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ヴェリタスの最終定理Ⅲ 野狐の偽証  作者: 王牌リウ
●第19章:破滅の時

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真理3:皆殺し!何もかもが死に絶えた!

ヘレナ・ヴェリタスという一人の女性の魂は、決して、生来の悪意によって黒く染め上げられていたわけではなかった。むしろ、彼女は誰よりも深く人間社会を愛し、その脆弱で不完全な営みに希望を見出そうとしていた、本来は心優しき人間であった。親から見捨てられ、冷たい路地裏の泥水を啜るような絶望のどん底にあっても、彼女は決して他者を憎むだけで生きてきたわけではない。彼女を拾い上げ、マフィアという社会の絶対悪を体現する組織「ニルヴァーナ」に身を置きながらも、彼女は常に「弱者が生きられる社会の調和」を夢見ていた。彼女にとっての神であり、絶対の恩人であったファントム・シュピーゲル。彼から与えられた温もりだけが、ヘレナを人間たらしめる唯一の錨であった。

しかし、その錨は、記憶を失った無慈悲な竜人、アスナ・クライフォルトの手によって無惨にも断ち切られた。最愛の恩師を殺害された瞬間、ヘレナの中で何かが決定的に壊れた。彼女の社会に対する底知れぬ愛は反転し、計り知れないほどの憎しみへと変貌を遂げたのである。


愛していたからこそ、許せなかった。


希望を抱いていたからこそ、その希望を踏みにじる世界そのものが、一つの巨大な「エラー」にしか見えなくなったのだ。恩師を殺したアスナへの復讐、そしてアスナを懺悔させて殺害すること。それが彼女の生きるすべてとなった。


そして、今。

新王都の地下最深部にて、ヘレナの狂気は、大賢者エラーラ・ヴェリタスの知見をすべてコピーした究極の情報生命体、墓守教の導師との完全なる融合を果たした。純白の白衣を纏ったヘレナの肉体は、無機質な機械の触手と脈打つ肉塊のネットワークに侵食され、もはや人間とも怪物とも呼べない、おぞましくも神々しい高次元の存在へと昇華していた。


融合の果てに、二つの意志は一つの冷酷な真理へと到達した。


番号持ちと新魔道士の完全なる「調和」を目指したヘレナ。


そして、知的生命体の進化の行き着く先にある「破滅」を教義とする思考蟲。


一見相反するかに見えた二つの目的は、この救いようのない混沌の時代において、見事なまでの最適解を導き出した。すなわち、「すべての生命活動の強制終了」である。

病に冒され、悪意という名の癌細胞が全身に転移した世界を救うには、もはや、安楽死という名の完全なる破滅を与える以外に道はない。ヘレナでも導師でもない、純粋な「終焉の意志」となった融合体は、狂信的な墓守教の信者たちと、精神を完全に掌握したニルヴァーナの構成員たちに向けて、世界そのものに対する同時多発的な絶対特攻を命じたのである。

それは、人類がかつて経験したことのない、究極の地獄の幕開けであった。


北方の山脈に築かれた巨大な魔導貯水ダム。

その中枢に侵入した信者たちが、己の生命力を起爆剤とした自爆魔法を発動させた。数千万トンもの水の壁が、咆哮を上げて谷底へと雪崩れ込む。逃げる暇など一切与えられず、下流に存在していたいくつもの村落は、一瞬にして濁流の底へと完全に沈んだ。


新王都の地下に葉脈のように張り巡らされた地下鉄網。通勤ラッシュでごった返す数十の主要駅において、構成員たちが同時に魔導爆弾を起爆した。轟音と共に分厚いコンクリートの天井が崩落し、何万人もの市民が、光の届かない冷たい地下の闇の中へと生き埋めになった。


都市の生命線である水道施設。そこには、魔力によって生成された無色透明の殺人ガスが極秘裏に混入された。蛇口をひねり、朝の喉の渇きを潤そうとした人々は、一口その水を口に含んだ瞬間、眼球を激しく見開き、口から白い泡を吹いて次々とその場に倒れ伏した。


霊峰と崇められていた火山群。その火口の中心部に、尋常ではない密度の魔力が直接注入された。山々は次々と大噴火を起こした。数千度のマグマと巨大な火山岩が火球となって空から降り注ぎ、新王都の郊外を物理的に粉砕していく。巻き上げられた莫大な量の火山灰は太陽の光を完全に遮り、世界は暗闇に包まれた。


そして、最も残酷な惨劇は、都市部に電力を供給する巨大な魔導発電所で引き起こされた。冷却装置を破壊され、意図的な暴走状態に置かれた魔力炉が、未曾有の魔導爆発を起こしたのである。目に見えない高濃度の変異魔力線が周囲数十キロにわたって撒き散らされた。その光を浴びた近隣の生命体は、即座に遺伝子レベルでの破壊と再構築を強制された。ある者は肉体がドロドロに溶け崩れ、ある者は無数の眼球と触手を持つ怪物へと変貌し、理性を失って互いを喰らい合い始めた。


世界は、わずか数日の間に、完全に終わりの風景を完成させていた。

しかし、これほどの惨劇を引き起こしながらも、ヘレナと導師の融合体は、ただ一つの標的――アスナとニーアの潜伏先に対してだけは、一切の手出しをしなかった。彼らは全知の視座から二人の居場所を完全に把握していた。

だが、動く必要はなかった。

融合体は、アスナが、この惨状を目の当たりにして、必ず自らの前に立ちはだかり、すべてに決着をつけるために挑んでくることを、完璧な精度で予見していたからである。

ヘレナは、恩師を奪ったアスナの魂を地の底まで恨んでいた。同時に、導師もまた、かつて自身の完全な覚醒を阻止し、相打ちの形で封印を施した大賢者エラーラを深く恨んでおり、その憎悪はもちろん、エラーラの最愛の妻であるアスナにも向けられていた。アスナ・クライフォルトを最も残酷な形で絶望させ、その魂を粉砕すること。それこそが、破滅の儀式における最後のピースであった。


その日。

希望に満ちた、あまりにも皮肉なほど美しい朝陽が、灰色の雲の切れ間から新王都の廃墟に差し込んでいた。

地下深くに隠された、わずかな安全地帯。薄暗い潜伏先で、アスナは静かに身支度を整えていた。彼女の視線の先には、極太の金色の尻尾を丸め、疲れ果てて深い眠りについているニーア・ヴェリタスの姿があった。


「これほどの絶望の淵にあっても、呑気に高いびきをかくとは。ふふん……まーったく、呆れるほどに図太く、そして愛おしい小娘であるな」


アスナは、ニーアの頭を優しく撫でた。狐獣人の温かい体温が、掌を通してアスナの心に流れ込んでくる。


「さらばだ、探偵。お前は、私が失った愛を、もう一度この世界に繋ぎ止めてくれた。だが、だからこそ……お前を、この血塗られた因果の終着点に連れて行くわけにはいかぬのだ。私の罪は、私一人で精算せねばならぬ」


アスナは背を向け、迷うことなく地上へと上り始めた。彼女の極太の黒い尻尾が、決意を秘めて力強く揺れていた。

地上に出たアスナの眼前に広がっていたのは、かつて新王都の象徴であった、王都首都中央の巨大な交差点の成れの果てであった。放射状に広がる大通りは地割れによって寸断され、空を覆い尽くしていた巨大な魔導ビジョン群は無惨に砕け散り、黒焦げた骨組みだけを晒している。

そして、その廃墟の中心、十字路の真ん中に、それは浮遊していた。

純白の白衣の残骸。幾重にも絡み合う機械の触手。美しくも禍々しいヘレナの顔と、思考蟲の巨大な複眼がモザイクのように融合した、冒涜的な天使。融合体であった。


『……来たか。アスナ・クライフォルト。我が憎き怨敵にして、姉の愚かなる伴侶よ』


幾重にも重なった、地獄の底から響くような声がアスナの脳内に直接響いた。


「待たせたね!エラーラの亡霊にとり憑かれた醜悪なる蟲よ!」


アスナは眼鏡の奥の青い瞳に一切の恐怖を宿さず、堂々とその異形の前に進み出た。


「お前たちが望む通り、私の過ちに対する懺悔をくれてやる。そうだ!私はファントム・シュピーゲルを殺した!それがお前の魂を永遠に砕く結果になるとも知らずにね!そして、私は、エラーラが残したこの世界を……正しい軌道に導くことができなかった。ああ!……それは、私の計算違いであり、それは……取り返しのつかない罪であるよ!」


アスナの言葉は、廃墟に力強く響き渡った。


「だが!私は決して、希望を捨てるつもりはない!人間は愚かで、弱く、簡単に悪意に染まる!だが!絶望の底にあっても互いを求め合い、手を取り合う尊さを持っている!エラーラが信じた人間は……世界は!それでも、守るに足る存在だ!」


アスナの全身から、凄まじい密度の魔力が青白い炎となって噴き上がり始めた。


「私は終わらせる!すべて!この世界の悪意を!……私の魔力で完全に焼き尽くし、新たなる歴史を創世する!」


アスナの肉体が、爆発的な光に包まれた。ついに、アスナは、天を衝くほどの巨大な質量を持った、漆黒の鱗と巨大な翼を持つ完全なる飛竜へと覚醒を果たしたのである。その咆哮は雲を吹き飛ばし、その翼ばたきは、廃墟の瓦礫を嵐のように巻き上げた。


だが。


その飛竜の完全覚醒こそが、融合体が仕組んでいた、真の絶望を発動させるための「最後の条件」であった。

王都の上空に突如として出現した、巨大な魔力反応。それは、はるか遠方の海を隔てた敵国、ゼランディアの軍事レーダーの針を限界まで振り切らせた。連日の惨劇によってすでに極限のパニック状態に陥っていたゼランディアの首脳陣は、この飛竜の出現を「新王都が放った何らかの兵器」であると誤認した。恐怖に完全に理性を焼き切られた彼らは、一切の議論を待たずに、地下深くに封印されていた絶対禁忌の究極兵器の起動キーを回したのである。

空間破壊爆弾「ニヒリスティック・ヴァイオレンス」。

それは、物理的な爆発力ではなく、指定座標の空間そのものの位相を強制的に崩壊させ、存在を概念レベルで消去する、悪魔の兵器であった。


『……観測した。我々の目的は、いま、達成された。』


「はい?……何の話?」


融合体の複数の複眼が、狂喜に満ちた光を放った。

ヘレナの顔の半分が、歪んだ笑顔を作った。アスナを完膚なきまでに絶望させ、確実なる破滅への引き金を引かせること。彼らは戦うことすら必要としていなかった。飛竜という高エネルギー体であるアスナであろうと、空間そのものを破壊する攻撃を受ければ、どれほどの魔力を持っていようと完全に消滅する。


「ここで貴様を終わらせる!……いま!」


『終わらせる?……もう、終わったのだよ。……さようなら。世界よ』


次の瞬間。アスナが巨大な顎を開き、融合体に向けて究極の魔力ブレスを放とうとした、まさにその直前。

融合体は、自らの体内に内包していた超高圧縮の魔力炉を暴走させ、いとも呆気なく、そして盛大に自爆したのである。

それと全く同調するように、脳内に思考蟲の端末を埋め込まれていた新王都全土の墓守教の信者たち、そしてニルヴァーナの構成員たちの頭部が一斉に破裂し、血と肉の雨を降らせた。

パンッ、という乾いた破裂音と共に、融合体は跡形もなく消え去った。

空を覆うほどの巨大な飛竜となったアスナは、ブレスの矛先を失い、廃墟の空で虚しく翼を羽ばたかせた。敵は、戦わずして自ら命を絶ち、盤上から降りたのだ。「勝ち逃げ」という、最も卑劣で、最も完璧な絶望だけをアスナに叩きつけて。


そして。


空の彼方から、音を置き去りにして「それ」は飛来した。

銀色に鈍く光る、無骨な流線型の兵器。ニヒリスティック・ヴァイオレンスが、王都首都中央の上空、飛竜アスナの頭上数百メートルの座標に着弾した。

光。

音よりも、熱よりも先に、視神経を完全に焼き切るほどの、純白の絶対的な閃光が世界を包み込んだ。

轟音はなかった。音を伝える空気という媒質すらも、瞬時に消滅したからである。

直後、新王都の地表に存在していたすべてのもの――砕けた高層ビル、アスファルトの残骸、死体の山、そして空に浮かんでいた飛竜までもが、重力の軛から解き放たれたかのように、フワリと宙に舞い上がった。

そして次の瞬間、それらの存在は、細胞、分子、原子、さらには魔力を構成する不可視の粒子レベルに至るまで、完全に、そして徹底的に粉砕され、虚無へと還元された。

地上は、一瞬にして広大なクレーターと化し、一切の生命の痕跡は宇宙の塵となって消え去ったのである。

地表の絶対的な破壊から数十分後。

幾重もの魔導防壁に守られた地下深くのシェルターの中で、ニーア・ヴェリタスは、目を覚ました。


「……アスナ!?」


彼女は叫びながら跳ね起きた。しかし、周囲には圧倒的な静寂だけが横たわっていた。彼女の優れた狐獣人の感覚が、そして、探偵としての直感が、あり得ないほどの冷たい事実を告げていた。

頭上に存在していたはずの、数百万の生命のざわめき。そして何より、この星の誰よりも巨大で温かかった、アスナ・クライフォルトの魔力の反応。そのすべてが、完全にゼロになっていたのだ。


「うそ、でしょ……」


すべてが、終わった。

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