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呪華ノ鎖  作者: 雪ねこ
第二章
77/88

増えたフィサリス

巨大な天使像の足元。

その台座の上に立つコレットに向かって、ティアが襲い掛かる。


地面から距離のある台座の上へと、迷い無く飛び乗った。

その勢いのまま、着地と同時に前へと踏み込み、即座に駆け出す。

両手に握り締めた二振りの短剣が、交互に振りかぶられた。


コレットはふわりふわりと、軽やかに、その刃を躱していた。

余裕のある表情を崩さないまま。まるで舞うように。


一歩、また一歩と後ろへと下がる。


気付けば、コレットは台座の端まで追い詰められていた。


「あらら」


足元を一瞥し、すぐに目の前のティアへと視線を戻す。


「随分と勢いがいいのね?そんなに迫られたら、興奮しちゃいそう」


コレットは目を細め、冗談とも本気ともつかない言葉を口にする。


右手には弓が構えられ、ティアへと向けられる。

そして左手もまた、矢をつがえるような動きを見せた。


が、その左手には何も持たれていない。


――その筈だった。


何も無かったその場所に、黒に近い紫の羽根がふわりと浮かび上がる。

その羽根の内側から、黒い蔦が這い出すように伸びていき、絡み合い、交差するように伸びていく。

やがて、弓へと行き着き、弓の弦に矢じりが掛けられた。


ティアの顔へと狙いが定められ、矢が放たれる。


咄嗟に、ティアは身体を捻った。


刹那。

放たれた矢が、頬すれすれを掠めて通り過ぎる。


鋭い風切り音だけが耳に残った。

視界の先を、黒紫の一線が一直線に駆け抜けていく。


すぐさま、ティアが一歩前へと踏み込んだ。

両手のうちの片方。

白い短剣を、コレットの胸元へと狙いを定めて、真っ直ぐに突き出した。


コレットは視線すら逸らさぬまま、白いブーツの靴底で石造りの台座を蹴る。

台座の縁から、身を投げるように。

一切の躊躇も無いまま、後ろ向きに跳び下りた。


白い布から覗くローズゴールドの髪を揺らしながら、コレットの身体が宙を舞う。

着地する、その寸前。


「逃がすか!」


コレットの背後へと回り込み、間髪入れずに短剣を振り抜く。

銀色の刃が、横薙ぎに走った。


死角からの一撃。

落下直後という不安定な体勢。

防御など、間に合う筈が無い。


にも関わらず。

コレットは口元を歪め、笑っていた。

愉しげに笑みを浮かべたまま、空中で器用に身体を捻る。


こちらを真正面から捉えた蒼い瞳が、不気味なほど澄んだ光を宿していた。

その奥に滲むのは、ぞっとするほどの狂気。


コレットは右手に握っていた弓を素早く両手へと持ち替え、そのまま横向きに構えた。


甲高い金属音。


振り抜いた俺の刃が、弓の胴へと真正面から受け止められてしまう。


「レイン!後ろ!!」


不意に、ティアの声が響いた。


背後から、ヒュッと風を切る音が耳に届く。

振り向くよりも先に、横から腕が強引に割り込んだ。


視界へ飛び込んできたその姿を認識した瞬間、反射的に名前を叫ぶ。


「クロ!」


俺の背後を狙って振り下ろされたであろうメイス。

メイスを握る手のすぐ上部。

持ち手ごと掴み上げ、強引に受け止めていた。


「おまえは……っ、あの軽薄野郎の相手をしていた筈だろう……!」


襲撃者の姿を認識するなり、クローディアスが露骨に顔を歪め、忌々しげに吐き捨てた。


その反応も無理はない。

メイスを握っていたのは、フィサリスだったのだから。


本来、彼女の相手をしていたのはノクスとセレナの2人だ。

にも関わらず、今こうして、目の前にフィサリスが立っている。

彼らから離れた位置にいる俺たちの前に、何事も無かったかのように。


ノクスたちがいるはずの方向からは、絶え間なく爆発音が響き続けていた。


重く腹に響く轟音。

空気を震わせる衝撃が、離れたこの場所にまで届いてくる。


間を置くことなく、立て続けに鳴り響くその音は、戦闘が今なお激しく続いていることを嫌でも理解する。


クローディアスが、空いているもう片方の右手を腰へと伸ばす。


視線はフィサリスから逸らさないまま。

腰のベルトに差していた剣を引き抜いた。


鋼が鞘を擦る鋭い音が響く。


次の瞬間には、抜き放たれた刃がそのまま横薙ぎに振るわれていた。

狙いはフィサリスの横腹。

銀色の刃が、空気を裂きながらフィサリスへと迫る。


このままでは直撃は免れない。

そう判断したのだろう。

フィサリスは、掴まれていたメイスから即座に手を離した。


そのままクローディアスの前から跳び退く。


クローディアスの刃は、フィサリスの身体を掠めることなく空を切る。

だが、クローディアスもまた、避けられること自体は織り込み済みだったらしい。


振り抜いた勢いを無理に止めることなく、そのまま身体を回転させる。

流れるように向きを変え、次の標的へと刃を繋げた。


銀色の軌跡が弧を描く。


その切っ先が、俺の前にいたコレットへと躊躇なく振るわれた。


直後。

鮮血がわずかに飛び散った。


「い、ったぁ……」


コレットが眉を寄せ、小さく声を漏らす。


寸前で避けようとはしていた。

けれども、完全には回避しきれなかったらしい。


脇腹に一筋。

細く赤い線が刻まれていた。


傷口へと目をやり、不満げに唇を尖らせてみせた。


「傷付いちゃったじゃない……。酷くないかしら?もうっ」


拗ねたような声音で不満を漏らす。

だが、その蒼い瞳だけは笑っていない。


ぞくりとするほど冷たい光が、こちらを真っ直ぐ見据えていた。


コレットの隣へと、フィサリスが並び立つ。


「大丈夫ですか?コレット」


感情の起伏をほとんど感じさせない声で、気遣いの言葉を掛ける。

鮮やかな翠の瞳が、無機質に、コレットの脇腹に刻まれた傷へと向けられた。


「平気よ。掠り傷だもの」


コレットは視線をこちらから外さないまま答える。

けれど蒼い瞳の奥には、痛みに対する苛立ちよりも、“傷を付けられた”ことへの不快感が濃く滲んでいた。


自分が傷つけられる側に回ったこと自体が気に入らない。

そんな感情が透けて見えた。


「なら良かった」


短い返事。

必要最低限の確認。

無事だと分かれば、それ以上気遣う必要も無いと。

それで十分だと言わんばかりに、次の会話へと移る。


「ところで、1体で良いのですか?コレット」

「大丈夫よ。あんまり一気に増やすと、ジェイクがつらいでしょ?消耗激しいんだから」

「それもそうですね」


まるで他愛のない世間話でもしているかのような口調だった。


「人間は脆くて簡単に壊れてしまうんだから、ちゃんと調整しないと。でしょ?」


コレットがくすりと笑う。


とても人間に、それも子どもへ向けるものではない。

まるで、壊れやすい玩具の扱い方でも語るかのような言い方だった。


「既に2体。……いえ、この身体で3体目ですね。1体だけでも相当無理をさせてるかと」


ノクスたちと今も交戦している筈のフィサリス。

そして目の前に立つフィサリス。


今の会話から察するに、どちらも幻なのだろう。

それも、実体を持った偽物。

本来なら、同時に存在できる筈が無いのだから。


「レイン様」


クローディアスに名を呼ばれ、そちらへ視線を向ける。


「彼女の本体が、何処かに潜んでいるかと。恐らく、ジェイクもそこに」


クローディアスは、コレットたちから一切視線を外さないまま続ける。

剣を構えた姿勢も崩さず、いつでも動けるよう警戒を保っていた。


確かに。

さっきから、フィサリスのマスターであるはずのジェイクの姿が見えない。


この場に存在している2人のフィサリス。

そのどちらもが幻影だとすれば、本体は別の場所にいるということになる。


ならば考えられる答えはひとつ。

フィサリス本人も、ジェイクも、この場にはいない。

どこか別の場所へ潜み、こちらへ幻影を送り込んでいる。


恐らく、2人は同じ場所にいるはずだ。

わざわざ離れて行動する理由がない。


そう考えた、その時だった。


とっ――。


軽やかな着地音が、すぐ隣で響く。


視線を向ければ、そこにはティアがいた。

両手に短剣を握りしめたまま、真っ直ぐにこちらを見上げている。


「レイン。行って?」

「え、でも……」


反射的に言葉が漏れる。

この場を離れれば、残るのはティアとクローディアスだけ。


すぐに頷くことが出来ず、躊躇していると

「自分たちのことなら、大丈夫ですから」

と、俺の迷いを断ち切るように、クローディアスがはっきりと言い切る。


さらに続けるように、ティアはほんの少しだけ表情を柔らかくする。


「危なくなったら、すぐに私を呼んで。すぐ駆け付けるから」


2人にそこまで言われてしまえば、もう迷っているわけにはいかなかった。

短く息を吐き、無理やり覚悟を固める。


ここで立ち止まっていても仕方がない。


ゆっくりと踵を返し、二人に背を向ける。


「2人とも、気を付けろよ」


振り返らないまま、そう言い残し、走り出した。


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