落とし物の正体
クローディアスに見張られたまま、どうにか食事を終える。
パンの最後の一口を飲み込む。
そのタイミングで、
不意に、背後から腕が伸びてきた。
指先までが隠れるゆったりとした袖。
その袖から覗く手が、机の上へと滑り込む。
同時に、もう片方の腕が左肩の後ろから回され、首元へと絡みつく。
軽く身体が引き寄せられ、ぐっと体重が預けられた。
「お坊ちゃんらしくない物持ってるねぇ?」
耳元で囁くような声が耳を擽り、咄嗟に耳を片手で押さえて振り返る。
ノクスだ。
いつの間に部屋に入って来たのか。
伸ばされた手が拾い上げたのは、深夜に拾ったあのチューブ状の物。
指先で摘み上げ、ひらひらと弄ぶように揺らしながら、興味深そうに眺めている。
右肩越しに覆いかぶさるようにして寄せられたその顔は、どこか楽しんでいるようで。
その口元には意地の悪い弧が描かれていた。
「それ、化粧品ですよね?そのような物、持っていました?」
透き通るような声が背後から聞こえた。
セレナまでもが、音も無く後ろに立っていた。
「化粧品?」
思わず聞き返すと、セレナは小さく頷いた。
「つまりねぇ~」
言いながら、ノクスが身体を起こす。
床についていた膝を離し、ゆっくりと立ち上がると、
手にしたチューブのキャップをくるくると回して外した。
中身を押し出し、指先に乗せる。
指先に押し出されたそれは、肌とほとんど変わらない色の、クリームのような見た目をしていた。
それを興味深く眺めていると、
視線に気付いたノクスがこちらを見て、
にこりと、笑みを浮かべた。
嫌な予感。
何も言わないまま、ノクスがゆっくりと距離を詰めてくる。
「ちょ……ッ、おいっ」
ガタリと音を立てながら、後ろへと下がろうとした。
が、椅子の背もたれが邪魔をして、これ以上下がれない。
「なにを……っ」
すぐ目の前に迫る、ノクスの顔。
逃げ場を塞ぐように、クリームの付いていない方の手が頬へと添えられた。
そしてもう片方の、クリームの付いた指先を近付けられ――
首筋をなぞられた。
「っ!」
ひやりとした冷たい感触に、びくりと身体を跳ねさせる。
その反応に気を良くしたように、ますます口元を歪めさせる。
「……こういうこと♪」
やけに低い声が、耳元で落とされる。
吐息がかかるほど近くで囁かれ、意味も分からないまま、思考が停止する。
「……は?」
何をされたのか理解できず、ぱちくりと目を瞬かせていると、
目の前に手鏡が差し出された。
「ほら」
見てみなよとばかりに促され、そこに映った自分の姿を見て。
「あ……」
小さく声を漏らした。
首筋に刻まれた刻印。
ティアと俺とを繋ぐ、契約の証。
首輪のように絡みつく、黒い植物の蔓のようなそれの一部が、途切れていた。
正確には、肌と同色のクリームが上から塗られ、隠されただけだが。
「カバー力すっごいね~。たったひと塗りでしっかり隠せてるじゃん」
ようやく身体を離したノクスが、手に持ったチューブを見ながら感心したように言う。
おかげで、そのチューブの中身がどういったものなのかは理解出来た。
これは、肌の気になる部分を覆い隠すためのものか。
化粧をする者にとっては、必需品といっても過言ではないもの。
だが。
わざわざ人の首に触れて試す必要がどこにある。
「……だからって、他にもやり方があっただろ」
じろりと睨みつけると、ノクスはどこ吹く風といった様子で肩を竦めた。
「おまえの首にも同じのがあるんだから、自分でやって見せれば良かっただろうが」
恨みがましく言葉を吐き出した。
ノクスの首にも刻まれている。
自分と同じような、けれど、わずかに異なる形の刻印が。
セレナとの契約を示す印。
わざわざこちらを実験台にする必要なんてなかった筈だ。
それを指摘すると、ノクスは一瞬だけ目を瞬かせて。
すぐに、いつもの笑みを浮かべた。
「えー?だってさぁ」
わざとらしく言いながら、くるりとチューブを指先で回す。
「他人で試した方が、おもしろいじゃん?」
悪びれもせず、さらりと言ってのける。
それがまた、腹立たしくて、
(こいつ……)
と心の中で拳を握りしめた。
「ところで、結局これはどこで手に入れたんですか?」
先ほどのセレナの問いを、改めてクローディアスによって投げ掛けられる。
ノクスの一件に気を取られて、その質問自体がすっかり頭から抜け落ちていた。
「あぁ、それな」
言いながら、クローディアスの方へと身体ごと向き直る。
「夜中に拾ったんだよ。シスター……、なのかは分からないけど。誰かの落とし物だと思う」
言いながら、記憶を辿る。
暗い廊下の中。
確かに誰かの人影を目にした。
しかし、その姿ははっきりと視認出来ず、曖昧な答えしか出来なかった。
「コレットかフィサリスのものでは無いのですか?この孤児院で女性といえば、そのおふたりくらいしかいないと思いますが」
クローディアスの問いも、もっともだと思う。
この孤児院にいる女性は、コレットとフィサリスの二人。
そう考えるのが自然だ。
だが、記憶の中の人影は、そのどちらも当てはまらない。
「いや……、違うと思う」
軽く首を横に振る。
「その人影はもっと、こう……小さかったというか……」
言いかけて、言葉が途切れてしまう。
あまりにも記憶が曖昧で、説明がうまく出来ない。
「だとしたら、エマかアイラ?でも、二人とも、まだ小さい子どもでしょう?」
セレナが首を傾げた。
それもまた違う気がして、「うーん」と曖昧に唸るしかない。
「そこまで小さい子にも見えなかった気がするんだよな……」
どちらもまだ、体躯の小さいセレナよりも幼く見える。
それに、あの時間帯にそんな子どもが一人で行動しているとは考えにくい。
それにこのカバー剤は、明らかに子どもの遊び道具ではない。
よほどの理由が無ければ、十にも満たない子どもが使う代物とは思いづらい。
おしゃれに興味を持つことはあっても、まだ泥だらけになって外を駆け回っている年頃だ。
腕組みをして、悶々と頭を悩ませてしまう。
ふと、ノクスが何かを思い出したように、「あ」と声をあげた。
どうしたのかと反射的顔を上げる。
そこにあったのは、さっきまでの軽薄さとは少し違う。
面白いものを見つけた子どものような、歪んだ笑みだった。
「そういえばさぁ~……」




