離脱
ティアの背中と膝裏に腕を回し、その身体を抱き上げ、足裏に力を入れる。
これ以上はこんな場所にいられないと、離脱する為に。
部屋の唯一の出入り口である扉は、コレットの背後にある。
そこへ向かうには、距離が離れ過ぎている。
駆け出したところで、意識の無いに等しいティアを抱えたままでは、扉に辿り着く前にコレットに捕まってしまうのは目に見えていた。
だとしたら。
視線だけを後方に向ける。
背後には窓。
だけど、その上に微かに感じた違和感。
それに気付いて、ベッドを蹴り、そのまま後方へと跳んだ。
「えっ?」
コレットの驚いた声が耳に届く。
閉じられた窓枠へと打ち付ける前に、後ろから手が伸ばされた。
整えられた黒い袖。
白い手袋をきっちりと装着した男性の手。
後頭部が、硬い胸板に受け止められる。
ティアを抱きかかえたままの2人分の身体ごと、包み込まれた。
顔を上げ、その人を視認すると、その名を口にした。
「クロ……!」
「ほんっとうに無茶をしますね」
呆れの混じった声。
だが、その表情には安堵の表情が浮かべられていた。
セレナの空間移動。
空間を裂き、セレナが設定した任意の場所に移動できる能力。
その力を使って、助けに来てくれたのだ。
「あら……、そんな力も隠し持っていたのね」
コレットが、意外そうに小さく呟く。
「一旦引きますよ」
クローディアスの言葉に、「あぁ」と短く返事をしながら頷く。
ティアの身体を落とさないようにと腕に力を込め、しっかりと抱き上げる。
そのままクローディアスに引き寄せられるように、空間の奥の方へと身体を押し込んだ。
異空間が閉じると同時に。
入れ替わるように、コレットの後ろの扉から、フィサリスとジェイクが部屋の中に入って来た。
2人は急いで駆け付けたというよりも、ゆっくりとした足取りで部屋へ入ってくる。
慌てる様子は、見られない。
開け放たれたままの扉をくぐり抜け、コレットの隣へと立つ。
もぬけの殻となったベッド。
赤く広がる染みを作ったそれを見て、フィサリスが目を細める。
「逃げられてしまいましたね」
フィサリスの言葉に、頷くコレット。
「まさかこんな逃げ場の無いお部屋から逃げられるなんて思わなくって、つい油断しちゃったわ」
出入り口はコレットが塞いでいた。
窓から逃げられる可能性は残っていた。
だが、そんなものは些細な問題に過ぎなかった。
窓を使うなら、必ず動きが増えてしまう。
一度、後ろを振り返り、鍵を外し、窓を開け放つ。
あるいは、閉ざされた窓枠へと身体ごと叩きつけ、硝子を割って飛び出す。
どちらを選んだとしても、
着地の瞬間に、わずかな隙が生まれるだろう。
ましてや、相手はただの人間。
それも、意識のない負傷者を抱えた状態で、まともな速度が出るはずがない。
簡単に捕まえられると確信していた。
それなのに、逃げられたのだ。
「彼女らの能力も分からないままに行動するからですよ」
呆れたようにフィサリスが言い、横目でコレットを見る。
当の本人であるコレットは
「え~?」
と、気の抜けた声を漏らし、笑っていた。
困ったように頬へと片手を当てるが、そこに反省の色はまるで無い。
「聖女様、どうする?」
それまで黙っていたジェイクが口を開いた。
表情を変えず、コレットの顔を見上げる。
その問いに、コレットはジェイクの顔を見下ろしながら、くすりと笑った。
「大丈夫よ。なにも心配いらないわ」
視線をベッドの方へと移す。
正確には、ベッドの奥の、窓の奥を見て。
ふわりと、笑みを深めた。
「だって、この街には、私たちのお手伝いをしてくれる人が、いっぱいいるんだもの」




