三話 通い妻の話
「おかえりなさいませ、旦那様!」
「…………何故お前がいる」
あの見合いから早数日。
彼が騎士団の訓練業務から帰宅すれば、毎度出迎えてくるのは邸宅の使用人ではなく何故か彼女なのである。以前までは週に4,5回の頻度で見てた顔をもう毎日見ている。
それに文句を毎度付けるのだが、彼女はどこ吹く風とそれをスルーする。
「……あの、旦那様? 本日はお食事にします? それともお風呂? あ、もちろんわたしでも、」
「風呂入って飯の一択だろ」
わたしでもいいですよ、と彼女が言い終える間もなく彼が即答するので少しばかり残念に思いながらも「……用意ができてますのでどうぞ」と答える。
彼女の言葉を待たずして廊下を突き進む彼だが、その足はやむを得ずすぐに止めることになった。
「────あらあら、ダメじゃない。せっかく出迎えてくれた可愛い婚約者を無視して歩き出すなんて。わたくしの弟ながら本当に信じられない神経だわ」
「………………姉上」
彼の前に立ちはだかるのは背の高い彼と似て劣らずの高身長の実の姉であった。
彼がおとぎの国の王子と呼ばれるのであれば、その姉は王女様である。それも、王子と結ばれようとするお姫様との間を邪魔し意地悪をする悪役がピッタリの鋭い目つきを持っているが、まさか本人にそのようなことが言及できる者がこの国にいるはずもなく、またその美貌に一切の揺るぎがないのは確かで日頃からたくさんの求婚者が列をなしていることがよく見られる光景だ。
あのお見合いの日以来、少女と騎士の男の関係は暫定婚約者となった。
これが正式ではないのは男側、つまりかの騎士様がお認めになられていないからである。
あの日以来、少女は男に対して「旦那様」呼びではあるものの、相変わらず彼の態度が変わることはなかった。
「ねぇ、新妻ちゃん? こんな酷い弟だけどどうか呆れるだけに留めておいてね。この子素直じゃないだけで本音は貴女にデレデレで、」
「姉上、くだらん嘘をやめてください」
「あら、愚弟がわたくしに口を挟む気かしら?」
「………………っ」
有無を言わさぬ空気を醸し出す実の姉に、彼は何も言えなくなった。何故か昔から、彼は自身の姉に強く出られないのである。
それは本能的なものなのか、それとも生まれる前からさだめられていたことなのか。
彼にもわからないところである。
「お義姉様っ! わたし、どんな騎士様でもずっと好きですわ」
「あらぁ、新妻ちゃんは本当にいい子ね。この愚弟には勿体ないわぁ」
眼の前に繰り広げられる会話にいい加減嫌気が差し、彼は一つ息を吐くとこっそりとその場を後にした。
訓練の一環で走って邸宅まで帰宅をしてきた彼は、さっさと汗を流して夕食を取りたいのである。
女たちのいつ終わるか知れない長話に付き合ってられる時間も体力もないのだ。
「こんなにいい子をお嫁に貰えるなんて我が弟は本当に恵まれてるわね。羨ましい。わたくしがお嫁に欲しいくらいだわ」
「お義姉様。お義姉様はご婚約者様のお屋敷に滞在して花嫁修業をなさっているのですよね? 日頃どんなことをしているのですか?」
「そうねぇ、せっかくだから色々と教えてあげるわ。新妻ちゃんも一緒に花嫁修業頑張りましょう?」
「っ! はいっ!」
背後で交わされる会話が聞こえつつも振り返って止める気力さえも湧かず、彼は欠伸を噛み締めて浴場に向かうのであった。
だからこそ、彼はこの次に交わされる二人の会話を知ることも、ましてや止めることもできなかった。
「あ、いつの間にか愚弟がいなくなってるわね」
「あ、本当ですね。多分浴場の間に向かわれたのでしょう」
「ふーん。……そうよ、新妻ちゃんも行ってらっしゃい! 背中の一つも流してやればいいわ」
「え、……ぇえっ!? っさ、流石にそれはっ」
「あらいいじゃない。そのまま婿に行けない身体にさせなさい!」
「お、お義姉様っ!?」
顔どころか首や手足まで真っ赤に染め上げた彼女を、義姉と呼ばれたその人は愉しそうに眺めていたのであった。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
ザップーン
もくもくと湯気が立ち込める広々とした浴場で、大きく湯船が揺れる音が響く。
「……はあー」
そして次に響くのは一人の男の付いたため息である。
一日の汗を流し、身体の疲れをほぐすために深く湯船に浸かれば今日一日の訓練内容を頭の中で反芻する。
次に寝る前に行うべき柔軟の組み合わせを考え、明日の訓練へと思いを馳せる。
まるで脳筋、いや、偽りない脳筋なことに思考を割くのが彼の日課であり、誰の邪魔も入らない浴場でこそ精神統一も兼ねてゆっくりと湯船を浸かることは彼にとって一日の中で大変重要度の高い時間であった。
しかし、この日ばかりは普段通りと行かない。
カラカラ
「……ぁ、あのっ旦那様ぁ?」
「…………ぁあ゛?」
浴場の間の扉が開いた音がしたと思えば、弱々しくも意を決したような少女の声が響く。
いくら14歳とはいえ、どこか危うげな幼さが残す彼女が浴場の間に現れても今も現役の成人した男の動揺は一切誘えなかった。
代わりに心根から苛立たしげなことを悟らせる声色が出ていた。
しかし、普段から彼女に対しての態度がそれであるのが影響してか、彼女がそれに戸惑うことはなく、だが、今はそれ以外に意識が向いているのか彼女は今も湯船に浸かる男よりも肌を赤らめて、どこかたどたどしい様子で次のことを提案した。
「あ、あのっ……〜。……っお、お背中お流ししましょうかっ、旦那様っ!!」
まだ幼さを残す危うげな少女が頬を赤らめ恥じ入るようにそのようなことを口にすれば、日頃から正常な思考を持つ男でさえも新たな扉を開いてしまいかねないのだが、このときこの場にいた唯一の男である彼は呆れたようにそれに対し、一つ息をこぼした。
「……断る」
「えっ!?」
怒鳴るわけでもなく静かに拒否されたことに彼女は驚き、声を上げた。拒否されることはわかっていてももっと激しく拒絶されるものだと思っていたのだ。
まるで頭から水を被ったような衝撃を彼女は受けたのだ。
「……どうせ姉貴に唆されたんだろう。ガキがンなことしなくていいんだよ。さっさと出てけ」
「でっ、ですが」
「まぁ、どうしてもって言うなら頼んでやってもいいぞ?」
「…………ぇ」
必要ないと言われそれでも食い下がろうとした少女に、彼は湯船の中から彼女を覗き込むように見てニヤリと口角をあげた。
普段からおとぎ話の王子のように整った容姿をしている彼が、浴場で、それも湯気立ち込める湯船に浸かりながら、その髪から水を滴らせているその姿はたとえ年端のいかない少女であっても虜にされる色香を漂わせている。
少女の意識が絡め取られているのを知ってか知らずか、彼は愉快そうに言った。
「あぁ、背中だけとは言わず全身洗ってくれてもいいんだぜ?」
普段の苦味を噛み潰したような声も、心の底からの苛立ちを纏う声も今は鳴りを潜め、どこか悪い艶を含んでいるような雰囲気を醸し出している。
そんな彼に平常心でいられるはずもなく、彼女は大きく戸惑い動揺した。
「そっ、そんなのダメに決まってるじゃないですっ!? ダメですよっ! 絶対にダメぇ〜!!」
そう叫ぶが早いか、それはもう顔を真っ赤に染め上げ彼女はほぼ涙目で浴場の間を飛び出していった。
湯船に浸かったまま一人その場に残された男はまた一つ息を吐くと小さく呟いた。
「…………逃げたな」
その呟きが浴場の間に響くことはなかった。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
「では旦那様、行ってらっしゃいませ!」
「……なんで朝からお前がいるんだよ」
昨夜の一幕がまるで嘘だったかのように、にこやかに明るく見送りの言葉を送る少女にこれから仕事場である騎士団に向かう彼は当然と言える疑問を口にした。
「頑張って早起きしてきたんですよ? 褒めてくださらないのですか?」
「常識を知らないのか? 朝から他人の屋敷に来るとは何様なんだ」
いくら早起きしたとしても騎士団に務める彼が家を出る時間に間に合うようにするには、かなり早い時間の起床が必要だ。
そもそもそんな朝早くから人の家を訪ねるのにも、常識が欠けていると言わざるを得ないだろう。
「通い妻はお気に障りましたか、旦那様?」
「それを肯定したらここに住み込む気だろ、お前」
意図的に頷かせるのが目的で少女が紡いだ言葉は一瞬にして彼によって一蹴された。
よくわかりましたね、と悪気もなく少女が嬉しそうに答えれば、彼は「嫌でもわかってくるわ」と嘆くように唸った。ここ数日で彼の嘆く頻度が増えた気がする。
そして、彼女はにこやかな笑みを携えたまま次のことを彼に提案した。
「では旦那様。頬を出してくださいませ」
「あ゛?」
これに素直に答える男でもなく、更に眉を顰めれば少女は元気よく意気込んだ声を出した。
「行ってらっしゃいのキスをするのですっ!」
「いるかそんなもん!」
間髪入れずに彼が一蹴するが、少女がその程度で挫けることもなく。
「元気出ますよ!」
「出ん!」
「気分良くなりませんか?」
「ならん!」
「…………そんなにダメですか?」
「マセガキは黙ってろ」
かと言って言葉で勝ることもできないのであった。
口先を尖らせて拗ねるような態度を見せる彼女を気にすることもなく、彼は背を向けて「じゃ行ってくるわ」と使用人たちに声をかけると玄関口に手をかけた。
「旦那様、行ってらっしゃいませっ。お早いお帰りをお待ちしております」
「お前は自分の家に帰れっ!!」
最後の最後、彼は朝から大声で怒鳴ることとなる。
国一の美形騎士様は14歳の少女である婚約者(仮)に朝から振り回されるのであった。
(次回、デート回!)




