第一話 ホテルに届いた交際宣言
スマホが三回、続けて震えた。
家族LINEの「鷺沢家」だ。年の瀬にこのグループが騒ぐときは、だいたい誰かの自慢から始まる。
従兄の崇史が、写真を一枚貼っていた。
肩を出した、グラビア風の一枚。その下に一行だけ。
『紹介します。彼女の乙部瑠衣です』
祖父のアイコンが、すぐに動く。
『さすが俺の孫だ』
『女優さんが孫のお嫁さんになるなんて、長生きはするもんだねえ』
『瑠衣ちゃんって、あのドラマの子でしょ? すごいじゃない』
『おめでたい話だけど、妬む人もいそうで心配』
最後のは伯母だ。誰のことかは書いていない。
書かなくても伝わる書き方を、あの人はよく知っている。
『まあ、向こうも忙しいからさ。そのうちね』
崇史の返信に、スタンプが縦に七つ並んだ。
ホテルの部屋は暖房が効きすぎていて、シーツの上で画面だけが白い。
写真を指で広げたところで、横から腕が伸びてきた。
細い腕が腰に回り、背中に額が当たる。画面の中と同じ顔が、枕から半分だけこっちを覗いていた。
「今年の正月は、ご両親に会わせてくれないの?」
「正月2日は、杢沢町の楡庭って料亭で、親戚の新年会。そこには連れていけない」
返事はない。腰の腕に、少しだけ力が入る。
俺はスマホを伏せて、枕元に置いた。
*
帰省した日の昼過ぎ、実家の手前の農道で、正面から黒いセダンが来た。
道幅は車一台半。どちらかが田んぼの縁へ寄らないと、すれ違えない。
ワイパーの付け根に、高速のどこかで拾った枯れ葉が一枚挟まったままだ。
セダンが止まって、運転席の窓が下りた。
「おー、征吾じゃん。まだそれ乗ってんの?」
「うん」
「国産のコンパクトだろ。150万円ってとこか。安物買いの銭失いってやつだぞ、それ」
崇史はハンドルを指で叩いた。
「こっちはドイツ車。900万円はしたからな」
「へえ」
「へえ、じゃねえよ。お前、まだ会社員だっけ。年収いくら?」
「普通」
「普通ね。普通って便利な言葉だよな」
本家の縁側で、誰かが腰を上げる気配がした。この農道は、縁側から丸見えだ。
「車なんてさ、乗り潰すもんじゃないんだよ。飽きたら替える」
「そういうもんか」
「車も女も、三か月で替えるもんだろ」
自分で言って、自分で笑っている。
窓から突き出した手首に、文字盤の大きな腕時計が光っていた。
*
縁側には、祖父母と伯父夫婦がいた。少し離れて、うちの両親。
分家の年寄りが二人、湯呑みを持ったまま首を伸ばしている。
「崇史くんは、いい車に乗るようになったなあ。今は何の仕事だったか」
「配信っす。ネットで物売るやつ。月によっちゃ、そこらの社長より稼ぐんで」
年寄りが感心したように唸ると、伯父がまんざらでもない顔で頭をかいた。
伯母は、母の膝の上で組まれた手に目をやってから、湯呑みに口をつける。
「征吾も、向こうでちゃんと働いてますから」
母が小さく言った。
「出来がいいのは、うちの家系で一人だけだな」
祖父の声は大きくない。大きくなくても、縁側の端まで届く。
「同じ家で育って、どうしてこうも違うのかねえ」
祖母がため息をついた。
「ほんとに」
伯母が、すぐに相槌を打つ。
崇史が車を降りてきて、縁側の前で両手を広げる。
「やめてやってよ、じいちゃん、ばあちゃん。征吾は底辺のサラリーマンなんだからさ」
「家もない、彼女もいない。あの車に乗れてるだけで御の字だって」
庇う声のまま、崇史は俺の車を振り返った。
祖父の目が、俺を通り越して、父の上で止まる。
「敬三」
父の背中が、少しだけ伸びた。
「あのとき俺が反対したのに、大学院まで行かせて何になった」
「……」
「あいつは高校中退で、この車だ」
祖父は顎で、黒いセダンを指した。
父は頷いた。
湯呑みを膝に置いたまま、もう一度、頷く。
母は、自分の足袋の爪先を見ていた。
「まあまあ。征吾にも、そのうちいいことあるって。たぶんな」
崇史が笑って、それで話をまとめた顔をした。
*
崇史が、袖口を引いて腕時計を持ち上げた。
「征吾、悪いけど車どけてくれる? 今日、接待が三つ入っててさ」
「ぶつけたら大変だろ。高いんだし」
「ぶつけたって、また買えばいいだけ」
俺は窓を下ろしたまま、セダンの後ろへ目をやった。
「後ろ、傷が入ってるぞ」
「は?」
崇史がドアを開け放したまま、車の後ろへ走っていく。
腰を折って、黒いボディに顔を近づけたまま、前から後ろへ。後ろから前へ。
「崇史、どうした」
「傷だって。征吾が」
縁側から伯父が声をかけ、崇史は振り向きもせずに答えた。
「どこだよ。ないだろ。……ないよな?」
一周。二周。
三周目で、縁側の年寄りが咳払いをした。
崇史が顔を上げる。
俺は窓から首を引っ込めた。
「……見間違いかな」
「征吾、お前な」
耳の赤さが、首のほうへ降りていく。
「からかってんのか。なあ」
コンパクトの幅なら、縁ぎりぎりで抜けられる。
俺はアクセルを踏んだ。
ルームミラーの中で、崇史が車の横に突っ立っている。その奥で、伯父と伯母の顔が赤黒く固まっていく。
縁側の端では、父がさっきと同じ格好のまま座っていた。




