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ヴェリタスの最終定理Ⅲ 野狐の偽証  作者: 王牌リウ
●第19章:破滅の時

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真理1:「語り部」

アスナ・クライフォルトの脳内に構築された、世界を救済するための極めて緻密で論理的な数式。それは、自らを犠牲にしてでもヴィルゴ・ライ・リーア、すなわちヘレナ・ヴェリタスを新たな世界の調停役として君臨させ、人々の悪意を力によって封じ込めるという、究極の計画であった。

世界を愛し、世界のために命を散らした大賢者エラーラ・ヴェリタスの妹である彼女ならば、きっと世界に平和を取り戻すことができるはずだと、アスナは信じていた。


だが、それは単なる妄想に過ぎなかったと思い知らされることになる。

運命は、アスナの予測を嘲笑うかのように、全く異なる解答を世界に叩きつけたのである。


新暦141年。

その日、新王都のすべての魔導通信網が何者かによって強制的にジャックされた。街頭の巨大な魔導ビジョン、各家庭の通信端末、果ては道行く人々の携帯端末に至るまで、あらゆる画面がノイズに塗れた後、一人の女性の姿を映し出した。画面の中に立っていたのは、間違いなくニルヴァーナの首領ヴィルゴであった。しかし、彼女が身に纏っていたのは、純白の白衣であった。かつて、誰よりも深く世界を愛し、真理を探求し続けた銀髪の大賢者、エラーラ・ヴェリタスが常に身につけていた、あのトレードマークとも言える白衣。それを羽織ったヴィルゴの姿は、まるで死の淵から蘇ったエラーラの亡霊のようだった。


「私の名は、ヘレナ・ヴェリタス。かつてこの世界を愛し、そして、お前たちの悪意によって殺害された大賢者、エラーラ・ヴェリタスの実の妹である」


彼女は、「ヴェリタスの正統なる後継者」として、突如として名乗りを上げたのである。アスナの青い瞳が驚愕に見開かれた。アスナは、ヘレナを時間をかけて社会の表舞台へと誘導するつもりだった。しかしヘレナは、自らの意志で、最も劇的で、最も暴力的な形で、世界の中心へと躍り出たのである。


「私はここに、この世界に蔓延るすべての『悪意』に対する明確な拒否を宣言する。番号持ちと新魔道士の対立。新王都人とゼランディア人の対立。これ以上の無駄な戦いを、即刻やめよ。他者の命を脅かす無意味な争いを続ける者は、私が、いかなる手段を用いてでも、例外なく殺害する。これは警告ではない。世界が生き残るための、最終定理である」


それは、ヘレナなりの平和への模索の末に辿り着いた、最も狂気的で、最も純粋な回答であった。絶対的な暴力による恐怖政治。人間たちの自由意志を完全に否定し、神の如き力で、悪意そのものを世界から物理的に切除する。それが彼女の選んだ「調停」であった。


だが、この圧倒的な暴力による平和宣言は、彼女が意図した「悪意の停止」をもたらすどころか、世界の恐怖を極限まで煽り立てる結果となった。特に、長年にわたり新王都からの迫害を受け続け、常に存亡の危機に立たされていたゼランディア国の指導部にとって、ヘレナの宣言は「全ゼランディア人への無差別虐殺の予告」と同義に受け取られた。

大賢者エラーラの力を引き継ぐゼランディア人がが、新王都人として、ゼランディア国に対して、無条件の降伏と服従を要求している。恐怖に駆られたゼランディアの首脳陣は、疑心暗鬼とパニックの果てに、最も愚かで、最も破滅的な選択を下したのである。


ヘレナの宣言から数日後の、まだ夜も明けきらない静寂の早朝。新王都の遙か南方に位置し、国防の要として最新鋭の魔導艦隊と航空戦力が集結していた孤島の巨大な軍事施設。

その平和な海空に、突如として無数の影が舞い降りた。それは、魔導爆撃に特化した巨大な飛空艇の編隊と、魔力を限界まで暴走させた竜騎士たちであった。孤島の軍事施設は、休日の朝ということもあり、完全に警戒を解いていた。レーダーの役割を果たす魔導感知網は、飛空艇が放つ特殊な妨害電波によって無効化されていた。

そして、空から無数の魔導爆弾が雨霰と降り注いだ。それは、一方的で無慈悲な殺戮であった。港に停泊していた新王都の巨大な魔導戦艦群は、起動する間もなく次々と直撃弾を受け、無様に海へと沈んでいった。飛行甲板に並べられていた最新鋭の戦闘用飛空艇は、一機の離陸も許されることなく、連鎖的な大爆発を引き起こして炎の海へと姿を変えた。逃げ惑う兵士たち。鳴り響く空襲警報。空を埋め尽くす黒煙と、引き裂かれるような断末魔の悲鳴。

ゼランディア軍の奇襲は、歴史に残るほど完璧な成果を上げた。


その数時間後。新王都の中枢にある政府機関に、ゼランディアの特命全権大使から一枚の書状が届けられた。それは、宣戦布告の通知であった。攻撃が終わった後に届けられた、遅すぎる宣戦布告。

この事実は、新王都の市民たちにゼランディアに対する修復不可能な激しい憎悪を植え付け、ヘレナが宣言した「恐怖による平和」すらも吹き飛ばす、全面的な絶望の戦争への引き金を引いてしまったのである。


「私の、ミスだ……」


アスナは誰に聞こえるでもなく、唇を微かに動かして呟いた。もはや、彼女が裏から糸を引いて事態を収束させるような段階は完全に過ぎ去ってしまったのだ。

アスナの足は、無意識のうちにある場所へと向かっていた。錆びた鉄の扉。かすれかけた看板に「奥泉」と書かれた、時代遅れの小さなバー。

アスナは迷うことなくその扉を押し開けた。カラン、という古びたベルの音が、静寂に包まれた店内に虚しく響いた。

店内には客の姿はなかった。カウンターの奥で、白髪交じりの初老の男が、無言でグラスを磨いている。バーのマスター、ハママツ。

しかし、その正体は、かつての王都の伝説の情報屋であり、エラーラやアスナと深い親交を結んでいた男、ギデオン・ヴァンツであった。彼は、アスナが記憶を失った後も、彼女がかつて世界を救った飛竜であることを知る、この世界で唯一の生き残りであった。

アスナはカウンターに静かに腰を下ろした。ギデオンは、磨いていたグラスを置き、何も言わずにアスナの前に一杯の冷たい水を出した。


「……マスター。預けていたものを、返してほしい」


アスナの言葉は、短く、そして重かった。ギデオンの瞳が、わずかに揺れた。

アスナが彼に預けていたもの。それは、「竜の涙」と呼ばれる、この世に二つとない魔道具であった。それは、アスナの飛竜としての失われた魔力と記憶を強制的に限界まで引き上げ、完全な状態で復活させるための劇薬である。アスナはかつて、自分が再び飛竜の力を必要とする日が来たときのために、最も信頼できる親友であったギデオンに、それを託していたのだ。

ギデオンは深く息を吐き、カウンターの下から古びた木箱を取り出した。その中には、血のように赤く輝く、美しい宝石のような結晶体が静かに収まっていた。竜の涙。ギデオンはそれを箱ごとアスナの前に差し出した。しかし、彼の手は箱の縁を強く握りしめたまま、そこから離れようとしなかった。


「……ギデオン?」


アスナが静かに名を呼ぶと、ギデオンは苦痛に満ちた表情でアスナを見つめ返した。彼の首元に刻まれた、見慣れない刺青がアスナの視界に入った。それは、ニルヴァーナの幹部のみが刻むことを許される、服従と忠誠の証であった。


三十年。


それは、人間の心を完全に作り変えてしまうには十分すぎるほど、残酷で長い年月であった。エラーラが死に、アスナが記憶を失い、世界が狂いゆく中で、ギデオンもまた、生き残るための壮絶な闘いを強いられてきた。その果てに、彼は社会の暗部で生きるために、ヘレナ・ヴェリタスの圧倒的な力の前に屈し、ニルヴァーナの構成員として魂を売っていたのである。

ギデオンの心の中で、二つの巨大な歯車が激しく軋みを上げていた。ニルヴァーナの構成員としての絶対の掟。もしアスナが記憶を取り戻し、ヴィルゴ――いや、ヘレナに反旗を翻すような動きを見せたならば、即座に彼女を捕縛し、首領に報告しなければならない。

しかし、目の前に座っているのは、かつて共に笑い、エラーラが命を懸けて愛した不器用な少女、アスナ・クライフォルトなのだ。

ギデオンの握りしめた手から、血が滲むほど力が込められていた。

長い沈黙。

そして、永遠のような葛藤の末、ギデオンの張り詰めていた指の力が、ふっと抜けた。

彼は、竜の涙を完全にアスナの方へと押しやった。


「もう……お前の好きにしろ。アスナ」


その声は、掠れ、震えていた。しかし、そこには確かな人間の意志が宿っていた。アスナは、ギデオンがすでにヘレナの手先として自分を監視する立場にあったこと、敵に回っていたことを完全に理解した。だが同時に、彼が組織の掟よりも、己の命よりも、かつての親友への友情と、世界への最後の希望を優先し、この竜の涙を託してくれたという事実を、深く魂に刻み込んだ。彼は、汚れきった社会の中で、それでも、最後の一線で、人間としての誇りを守り抜いたのだ。


アスナが竜の涙を手に取った、まさにその瞬間であった。

背後の古びたベルが、悲鳴を上げるように激しく鳴り響いた。

重厚な木の扉が乱暴に蹴り開けられ、冷たい雨の匂いと共に、圧倒的な魔力のプレッシャーが店内になだれ込んできた。

入り口に立っていたのは、純白の白衣を雨に濡らしたヘレナ・ヴェリタス。

その傍らには、困惑の表情を浮かべる 黄金の瞳の狐獣人、ニーア・ヴェリタス。

そして、彼女たちの背後には、重武装を施したニルヴァーナの精鋭部隊が、音もなく銃口を構え

ヘレナは、カウンターに座るアスナの背中を見つめ、一切の感情を交えない、氷のような声で宣告した。


「記憶が戻ったのか。だが、もう遅い。アスナ・クライフォルト」


その瞬間、アスナは悟った。ヘレナは、アスナが裏で何を画策し、どのような数式を組み立てていたのかを、すべて完璧に見透かしていたのだ。エラーラと同等か、あるいはそれを凌駕するほどの恐るべき知性。ヘレナは、アスナがギデオンと接触することも、竜の涙を受け取ることも、すべて、計算し尽くした上で、最も絶望的なタイミングで現れたのである。


「私が世界を管理する。……お前の計画など、破綻していたのだよ。最初からね。……いまこそ、シュピーゲルを殺した罪を、償ってもらう」


ヘレナがゆっくりと手を挙げた。部下たちの魔導拳銃が一斉にエネルギーの充填音を響かせる。絶対絶命。

だが、その時。

カウンターの中から、ギデオンが音もなく現れた。彼は、ヘレナとアスナの間に立ち塞がった。


「行け……!」


アスナの瞳が、限界まで見開かれた。

彼女の心の中に、強烈な悲しみと感謝が同時に爆発した。しかし、彼女は振り返らなかった。

振り返れば、ギデオンの覚悟を無駄にすることになる。アスナは竜の涙を強く握りしめ、カウンターを飛び越えて店の奥の暗い厨房へと駆け込み、強固な鉄製の裏口の扉を蹴り破って夜の路地裏へと姿を消した。

部下たちがアスナを追跡しようとするのを、ヘレナは制止した。彼女の氷のような視線は、立ちはだかるギデオンに向けられていた。


「ヘレナ・ヴェリタス。この世界を終わらせたあんたに、最後に言っておくことがある」


「……?……。……?」


ヘレナは呆れて首を傾げ、部下と顔を見合わせた。

部下も、首を傾げた。


「お前の物語など聞く必要はない。やれ」


ヘレナは背を向け、ニーアと共に静かに店を出ていった。冷たい雨が、二人の足元を濡らす。

直後、バー「奥泉」の店内から、耳を劈くような凄まじい轟音が連続して鳴り響いた。それは、一発や二発の銃声ではない。

執拗な、一斉掃射。

銃撃音が鳴り止んだ後、店内には焦げた肉の匂いと、粉々に砕け散ったガラスの破片だけが残されていた。


店の外の雨の中で、ニーア・ヴェリタスは黙って空を見上げていた。彼女には、ヘレナがなぜこれほどまでに残酷な手段を選んだのか、そしてアスナがなぜ逃げることを選んだのか、その複雑に絡み合った因果のすべてを理解することはできなかった。しかし、彼女の黄金の瞳の奥には、一つの揺るぎない決意が固まっていた。

最強の魔導士の妹であるヘレナ・ヴェリタスの力にひれ伏すか。

それとも、世界を救おうとする最強の飛竜、アスナ・クライフォルトの背中を追うか。

ニーアの心は、すでに答えを出していた。


すべてを知る男、ギデオン・ヴァンツの死。それは、この世界がもはや、後戻りのできない絶対的な破滅の時代へと突入したことを意味していた。

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