第26話 ありがとう
「…………ん……」
意識を取り戻したリヒトがうっすらと目を開けると、そこは薄暗い部屋の中だった。
どこか見覚えのある薄汚れた天井。
肌に触れる粗末なシーツの感触。
あたりはしんと静まっていて、物音ひとつ聞こえない。
(ここは……)
徐々にはっきりとしてきた頭で記憶を辿る。
たしか村を襲ってきた魔物を倒すために炊飯スキルを使って、魔力切れを起こして意識を失ったはず。
あの後自分はどうなったのだろうか。
村は、皆は、ニーナは――
「リヒト……?」
ふと、隣から名前を呼ぶ声が聞こえた。
ゆっくりと首だけまわして目を向ける。
「……ニーナ」
隣には同じように仰向けになっているニーナがいた。
二人で横並びになって寝ころびながら、首だけを向けて見つめ合う。
「よかった。目が覚めたみたいね。無理に動かなくていいよ」
「ここは……?」
「私の家。もう大丈夫だよ」
もう大丈夫。
その言葉にリヒトの体からすうっと力が抜けていく。
よく見れば、そこはバルトロの家の中だった。
リヒトがベルタの村にいた頃にお世話になっていた家。
適当に敷かれたわら布団の上でフェイやルカたちと一緒に雑魚寝していた部屋だ。
そしてそこはニーナが生まれ育った場所でもあった。
「昔はね、この部屋で家族皆で寝てたんだ」
ふと、ニーナが小さな声でつぶやく。
天井を見つめながら、懐かしむような声で続ける。
「でも5人で寝るとさすがに狭くて。寝返り打つと誰かにぶつかっちゃうの」
「ニーナは寝相が悪いからな」
「いやいや。私だけじゃなくてフェイとルカも寝相悪いし」
二人だけの静かな部屋に、ニーナのくすくす笑いが響く。
父と母。そして妹と弟。
ニーナにとってそこは、家族と一緒に過ごした思い出の場所だ。
古くて小さな家だが、いつも賑やかで、家族の温もりに包まれていた。
そんな大切な場所が失われずにこうして残っている幸せを、ニーナは噛み締めていた。
「ねえ、リヒト」
「ん?」
ニーナがまっすぐな目で見つめてくる。
少し間を置いて、真面目な声で言う。
「ありがとう、村を救ってくれて」
「……」
ふいをつかれたように固まるリヒト。
しばし呆けた後、口元をふっと緩める。
「どういたしまして。こっちこそ、ニーナの助けがなければ死んでたよ」
「じゃあ私に感謝だね。私へのありがとうは?」
「危ないところを助けてくれてありがとうございました」
「どういたしまして」
互いの顔を見ながら、小さく笑い合う二人。
穏やかな空気が流れた後、リヒトが思い出したかのように訊ねる。
「そういえば他の人たちは大丈夫だったのか?」
「うん、皆無事だったみたい。倒れたのは私たちだけだって」
「そうか。ならよかった」
ニーナと一緒に炊飯スキルで魔物たちを茹で窯の刑にした後、すべての魔力を使い切ったリヒトたちはその場で気を失った。
二人の意識がなくなるのと同時に炊飯スキルで生成した土鍋や水もすべて消え去った。
そのときには村を包囲していた魔物たちはすべて屍と化していたため、村にそれ以上の損害はでなかったようだ。
ちなみに倒れたリヒトとニーナについても命に別状はなく、その後はバルトロたちが家に運んで寝かせてくれたのだった。
村人全員が無事だったという話を聞いて、リヒトは改めて胸を撫で下ろした。
(ようやく終わったみたいだな)
思い返せば、本当に長い一日だった。
プリスペルの街でガンツたちと再会したと思ったら、突然ベルタの村まで転移魔術で飛ぶことになり、その直後にはいきなり大量の魔物との死闘だ。
あのときはとにかく必死だったとはいえ、今思えば随分と無茶苦茶なことをしていた気がする。
今こうして生きているだけでも不思議なくらいだ。
かつてないほどの死線をくぐりぬけたリヒトは、全身にどっと疲労が押し寄せるのを感じていた。
(とりあえずしばらくはゆっくり休もう)
村の様子が気になるところではあるが、無理をするのもよくないだろう。
大仕事をした後だし、ここはしっかりと体を休めるとしよう。
「あ、そうだ。リヒトが目覚めたら皆で宴会をするって」
「え、そうなの?」
「うん。村を守ってくれた私たちにどうしてもお礼がしたいんだって」
それは村を救ってくれた英雄たちを労うために村長であるバルトロが提案した祝宴だった。
命の恩人であるリヒトたちに村中総出で盛大に感謝を伝えたいらしい。
少し恥ずかしい気もするが、皆の温かい気持ちは素直に嬉しかった。
「リヒトの魔力が戻ったらやることになってるから」
「ん? なんで俺の魔力が戻ったら?」
「だってリヒトのご飯がないと盛り上がらないじゃん!」
「……あれ? 俺が飯作るの?」
もちろんと頷きながら、にこにこと微笑むニーナ。
どうやら料理を用意するのはリヒトの仕事だったらしい。
感謝される側だったはずではと、リヒトの頭に疑問符が浮かぶ。
「皆楽しみにしてるって! だから早く元気になってね!」
「へいへい、わかったよ」
リヒトは乾いた笑みを浮かべながらも「ま、いっか」と心の中でつぶやくのだった。




