禁書庫
誰もいない廊下を足早に進む。
周囲に人の気配がないことをさりげなく確認してから、クローディアスが口を開く。
「リア様。どこから探しますか?」
クローディアスに借り物の名前を呼ばれ、問い掛けられる。
「父様の部屋」
視線を向けることもせず、前を向いたまま答えた。
「ティアの核の場所なんか皆目見当もつかない。そんな場所を闇雲に探すのも非効率だ。だったら俺でも存在くらいは知ってる禁書庫を漁った方が早い。図書室に、ティアのことも、呪華なんて存在のことも、そんなこと書いてある本なんて見たことないんだから、そこになにかしらあるって考える方が自然だろう?うちが呪華と深く関わってる家だっていうなら、何かしら残ってない方がおかしい」
記憶を辿りながら続ける。
「この時間なら、父様も執事も来客対応で不在だろうし、部屋は空いてるはずだ。鍵は父様が管理してたはず」
そこまで言い切ると、隣から小さく感心したような声が返ってきた。
「……意外と、ちゃんと見ていたんですね」
「なんだその言い方」
足を止めることなく、眉を顰めながら横目でクローディアスを見る。
相手はいつも通りの落ち着いた表情のまま、こちらの反応を測るようでもなく、ただ淡々と歩調を合わせていた。
クローディアスは、ただ静かに言葉を続ける。
「普段の様子からすると、そういったものは興味がないのかと」
否定するほどでもない。
けれど、そのまま認めるのも妙に癪に触る。
視線を前に戻し、廊下の先を睨むように見据える。
「興味があるとかないとかじゃない。必要なことは覚えてるだけだ」
むっとしながらも、言い返す。
だが、クローディアスにそう言われても仕方ないという自覚はある。
勉強なんて退屈なものはやりたくないと逃げ回り、授業も散々サボってきた。
“出来損ないの末弟”と陰で囁かれ、呆れられても、特に気にしたことはない。
優秀な兄や姉がいるのだから、面倒ごとはそちらに任せればいい。
期待されていないことを都合よく利用して、暇さえあれば遊びに興じていた。
そうやって、適当に生きていた。
けれど、それでも完全には勉学を投げ出さなかった。
なぜなのかは、自分でもよく分からない。
本当に見放されることだけが、どこかで怖かったのかもしれない。
だから最低限の知識や礼儀作法だけは身につけようと、図書室へはよく通っていたのだから。
「着いた」
辿り着いたのは、カーディナの当主、父の執務室だった。
重厚な両開きの扉を前に、思わず息を呑む。
この部屋すら、片手で数えられるほどしか訪れたことがない。
それも、すべて許可を得たうえでの短い滞在だけだ。
勝手に入ることも許されない部屋。
そんな部屋へ、今から無断で侵入しようとしている。
しかも目的は、探し物の為に部屋を漁る為だ。
そう考えた途端、妙な緊張が喉を締め付ける。
自然と、扉のノブへ伸ばした手が小さく震えた。
扉を開けることすら躊躇していると、不意に隣からすっと手が伸ばされた。
そしてあっさりと、扉を開けられる。
驚いて隣を見ると、きょとんとした顔でティアがこちらを見返していた。
「どうしたの?行くんでしょ?」
呆気からんとした様子で、扉を開けながら言われてしまう。
この部屋がどれだけ特別で、どれだけ近寄り難い場所だったのか。
そんな空気を、ティアはまるで気にしていない。
だからこそ、その一言に肩の力が抜けてしまった。
「……おまえなぁ」
思わず苦笑混じりに息を吐く。
さっきまであれほど緊張していたのが、馬鹿らしくなる。
ティアはそんなこちらの反応を気にした様子もなく、開けた扉を押さえたまま首を傾げている。
再び小さく息を吐いてから、意を決するように執務室の中へ足を踏み入れた。
室内は静まり返っていた。
予想していた通り、中に人の気配はない。
「っ、申し訳ありません、旦那様」
小さく、クローディアスが呟く声が聞こえた。
その言葉に、思わず苦笑しそうになる。
こんな時まで律儀だ、と、使用人である故の性質なのだろう。
3人で手分けして執務室の中を調べ始める。
机の上。引き出し。棚の中。花瓶の裏。絨毯の端まで。
少しでも怪しい場所があれば確認し、漁った痕跡が残らないよう、元の位置へ丁寧に戻していく。
静かな室内には、本を動かす音や引き出しの擦れる音だけが微かに響いていた。
こうしている間に、使用人の誰かが清掃等に立ち寄るかもしれないと思うと、気持ちが焦ってしまう。
時間の感覚が妙に長く感じられる。
こうしている間に、誰かが戻って来るんじゃないか。
じわじわと胸の奥を圧迫し、焦り始めていた時。
「あ」
と、クローディアスが短く声を漏らした。
「あったか!?」
即座にそちらへ駆け寄る。
離れた場所を探していたティアも、ぱたぱたと足音を立てながら続いた。
「はい。禁書庫の鍵です」
クローディアスは壁に掛けられていた絵画を裏返した状態で抱えながら、小さく頷く。
絵画の裏側、その端に鍵が貼り付けられていた。
付けられた札には、確かに“禁書庫”と書かれている。
「でかした……!」
思わず安堵混じりに息を吐き、鍵を受け取る。
そのまま執務室を後にし、次に向かった先は図書室だった。
見慣れた広い図書室の中。
高く積み上げられた本棚の間を抜け、奥へ奥へと進んでいく。
やがて、階段を上がった先。
最奥に置かれた本棚の前で、足を止めた。
「ここだ」
俺の呟きに、隣でティアが不思議そうに首を傾げる。
「?……リア。本しか無いよ?」
見た目だけなら、ただの本棚だ。
他と変わった様子はない。
「まぁ見てなって」
舌をペロッと出して口端を舐める。
一見すれば、他と何も変わらない古びた本棚。
だが、幼い頃に一度だけ物陰に隠れて盗み見たことがあった。
父が図書室で、この辺りの本棚へ触れていたのを。
うろ覚えの記憶を頼りに、視線を走らせる。
そして、本棚へ手を伸ばした。
「……確か、ここら辺だったはず」
小さく呟き、そのうちの一冊を押し込む。
すると、かちり、と小さな音が鳴った。
次の瞬間。
重い駆動音を立てながら、本棚そのものがゆっくり横へ動き始める。
そこには、鍵穴の付いた扉が隠されていた。
「こんな場所が隠されていたなんて……。よくご存知でしたね」
クローディアスが感心したように呟く。
少しだけ得意げな気分になり、口元が緩んだ。
「ふっふっふ。俺を舐めるなよ?」
わざとらしく胸を張ってみせる。
だが、返ってきたのは呆れ混じりの声だった。
「どうせまた、悪戯の途中で偶然見付けたものでしょう」
「ぐっ……。わ、悪かったな……」
図星だった。
そもそも、これを知ったきっかけ自体が昔の悪戯なのだ。
というのも、メイド長の部屋に虫の玩具を置いて怒らせたのだ。
お説教にと追い掛けて来たメイド長を振り切って、逃げ込んだ先のこの図書室で、
父が隠し部屋を開けようと操作しているのを、偶然にも見掛けたのだ。
まさかあの悪戯で見掛けたものが、こうして役立つ日が来るとは思いもしなかったが。
執務室から持ち出して来た鍵を、鍵穴へと差し込む。
軽く捻ると、かちり、と音を立てて、錠が開かれた音がした。
そのまま扉を押し開く。
中は薄暗い。
けれど中央のテーブルの上にランタンが置かれているのが見えた。
そのランタンを灯すと、薄暗かった室内がゆっくり照らし出された。
そこに広がっていたのは、壁際を埋め尽くす大量の本だった。




