強制はしたくない
「わけわかんねぇよ……」
ぽつりとひとつ、呟きをこぼした。
吐息に混じったそれは、ほとんど独り言に近い。
そんな俺の様子を眺めながら、クローディアスが小さく肩を竦めた。
ことり、と。
目の前に、紅茶の注がれたティーカップが置かれる。
湯気と共に、落ち着いた香りがふわりと広がり、鼻をくすぐった。
ゆっくりと顔を上げ、クローディアスへ視線を向ける。
「だったら直接訊けば良いのではないですか?」
クローディアスはそう言いながら、今度はザッハトルテの皿を、ティーカップの隣へと並べた。
「いざとなったら強制も出来るでしょう?」
その言葉と同時に、クローディアスは手袋に包まれた指先で、自分の首元を軽く2度、トントンと叩いた。
俺の首に刻まれている契約印を示しているのだと、すぐに分かった。
その仕草だけでクローディアスが何を言いたいのか、説明されなくても理解してしまう。
契約者の特権で命令さえすれば、彼女を力尽くで呼び出すことが出来る。
目の前に呼び寄せて、逃げることすら許さず、強制的に訊き出すことなんて簡単なことだろう。
「いや……、こんなの、無理やり訊くもんじゃないだろ……」
口から出た言葉は、少し掠れていた。
自分でも驚くくらい、静かな拒否。
怒鳴るでもなく、責めるでもない。
ただそれは違うと線引きをする。
ティアの顔が脳裏を掠める。
揺れていた赤い瞳。
こちらを見て、すぐに逸らした視線。
迷いと警戒と、その隙間にほんの少しだけ混ざっていた困惑。
何かを隠しているというよりも、まだ言葉に出来ない何かを抱えているように見えた。
それを力で無理やり引きずり出して、彼女の気持ちごと無視するような問い方だけは、どうしても選びたくなかった。
「あいつの気持ち、無視して訊くのは絶対に違う」
「……だとしても。こちらとしては、早くどうにかして欲しいものですよ」
言いながら、クローディアスが机の向こう側へと視線を向ける。
その言い方は淡々としているのに、どこか疲れたような響きが混じっていた。
つられるように、俺もそちらを見た。
視界に広がった光景に「あー……」と声を漏らしながら納得してしまう。
そこには、先ほどまでの俺と同じように机に突っ伏しているノクスの姿があった。
うじうじと、暗い雰囲気を纏いながら。
「セレナが盗られた」「セレナが足りない」
と、ひたすらぶつぶつと呟き続けている。
セレナのことを、いつものように“お姫様”とすら呼んでない辺り、相当重症だった。
顔を机へ伏せたまま、ノクスはフォークでザッハトルテをぐずぐずに崩していく。
綺麗だったケーキは既に原型を失っている。
チョコレートもスポンジも、アプリコットジャムまでもがぐちゃぐちゃに混ざり合い、見るからに悲惨な状態へ変わり果てていた。
理由は明白だった。
最近のティアは、起きている時間のほとんどをセレナと一緒に過ごしている。
いや、正確には“連れ回している”と言った方が近いのかもしれない。
そのせいで、ノクスがセレナに絡みに行ける隙がほとんど無い。
しかも、その連れて行き方がやけに強引だった。
両腕で後ろからセレナの身体を抱え上げ、そのまま問答無用で運んでいく。
こちらが呼び止めても、聞こえていないふりをしてそのまま去っていくことも珍しくない。
セレナは小柄だ。
短い手足では、抵抗らしい抵抗もすることも出来ない。
しかも日中だと、彼女は呪華としての能力も使えず、抜け出す手段すら無い。
なにも出来ないまま連れ去られていく姿は、まるで抵抗手段を奪われた幼子のようだった。
されるがまま、抱えられ、運ばれていく。
それがここ最近の“日常”になりつつあった。
「クローディアス、おやつの時間って聞いたんだけど……」
ぱたぱたと軽い足音が廊下から響いて、そのまま部屋の入口からティアが顔を覗かせた。
「ティア……」
びくりと、彼女の肩がわずかに跳ねたのが見えた。
そして俺と目が合った途端、ぴたりとティアの動きが完全に止まる。
視線がこちらへ向いたまま、次の瞬間にはどこへ向ければ良いのか分からないように泳ぎ始める。
「あ……、う……」
と、言葉にならない声が漏れていた。
さっきまでの勢いはどこへ行ったのか。
扉の向こうから現れたときの軽やかさが、今は影も形もない。
俺がそこにいる。
ただそれだけで、どう振る舞えばいいのか分からなくなっているのが伝わってくる。
「えっと……その……。ごめんなさい!」
次の瞬間。
ばたんっ、と勢いよく扉が閉められた。
言い終えるより早く、逃げるように姿が消える。
廊下の向こうから、ぱたぱたと慌ただしい足音だけが遠ざかっていった。
「…………」
部屋の中へ沈黙が流れる。
「……やっぱり、嫌われたのかな」
気付けば、俺は再び机に突っ伏していた。
自分でも情けないと思うくらい、弱い声だった。
さっきのティアの逃げるような後ろ姿が、まだ視界の奥に焼きついている。
扉が閉まった瞬間の音まで、やけに鮮明に思い出せてしまう。
自分で言った後で、余計に落ち込んでしまう。
流石にここまで露骨に避けられると傷付く。
クローディアスはそんな俺を見ながら、困ったように眉を下げた。
「それは……、違うような気もしますが……」
「?」
歯切れの悪い返答に、思わず顔を上げた。
だがクローディアスは、それ以上言葉を続けてくれなかった。
何か言いかけたのに、途中で止めた。
クローディアスはティアの行動の理由を分かっている様子なのに、教えてくれない。
その曖昧さが逆に気になってしまう。
代わりに、クローディアスは机の反対側で突っ伏し続けるノクスへと、視線を移動させた。
「ノクス、後で2人におやつ持っていきますか?」
「やだ」
即答だった。
机へ突っ伏したまま、ノクスが不貞腐れた声を漏らす。
「どうせすぐ黒ユリちゃんに追い出されるのがオチだもん」
ぐずぐずに崩されたザッハトルテをフォークでつつきながら、さらに続ける。
「ていうか、ボクの部屋なのにさぁ……」
心底納得いかないと言いたげに、不満をこぼす。
顔を上げないまま。
それでもなお、フォークだけはまだ律儀に皿をつついている。
とっくに形を失ったザッハトルテは、つつかれるたびにただの甘い泥のように広がるだけだった。
「最近さぁ、普通にいるんだよ。ボクの部屋に」
続けながら、ようやく少しだけ顔を上げる。
セレナと触れ合えないことが余程こたえているのか、目の下にはうっすらと疲労が張り付いていて、いつもの軽口すら影を潜めていた。
「ボクとセレナの共有部屋だからさ? セレナが使うのはなにも問題無いんだよ。たださ?」
言葉を一度切り、フォークでさらにケーキを押し潰す。
ぐずり、と嫌な音がして、ぎりぎり形を保っていたはずの塊がさらに崩れた。
「ボクが部屋に入ろうとするとさ、邪魔だって言わんばかりに追い出されるんだ」
言いながら、ノクスは視線を落とした。
そこにはもう、“ケーキ”と呼べるものは残っていない。
ただの焦げ茶色の甘い塊が広がっているだけで、それをフォークで寄せては、また崩していく。
「ボクの部屋なのにさぁ……」
不貞腐れた声で繰り返される。
「あれってもう占拠だよねぇ……」
その様子を見下ろしながら、クローディアスが小さく息を吐いた。




