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呪華ノ鎖  作者: 雪ねこ
第二章
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旋律。そして最後の誘い

息を吞むほどに神聖な空気の中、優しい音が静かに流れている。


張りつめた糸のように細い金属が爪弾かれるたび、柔らかい響きが広がっていった。

まるで澄み切った水面に雫が落ち、その一滴が波紋となって静かに円を描いていくように。


綻ぶように優しい。

けれど胸の奥を締めつけるほどに、どこか悲しい。

そんな旋律。


夢の中で、大人の指で白黒の鍵盤に指を滑らせながら奏でていた、あの曲。


「その曲……」


無意識に、声が漏れていた。


その呟きを耳にした瞬間、弦を弾いていた手がぴたりと止まった。


「あら?……この曲を知っているの?」


曲を奏でていた張本人であるコレットが顔を上げる。

不躾にも大聖堂の天使像の足元、その台座に腰を下ろしていた。

相変わらず、何を考えているのかすら読み取れない、張り付けたような微笑を浮かべながら。


「私、よく知らないまま弾いていたんだけど、……そう、あなたもこの曲を知っているのね」


コレットは指先を弦から離し、緩く手を重ねる。

その仕草はどこまでも穏やかで、音の余韻だけがまだ聖堂内に残っていた。


「この曲、綺麗でしょ?聴いてると、心が穏やかになれて、落ち着いて、心が満たされる気分になって……」


微笑みを崩さないまま、淡々と続ける。

だが、すぐに声音だけが冷たく沈んでいった。


「悲しくて、寂しくて、憎らしくて、腹立たしくて、誰かを殺したくなってくるの。なんでかしらね?」


笑みは絶やさないまま。

それどころか徐々に口元が歪んでいく。


聖女の名に相応しいほどに穏やかだった筈の表情が、恍惚とした狂気を孕んだものへと塗り替わっていく。


そのまま小首を傾げ、「ねぇ」と、ゆっくりと視線がこちらに向けられる。


「あなたはわかる?」


「そんなの知るわけねぇだろ」


すかさず、その問いを切り捨てた。

理解どころか、共感すらも出来るわけが無い。


その返答に気分を害する様子もなく、コレットはむしろ楽しげに「ふふっ」と笑っていた。


「それもそうよね。私のことをそこまで理解している人間なんて、いてたまるかってものだもの」


くすくすと、口元に手を当てながら柔らかく笑う。

口元に笑みを浮かべたまま、鋭い刃のように鋭い視線が向けられた。


「それこそ、お姉様が理解してくれるならともかく。たかが人間風情がッ」


ひやりとした空気が走る。


「でも……、ますます欲しくなっちゃったかも?」


一瞬だけ向けられた、蔑むような眼差しは息を潜め、再び穏やかな微笑が戻る。

面白いものを見るように、コレットは楽しげに目を細める。

だがその声音には、軽さとは裏腹に、じわりと絡みつくような執着が混じっていた。


天使像の足元で、優雅に足を組み直す。

その間も、視線だけが真っ直ぐこちらへ絡みついて離れない。


「マスターと呪華の契約の影響かしら?もうすっかり治ってるじゃない。なにをしたのかは分からないけど。血管に直接猛毒をぶち込んであげたようなものなのに」


さらりと告げられた言葉は、到底穏やかなものではない。

それでもコレットの表情は変わらず、むしろ興味を深めていく。


まるで“壊れる筈だった玩具が壊れなかった”ことを、純粋に面白がっているように。


不意に思い出したように、「そういえば」と続けた。


「案内人のあの子はどうしたの?他にも大勢いたと思うんだけど。ふふっ、まさか、殺しちゃった?」


ミーナのことを言っているのだと、すぐに理解した。

自分たちの案内人と言えば、彼女以外に心当たりが無い。


そして同時に、確信をしてしまう。


あの虚ろな目。

鎌を握りしめ、なんの躊躇も無く振り下ろして来た姿。

自分の意思すらも、感じさせない人形のような動き。


目の前で微笑むこの女の仕業だと。


(こいつ……!)


無意識に拳が固く握りしめられる。

指先に力が入り、爪が手のひらに食い込む。


「そんなわけないでしょう。あなたじゃあるまいし」


同類にしないでほしい、と。

セレナが即座に否定した。


こんなにも人の神経を逆撫でするような言葉が続いているというのに、セレナは冷静なままだ。


「……いつ、あの子に術を掛けたのですか」


セレナの問い掛けに、コレットはぱちくりと瞬きをした。


「あら、忘れたの?孤児院まであなたたちと一緒に来てくれたじゃない」


まるで当然のことを思い出させるように、首を傾げる。

おかしなことを聞くのね、と言わんばかりに。

口端を歪めながら答えた。


記憶を掠めたのは、孤児院に案内された日の出来事。


孤児院へ案内された日。

フィサリスに導かれるままに訪れた建物。


そこで用件を伝え終えた後、恩返しは終わったとでも言うように、ミーナがそっと立ち去ろうとした、その瞬間。

彼女を追い掛けるようにして、コレットがミーナの手を取った。


――あの時。


「あの時か……っ」


思わず、低く声が漏れる。


あまりにも自然な動作だった。

会話の流れに紛れ込むように、違和感のない接触。


だからこそ、その瞬間に何を施されたのかなどと、誰も気付けなかった。


「あの子は少しだけ眠ってもらってきたよ~。ご期待に添えなくてざーんねん」


張り詰めて今にも割れそうな空気の中、片手の袖をひらひらと揺らしながら、ノクスの軽口が割り込む。

煽りとも、挑発とも取れる物言い。


けれど、コレットはその挑発すら視界の端で流すように受け止めるだけだった。

動じる様子は無く、むしろ興味の対象は最初から別にあると言わんばかりに、ゆっくりとこちらへ手を差し出した。



「ねぇ、もう一度だけ言うわ?お姉様とそのマスターさん?私のものになって?」


柔らかい声音。

甘い、蜂蜜のような響き。

けれどその奥には、逃がす気なんてさらさら無いと告げるような、強い執着がはっきりと混じっていた。


まるで“選択肢を与えている”のでは無く、“こちらが決めた未来を、ただ受け入れろ”とでも言うように。


すぐにティアがぶんぶんと勢い良く、首を左右に振った。


「嫌っ!あなたなんて嫌いっ!大っ嫌い!近寄りたくもない!!」


まっすぐで、飾り気の無い拒絶。

なんの駆け引きも感じられない、感情のままの素直な否定だった。


その声に重ねるように、こちらも口を開く。


「だとよ。俺だって何度言われたって答えは変わらない。お断りだ」


俺とティア、2人からはっきりと拒絶され、コレットの表情が剥がれ落ちる。

これまで張り付いていたように浮かべられていた穏やかな笑みが、温度さえ感じられない無機質なものへと塗り替えられる。

やがて、小さく一言。


「……そう。……残念」


静かな聖堂の中に、その呟きだけが、ぽつりとこぼされた。


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