その身が傷付くことも厭わない
ギチ……ッ、と軋む音が響く。
奇襲を仕掛けていた筈のフィサリスが、いつの間にか全身をワイヤーで絡めとられていた。
細く、鋭く、透き通るような銀色の線。
光の加減次第では完全に景色へ溶け込み、注意深く目を凝らさなければ、そこになにかが張り巡らされていることすら気付けない。
腕。
胴。
脚と。
まるで獲物を捕らえた蜘蛛の糸のように、容赦なくフィサリスの身体へと食い込んでいた。
わずかに身じろぎするだけで、ギチギチと耳障りな音が鳴る。
そのたびに、彼女の身体をさらにきつく締め上げていた。
その拍子に、ワイヤーの接触箇所から纏っていた布が裂ける。
裂けた布の隙間から、露わになった白い肌に赤い線が走り、滲み出した鮮血が細いワイヤーを伝って静かに滴り落ちた。
あちこち皮膚が裂け、肉に食い込んでいるというのに、フィサリスは顔色ひとつ変えなかった。
「奇襲爆破なんて、ちょっと乱暴すぎじゃないかなぁ?仮にも聖職者でしょ~?」
ノクスが、ワイヤーの持ち手部分を強く握り締めながら軽口を叩く。
「今さらでしょう?正体も、なにをしていたのかも知られた今、慎みを持っても手遅れというものですよね」
まるで他人事を語るような口調。
孤児院で見せていた優しい表情なんて何処にも無い。
どうでもいいとすら思っていそうな、冷え切った諦観のみ。
目の前で自分の身体が傷付いているというのに。
まるで関心すら抱いていないように見える。
痛みも。
流れる血も。
裂けていく皮膚も。
そのすべてを、“どうでもいいもの”として切り捨てているような、凍えるほどに冷たい目。
その様子を眺めながら、ノクスが目を細める。
「それもそうだねぇ」
どこか納得したように、小さく呟いた。
そんなやり取りをしながらも、ワイヤーを握る手の力は緩めない。
一方で、フィサリスの視線が、ゆっくりと自分の身体へと落とされる。
裂けた衣服。
ワイヤーに伝う血。
白い肌に幾つも刻まれた赤い傷痕。
それらを見て、「はぁ……」と溜め息をひとつ。
目を伏せながら、わざとらしく零した。
「……そもそも、そういうあなたこそ、女性の柔肌に傷を付けて人の心無いのでしょう、――か!」
最後の瞬間。
フィサリスの声色が強く、鋭いものへと変わった。
伏せていた瞼を上げ、拘束されたままの身体を無理やり捻る。
ギチリ、と嫌な音をさせながら、張り詰めたワイヤーがさらに深く食い込む。
薄く裂けていた傷口がさらに押し広げられ、鮮血が飛び散った。
それでも構わずに、フィサリスは腕を動かす。
まるで痛みなど感じていないかのように。
そのまま、自らのスカートを乱暴に掴み、強引に引き千切った。
ビリッ、と布が裂ける音が響く。
直後。
ボト、ボトボトッと重たい音を立てながら、なにかが次々とこぼれ落ちた。
鈍い黒鉄色。
異様な存在感を放つ、不気味な球体。
それは、鬼灯の形をした手榴弾だった。
コロコロと床に転がると、それらが一斉に緋色の光を放った。
小規模な爆発が連続して炸裂する。
先ほどよりも威力の弱い、小規模なもの。
煙幕。
あるいは、拘束から逃れる為だけの自爆行為。
そんな意図が透けて見える爆発だった。
フィサリスとの距離は離れていたこともあり、ノクスやセレナの位置までは爆風すらも届いていなかった。
熱風が僅かに頬を撫でる程度。
代わりに、爆発の中心付近だけが煙に包まれていた。
焼けた匂いと、焦げた布の臭気が漂う。
張られていたワイヤーが、張力を失い、弾け飛んだ。
「……自分すらも、作れるってことですか」
立ち込める煙を見つめたまま、セレナが静かに呟く。
ゆらりと、立ち込める煙の中から、人影が姿を現す。
フィサリスだった。
煙の中から現れたフィサリスの身体には、先ほどまで刻まれていた傷が一切存在していなかった。
裂けていた筈の皮膚も。
血に濡れていた白い肌も。
ワイヤーで深く抉られていた傷痕さえも、何事もなかったかのように消えている。
まるで最初から、傷など存在していなかったかのように。
ノクスの付けた傷のすべてが、綺麗さっぱり消えていた。
代わりとばかりに、被っていたベールだけが脱ぎ捨てられている。
床へ落ちたそれは爆風に煽られ、煤に汚れながら転がっていた。
さらにはスカートも大きく破られている。
だが、それは先ほど拘束されていた時に無理やり裂いたものとは違う。
太腿の動きを阻害しないよう、最低限の布だけを残した、動きやすさを重視した破り方。
まるで戦闘用に調整したかのような裂き方だった。
拘束されていたフィサリスと、今そこに立つフィサリス。
同じ姿だが、あちこちに相違点が見られる。
拘束されていたのは別の個体。
――実体のある幻。
そう考えるのが自然だろう。
なにせ、それこそがフィサリスの能力なのだから。




