真理2:復活する飛竜!決戦へ向かう者たち!
ヴィルゴ・ライ・リーアことヘレナ・ヴェリタスが宣言した、絶対的な暴力による恐怖政治。そして、アスナ・クライフォルトがかつて企図した、偉大なる大賢者エラーラ・ヴェリタスの権威を利用した秩序の回復。その二つの巨大な思惑は、どちらもこの世界に渦巻く人間の底知れぬ悪意を前にして、無惨にも粉砕されていた。
世界は今、目的すら見失った純粋な混沌の坩堝と化していた。
発端は、ゼランディアによる新王都の離島軍事施設への奇襲と、それに数時間遅れて発令された宣戦布告であった。この出来事は、新王都人とゼランディア人の間に横たわっていた溝を、決して埋めることのできない絶望の断崖絶壁へと変えた。街の至る所で、凄惨な殺し合いが日常と化していた。
だが、悲劇は二国間の戦争だけにとどまらなかった。ヘレナが掲げた「悪意への拒否」という理念は、皮肉なことに極端な拡大解釈を受け、自らを「ヴェリタス派」と名乗る暴徒たちを生み出した。彼らは平和という大義名分を振りかざし、少しでも自分たちの意に沿わない者を「世界の敵」として私刑に処し、街の至る所で略奪と破壊の限りを尽くしていた。
さらに、事態を絶望の底へと叩き落としていたのは、魔導規制局の狂気であった。魔力を備えぬ新魔道士たちで構成されたこの組織は、混乱に乗じて権力を掌握し、番号持ちと新魔道士の双方に対する無差別な弾圧を開始した。彼らは「秩序の維持」という名目のもと、少しでも反抗の素振りを見せた市民を次々と連行し、闇に葬り去っていた。
その一方で、番号持ちへの憎悪を煽るために、新魔道士がわざと番号持ちの識別記号を偽装し、同胞であるはずの新魔道士の居住区を狙ったテロまでもが横行していた。
墓守教とニルヴァーナの血みどろの抗争も激化の一途を辿り、もはや誰が何のために戦っているのか、誰が味方で誰が敵なのか、その境界線が完全に消失していた。
瓦礫の山と化した新王都の裏路地。冷たい雨が打ち付ける中、アスナ・クライフォルトは息を荒らげ、血に塗れた壁に背中を預けていた。彼女の細縁の黒眼鏡には細かい亀裂が走り、黒髪は泥と雨水に塗れて頬に張り付いていた。
「世界は、もう、どうしようもないところまで壊れてしまった……。人間の悪意を、私は見誤っていたのね」
アスナは、感情の起伏を極限まで抑え込んだ、ひどく平坦な声で独り言ちた。
その時、雨音を切り裂いて、硬質な金属音が路地に響いた。
「見つけたわよ、アスナ!……こんな薄汚い路地裏でコソコソ隠れているなんて、アンタらしくないじゃない!」
燃え盛る炎の明かりを背に受けて歩み出てきたのは、金色の毛並みを持つ狐獣人の女性、ニーア・ヴェリタスであった。彼女は現在、ニルヴァーナの構成員として、そして最強の刺客としてアスナの前に立ち塞がっていた。
ニーアの極太の尻尾が空気を打ち据えるたびに、圧倒的なプレッシャーが、アスナを押し潰そうとしていた。
「ニルヴァーナの犬。私を処理しに来たのね。今の私には、あなたに対抗する手段はゼロに等しいのだから」
「犬じゃない!狐よ!相変わらず可愛げのない口の利き方ね!……逃げられるとでも思っているの!?探偵としても、戦士としても、あたしが一番なんだから!大人しく私に捕まりなさいよね!」
アスナは青い瞳を静かに閉じ、深く息を吐いた。もはや、小細工が通用する状況ではない。そして、この狂った世界を再び正しい軌道に乗せるためには、自分自身が圧倒的な「特異点」として再誕するしかないことを、彼女の論理回路はとうの昔に弾き出していた。
アスナの右手が、懐の奥深くに隠し持っていた小さな結晶体を握りしめた。それは、かつて親友であったギデオン・ヴァンツから託された、己の封印を強制的に破壊する魔道具。竜の涙。
「……こんな無意味な混沌のまま、終わらせるわけには、いかない!」
アスナは一切の躊躇なく、その血のように赤い結晶体を強く握り潰した。
次の瞬間、アスナの小さな肉体から、新王都の暗雲を天高く吹き飛ばすほどの、凄まじい光の柱が立ち昇った。それは魔力という概念を超越した、生命エネルギーの奔流であった。路地の瓦礫が重力を失って宙に浮き上がり、雨粒が蒸発して高熱の蒸気となって周囲を白く染め上げる。
「な、なによこれっ!?信じられない魔力値じゃない!アンタ、一体……!?」
ニーアは腕で顔を覆い、強烈な光と衝撃波に耐えながら叫んだ。
光の奔流の中で、アスナの肉体は劇的な変貌を遂げていた。華奢な体躯は、内側から爆発的に膨張する魔力細胞によって急速に再構築され、豊満で成熟した女性の姿へと成長していく。胸元は衣服を張り裂けんばかりに大きく膨らみ、柔らかな肉付きの良い腹部がかつての大人の余裕を物語る。極太の尻尾はさらに巨大化して黒い鱗の輝きを増し、青い瞳は万物を俯瞰するような深い知性と圧倒的な覇気を宿していた。
光が収束した跡には、かつて世界の白紙化を食い止めた、アスナ・クライフォルトの、完全なる真の姿があった。細縁の黒眼鏡を中指でクイッと押し上げ、アスナは不敵な笑みを浮かべた。
「ふははははは!ついに、ついに本来の力を取り戻したのであるぞ!長きにわたる窮屈な仮初の肉体とも、これでおさらばなのだ!やはり、これくらい腹に肉が乗っていないと、大魔法を撃つ際の踏ん張りが利かぬからな!」
その口調は、先刻までの感情を殺した平坦なものから、古き時代を生き抜いた誇り高き竜族の、尊大でありながらも、どこか愛嬌のある響きへと完全に変化していた。彼女の全身からは、無尽蔵で絶大なる魔力が陽炎のように立ち上っている。
「さあさあ!さあ!来るが良い、ニーア・ヴェリタス!我が復活の最初の相手として、その強情な鼻っ柱をへし折ってくれるわ!手加減はせぬぞ、私は今、とてつもなーく機嫌が悪いのだからな!」
アスナは両手に恐るべき質量の魔力を圧縮し、ニーアに向けて身構えた。どんな強力な魔導装甲であろうと、今の彼女ならば一撃で粉砕できる確信があった。
しかし。
ニーアは、アスナのその圧倒的なプレッシャーを前にしても、一歩も引かなかった。それどころか、彼女は、ゆっくりとアスナに向かって歩み寄り始めた。
「な、何のつもりであるか!?罠か!?これは高度な心理戦のつもりか!?なーるほど!……さては、私のあまりの魔力に恐怖して正気を失ったのだな!?」
アスナは警戒を強め、魔力の圧縮を維持したまま後ずさった。だが、ニーアは立ち止まらない。彼女はアスナの目の前まで歩み寄ると、不意にその場に膝をつくこともなく、まっすぐに両腕を伸ばし、力強く抱きしめたのである。
「……えっ?な、なにを、なにをしているのだ、お前!?」
「……ばか。ほんっとうに、アンタは鈍感なんだから。世界で一番のバカで、どうしようもない竜なんだから」
アスナの胸元に顔を埋めたニーアの声は、微かに震えていた。雨音に混じって、彼女のすすり泣く声が聞こえてくる。
「アンタのその馬鹿みたいにまっすぐなところが、あたしは……ずっと、ずっと前から……好きだったのよ!記憶がなくても、死んだエラーラのことばっかり考えてても、この最低で狂った世界で、それでも必死に希望を探そうとするアンタから、あたしはもう、絶対に離れられないんだから!」
それは、ニルヴァーナの刺客からの降伏宣言ではなく、一人の不器用な少女からの、魂を削るような……愛の告白であった。
アスナは両手に圧縮していた魔力を霧散させ、呆然と立ち尽くした。彼女の高度な論理回路は、この非合理極まりない事態を解析できずにショートしかけていた。しかし、ニーアの体温と、彼女の小さな鼓動が、アスナの失われていた感情のピースを急速に埋めていく。
ニーアは、たった一人の家族であった兄のギルガを失い、孤独という名の地獄を彷徨っていた。
アスナは、最愛の妻であるエラーラを失い、記憶を封じてまで世界を救おうと孤独な戦いを続けていた。
互いに心の奥底に巨大な空洞を抱え、それでもこの絶望に満ちたエラーだらけの世界で、ただ一筋の希望の光を求めてもがき続けてきた二つの魂。
この混沌とした戦争と破壊の真っ只中で、論理や陣営、種族の壁すらも超えて結びつこうとする、愚かで、不合理で、しかし何よりも尊い人間の感情。これこそが、アスナがかつてエラーラと共に目指した、「愛」の究極の形に他ならなかった。
「……ニーア。お前という奴は……本当に、仕方のない、手の焼ける探偵なのだな。私の完璧な演算を、ここまで見事に狂わせるとは、大した小娘であるぞ!」
アスナは静かに微笑み、少しだけふっくらとした己の腕で、雨に濡れて震える金色の狐獣人の背中を、優しく、そして力強く抱き返した。
一方その頃。
新王都の地下最深部、光すら届かない忘却の聖域において、世界を完全に終わらせるための儀式が静かに執り行われていた。
ニルヴァーナのボスであり、エラーラの実の妹であるヘレナ・ヴェリタスは、冷たい石造りの祭壇の前に立っていた。彼女の白い白衣は、暗闇の中で幽鬼のように青白く浮かび上がっている。彼女の目の前には、蠢く巨大な肉塊と機械の融合体、墓守教の信仰の対象であり、彼らの導師でもある「思考蟲」が鎮座していた。
「エラーラ・ヴェリタス……。あなたがどれほどこの愚かな世界を愛し、その知識で導こうとしたか、私には痛いほどよくわかっているわ。だがね、それこそが許せないのよ!」
ヘレナは、思考蟲の醜悪な表面にそっと触れた。
ヘレナの暴力による統治は、予想外の混沌を招き、失敗に終わった。だが、彼女は決して諦めてはいなかった。アスナに懺悔させ、そしてこの世界を自らの手で完全に再構築し、永遠の平和という名の死をもたらすために。
ヘレナは両手を広げ、自らの魔力回路を全開にした。思考蟲から無数の触手が伸び、ヘレナの白衣を突き破って彼女の肉体へと容赦なく突き刺さっていく。激しい苦痛にヘレナの顔が歪むが、その唇には狂喜の笑みが浮かんでいた。
それは、天才エラーラの絶対的な叡智と、ヘレナの限界を超えた狂気が完全に融合する瞬間であった。




