすること。それこそが、その名の本質だったのだ。
しかし、同時にニーアは痛感していた。自分は、この世界のことを何も知らないということを。ゼランディアの煌びやかな宮殿と、新王都の薄汚れたスラム。彼女の世界は、その二つの極端な箱庭でしか構成されていなかった。
「あたしは、ヴェリタスの名を継いだ。でも、世界を、まだ、知らない。だからこそ────」
だからこそ、彼女は旅に出る決意をした。
世界中にランダムにばらまかれた、あの憧れの大魔道士エラーラ・ヴェリタスの叡智の結晶。それは、魔法の力として人々に宿っただけでなく、物質的なアーカイブの破片として、世界のあちこちに物理的な結晶体としても飛散していた。それを探し出し、回収し、エラーラが本来思い描いていた世界の真理を紐解くこと。
それが、新たなるニーア・ヴェリタスの夢であり、目標であり、そして世界を書き換えた者としての義務であった。
彼女は、かつてアスナと共に街を駆け回っていた頃のような、機能的な服を身に纏った。自慢の極太の金色の尻尾は、もはや隠す必要などなかった。彼女は獣人としての自分を隠すことなく、堂々と胸を張り、未知なる世界へと足を踏み出したのである。
旅は、驚きと感動の連続であった。
灼熱の砂漠を越え、万年雪に覆われた山脈を登り、再建の活気に沸く見知らぬ都市をいくつも渡り歩いた。行く先々で、彼女は「魔法」という新たな道具を手にした人々の営みを目撃した。
ある村では、エラーラの結晶から生命維持の術式を読み解いた老人が、不治の病に苦しむ子供たちを救っていた。
ある街では、土を操る魔法に目覚めた若者たちが、かつての激戦で荒れ果てた土地を耕し、見渡す限りの黄金の麦畑を蘇らせていた。
またある場所では、微弱な光の魔法しか使えない少女が、その光を使って夜の広場で美しい幻影の劇を演じ、人々を笑顔にしていた。
誰もが、自分の力で、自分の人生を切り拓こうと足掻いていた。時に失敗し、涙を流し、誰かとぶつかり合い、それでも、手を取り合って明日へ向かっていく。
その光景を見るたび、ニーアの胸の奥底から、熱いものが込み上げてきた。
これだ。
これこそが、アスナが愛したものの正体だ。
人間は、間違いだらけで、不器用で、どうしようもない生き物だけれど。それでも、泥水の中から立ち上がり、互いの熱を分かち合いながら、美しい歌を紡ぐことができる。
ニーアは旅を続けながら、世界各地に散らばったエラーラの叡智の結晶を少しずつ集めていった。それは単なる魔法の知識の収集ではなかった。様々な人々と出会い、彼らの人生に触れ、共に笑い、共に泣く中で、ニーアは「本当の自分」というものを形作っていった。
無力に震えていた少女はもういない。彼女の金色の瞳には、世界の真理を見極めようとする鋭い知性と、あらゆる者の痛みを包み込もうとする深い慈愛が宿っていた。
そして、旅の途中で彼女は一つの作業に没頭し始めていた。
集めたエラーラの叡智の破片。旅の中で得た様々な物質と技術。そして何より、彼女自身の魂の形。それらをすべて融合させ、新たな「ナンバー」を創り出すこと。
それは、かつて新王都の科学者たちが作ったような軍事目的の増幅器ではない。魔力を持たぬ者に力を与えるための福祉器具でもない。
ならば、これから自分が創るべきナンバーとは何か。
それは、「ニーア・ヴェリタスという人間の証明」であった。己の意志を束ね、愛する者たちの記憶を抱きしめ、未来へと進むための、自分だけの羅針盤。
自分だけの力で、何かを生み出すこと。それがどれほど尊く、どれほど喜びに満ちた行為であるかを、彼女はいま、全身で味わっていた。
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そして、時間は流れ、一つの区切りが訪れる。
抜けるような青空と、肌を焦がすような強烈な太陽の光。遠くから聞こえる海鳥の鳴き声と、潮の香り。
ニーア・ヴェリタスは、久しぶりに、ゼランディアの地を踏みしめていた。
港に降り立った彼女の姿は、かつてこの国を逃げ出した夜の、悲壮感に満ちたものとはまるで違っていた。
コートの裾が、夏の海風に誇らしく翻る。太陽の光を浴びて黄金に輝く極太の尻尾は、彼女の生命力の強さを象徴するように力強く揺れている。そして、その表情は、世界のあらゆる美しさと残酷さを見てきた者特有の、静かで深い自信に満ち溢れていた。
ゼランディアの街並みもまた、一年前とは大きく様変わりしていた。
かつての威圧的な雰囲気はなりを潜めている。魔力格差がなくなったことで、街角には新王都出身の者や様々な種族が入り混じり、活発な市場を形成していた。空には軍用の無人機ではなく、魔法を動力とした色鮮やかな民間用の飛行船がゆったりと浮かんでいる。
そこには、まだ、混乱も不満も渦巻いているだろう。だが、間違いなく、人々は「明日」へ向かって生きている。
「なるほどねえ……随分と、風通しが良くなったじゃあないの」
ニーアは歩き出した。
自分の足で。
自分の意志で。
その右手には、太陽の光を反射して鈍く、しかし温かい光を放つ金属の塊が握られていた。
それは、彼女が、旅の果てに自らの手で創り上げた、世界にたった一つしかない、彼女だけの「ナンバー」であった。
それは、冷たい兵器ではなく、世界を見て回り、人々の歌を聴き、そして自分自身の存在を肯定した、新たなる「ヴェリタス」の証。
ニーアは立ち止まり、抜けるような夏の青空に向かって、その真新しいナンバーを高く掲げた。
空の青さに吸い込まれそうな琥珀色の結晶が、太陽の光を反射してキラキラと輝く。
ニーアの瞳から、大粒の涙が溢れ出した。
悲しみの涙ではない。
孤独の涙でもない。
それは……魂の底から湧き上がる、言葉では到底表現できないほどの巨大な喜びと、感謝の涙だった。
「あたし、やっと……自分の足で立てるようになったわ!この世界で!……あたしは!本当のあたしを、見つけたのよ!」




