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呪華ノ鎖  作者: 雪ねこ
第二章
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フィサリスのお願い

両開きの扉を、ゆっくりと押し開く。


音を立てないようにと注意しながら、身体が通れる程度の隙間だけを作り、そのまま身体を滑り込ませた。


視界に広がったのは、規則正しく並べられた幾つもの本棚。


天井近くまで届く背の高い棚には、ぎっしりと大量の本が詰め込まれている。

色褪せた背表紙が隙間なく並ぶ光景は、まるで壁のようだった。


鼻をついたのは、本特有の古い紙の匂い。

それに長年積もった埃の匂いが混ざり合っていた。


足をさらに奥に進める。


すると、落ち着いて本を読む為に設けられたものだろう、長机と椅子が視界に入る。


その片隅に、人影が2つ。

互いに身を寄せ合うように、重なるようにして座り込んでいた。


片方の人影が、ゆっくりと顔を上げる。


見慣れた少年の顔。

その唇が、どこか困ったように小さく緩んだ。


「やっぱり見つかっちゃうかぁ」


気の抜けたような声音だった。

まるで隠れんぼをしていた子供が、とうとう見つかったとでも言うような、緊張感の欠片もない声。


だが、その顔色は明らかに悪い。


明かりのついていない薄暗い室内でも分かるほど、彼の額には汗が滲んでいた。


「ジェイク……」


名前を呼びながら視線を落とす。


隣に腰を下ろすフィサリスへ寄り掛かるようにして、ジェイクは床へ座り込んでいた。

無理に平静を装っているのだと、一目で分かる。


俺の声に、フィサリスの肩がぴくりと反応した。


次の瞬間。


ヒュッと風切り音がしたかと思えば、銀色のメイスがこちらへ振り抜かれた。


「っ……!?」


咄嗟に身体を屈める。


頭があった場所を、重量感のある鉄塊が掠めて通り過ぎた。


背後の本棚へと、凄まじい音を立てて叩き付けられる。

木材が砕け、本が雪崩のように床へ散乱した。


「……それ以上」


ぽつりと、小さく呟きがこぼれる。


思わず顔を上げる。


そこにいたのは、眉を強く寄せ、苦悩に満ちた表情を浮かべるフィサリスだった。


先ほどまでの無機質に攻撃を仕掛けていた相手と同じとは思えない。

正確には、“本体”と“実体のある幻影”との違いはあった。


それでも、同じ存在とは思えないほどに、目の前に立つフィサリスからは余裕など一切感じられなかった。


追い詰められた獣のような目で、こちらを睨みつけている。


ぎり、と。

強く握り締められたメイスの柄が、軋む音を立てた。


「近付かないでください……」


絞り出すように。

怯えにも似た、懇願するような声で、フィサリスは続けた。


「近付いたら……、殺します」


冷酷に、そう告げながらも、フィサリスの瞳はどこか泣き出しそうなほど不安定に揺れていた。


がたりと、フィサリスの後方から音がした。


フィサリスとほぼ同時に、音がした方向へと視線を向ける。


そこには壁にもたれ掛かりながら立ち上がっているジェイクの姿があった。

その動作だけでも辛いのか、身体は大きくふらつき、今にも膝から崩れ落ちそうになっている。


肩が荒く上下し、呼吸も乱れ、顔色はさらに悪くなっているように見えた。

それでも倒れまいとするように、ジェイクは壁へと手をつき、どうにか身体を支えていた。


「っ……」


フィサリスの瞳が、さらに大きく揺れる。

歯痒さを堪えるように下唇を強く噛み締め、その表情には明らかな迷いが浮かんでいた。


「フィサリス……、いいから」


途切れ途切れになりながらも、ジェイクが掠れた声で言った。


「もう……、無理しなくていい」


「ですが……!」


「もう充分だよ。フィサリスにまでそんな顔をさせてまで、続けたくない……」


今にも泣きそうな顔を浮かべるフィサリスを見て、力無く笑った。


ジェイクは壁に手をついたまま、ゆっくりとこちらへ視線を向ける。

汗で張り付いた前髪の隙間から覗く瞳は、酷く疲弊しているのに、どこか諦めきったように穏やかだった。


「どうせ、見つかった時点で、もう時間の問題だったしね」


自嘲気味に笑う。


だが、その直後。

ぐらりとジェイクの身体が大きく傾いた。


「ジェイク!」


反射的にフィサリスが駆け寄る。


手にしていた銀色のメイスを投げ捨てる。

重い鉄塊が床へ叩き付けられ、鈍い音が図書室に響いた。

武器を手放したのに、そんなことさえ気にも留めないまま。


倒れかけた身体を抱き留めるように支え、そのまま強く抱き寄せた。


「ごめんなさい!ごめんなさい……!こんな無理をさせて……っ!」


震える声で、フィサリスが何度も謝罪を繰り返す。

涙こそ零れていないものの、その表情はぐしゃぐしゃに歪んでいた。


「私が、もっと使い勝手が良かったら、こんな風に苦しませなかったのに……。ごめんなさい……」


零れるのは、自分を責める言葉ばかり。

まるで“道具”として役に立てなかったことこそが、何より許せないと言うように。


抱き締められたままのジェイクは、浅い呼吸を繰り返している。

苦しげに肩を上下させながらも、それでもフィサリスを安心させようとしたのか、小さく笑みを浮かべた。


「……そんな顔しないでよ、フィサリス」


弱々しく笑いながら、ジェイクは途切れがちに言葉を続ける。


「僕が勝手にやっただけだからさぁ……。どうせいつか覚める夢だって、わかってた。けど、……現実なんて、直視出来なくて、目を背けることを手伝わせたのは、僕だもん」


自嘲するように笑ったその顔は、ひどく弱々しかった。


「もう。……終わりにしよう」


ジェイクの言葉に、静かに頷いた。


フィサリスは抱き締めていたジェイクの身体を、壊れ物でも扱うような手付きでゆっくりと床へ横たわらせる。

そっと身体から手を離すと、フィサリスはこちらへ向き直った。


落ち着いた足取りで、一歩、また一歩と、距離を詰めてくる。

揺れていた筈の瞳は、心を決めたように、真っ直ぐにこちらを見ていた。


「いいのか……?」


「はい。……散々、手間と迷惑を掛けました」


フィサリスが小さく頭を下げた。

その声音は驚くほど穏やかで、先程まで張り詰めていた空気が嘘のようだった。


「あと2つだけ。お願いを聞いていただけますか?もちろん、見逃してほしいだとか……、そういう諦めの悪いことを口にするつもりはありません」


フィサリスのお願いが、なんなのか。

何を言おうとしているのかは分からない。


けれど、目の前に立つフィサリスからはもう、殺意を感じない。

毒気が抜け落ちたように、落ち着き払っている。

先程まで必死に牙を剥いていた姿が嘘のように、戦う意思すら残っていないように見えた。


そんな彼女が、牙を剥いてくるなんてことは考えにくい。


そう判断し、頷いた。


「……あぁ、聞くよ」


短く返すと、フィサリスはどこか安心したように目を細めた。


「ありがとうございます」


礼を口にしてから、フィサリスは背後で横たわるジェイクへと視線を向ける。


「ひとつは、この子を保護してあげてほしいのです」


その言葉につられるように、自分もジェイクへ目を向ける。


戦いを放棄した為か、わずかばかり呼吸が落ち着いたように見えた。

断続的に淡い光を放っていた首筋の紋様も、すっかり光を失っている。


フィサリスの幻影体を維持するために、絶えず力を使い続けていたのだろう。

それも、1体だけではない。


2体同時に。


成長しきっていない子供の身体に、どれほどの負担が掛かっていたのか。


「私やコレットがいなくなれば、この子には身寄りが無くなってしまう。ここにいる人たちも……、コレットに意思を奪われているも同然ですから。きっと記憶も残らないと思います」


フィサリスは静かに告げる。


安心して任せられる相手がいない。

信頼できる人間もいない。


自分たちがいなくなれば、この子はまた独りになってしまう。


フィサリスはただ、それだけを案じていた。


「この場所には、あの子にとって、嫌な記憶がこびりついています。だから……」


そこで一度言葉を切り、フィサリスは深く頭を下げた。


「どうか、お願いします」


その姿には、もう敵としての威圧感など欠片もなかった。

ただ、大切な誰かの未来を案じる、ひとりの少女がいるだけだった。


「……わかった。約束する」


そう答えると、フィサリスはほっとしたように小さく微笑んだ。


「ありがとうございます」


これで何度目だろうか。

フィサリスはまた丁寧に頭を下げ、礼を口にした。

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