深夜の看病と落とし物
静まり返った暗い部屋の中。
誰もが眠りについた深夜の時間帯。
窓の外から差し込む月明かりが部屋を照らしている。
ベッドのすぐ横に椅子を引き寄せたまま、そこに腰を下ろして、体調を崩したティアの看病をしていた筈だった。
それなのに。
いつの間にか眠っていたらしい。
自分の腕を枕代わりにして、前のめりに突っ伏したまま、その姿勢のまま意識を手放していた。
まだ眠気が残る重たい瞼を擦りながら、ゆっくりと身体を起こす。
不自然な体勢で眠ってしまっていたからか、身体の関節が軋む感覚に眉を寄せた。
少しだけ肩を動かして、固まった筋肉をほぐしつつ、前方に視線を向ける。
一人用のベッドでは、ティアが静かに眠っている。
苦しげに吐いていた呼吸も和らぎ、心無しか、朝よりも幾分か落ち着いているように見えた。
しばらく、そのままの姿勢でティアの様子を見つめていた。
規則正しい呼吸。
時折、布団がわずかに上下するだけの小さな動き。
額にうっすらと滲んでいた汗は、もうほとんど引いている。
熱も少しずつ落ち着いてきているようだった。
ティアの額に乗せていたタオルを、そっと持ち上げる。
すっかり熱を吸ってしまったそれは、もう冷たさすら感じないほど乾いていた。
タオルを握り込みながら、そのまま自分の手の甲をティアの額へ当てる。
「だいぶ落ち着いてきた、かな」
小さく独り言のように呟く。
その声に反応してしまったのか。
「ん……」
ティアが身動ぎをし、眉を寄せた。
やがて、ゆっくりと瞼が持ち上げられる。
「ごめん。起こしたか?」
声を抑えて問いかける。
けれど返事は返って来ない。
ぼんやりとしたまま、額に当てていた俺の手を、両手で包み込むように掴まれた。
振りほどこうと思えば、簡単に振りほどけそうなほどに、弱々しい力。
その手で頬に引き寄せられ、頬をすり寄せる。
俺の存在を確かめるように。
温もりに身を寄せるように。
目を細めながらその感触に浸っていた。
抵抗もせず、ティアの思うままにさせる。
少しだけ熱を帯びた、柔らかい感触が、手のひらから伝わってくる。
しばらくして、ティアはその手のひらに口元を寄せると、小さく呟いた。
「のど……、渇いた……」
掠れた声。
そのひと言に、現実に引き戻されるようにハッとする。
「ちょっと待ってろ」
包まれていた手を、そっと外す。
力は本当に弱くて、少し指をほどいただけで簡単に外すことが出来た。
すると、名残惜しそうに、「あ……」と小さく頼りない声がこぼれた。
追い掛けるように伸ばされた手は宙を掠め、すぐにベッドの上へと降ろされる。
その様子に気付いて、ふっと笑みをこぼしてしまった。
ベッド脇に置いていた水差しへ手を伸ばす。
中身はちょうど一杯分だけ残っており、傾けると静かな音を立ててコップを満たしていく。
最後に数滴だけが、水差しの縁を伝って落ちた。
それを手に取り、ティアの肩を軽く支えるようにして彼女の上体を起こす。
「飲めるか?」
問い掛けると、ティアはぼんやりとこちらを見上げたまま、小さく頷いた。
コップを彼女の口元へ近づけると、ティアは小さく唇を開く。
こく、こく、と小さく喉を鳴らす音が、静かな部屋に響いた。
――――
再び眠りについたティアをそのままに、部屋をそっと出る。
音を立てないように慎重にノブへ手をかけ、ゆっくりと押し開けた。
扉を開ける為に、片手で持っていたトレーを、両手で持ち直す。
木製のトレーの上には、空になった水差しとコップが乗っている。
ティアが眠っている今のうちに、水を汲みなおして来ようと考えて、足を進める。
手入れが施されているとはいえ、使い込まれた建物だ。
一歩足を進めるたびに、ギシ、と床板が軋む音が廊下に響く。
静まり返った廊下に響くその音が、やけに大きく感じられた。
既にみんな眠ってしまっている筈の時間。
みんなを起こさないようにとゆっくり歩く。
(ん……?)
ふと、前方で人影が動いた気がした。
窓から差し込む月明かりだけが廊下を薄く照らしていて、後ろ姿のシルエットしか判別出来ない。
腰よりも長いベールのような布。
足首まで隠す、スカートの裾。
特徴的なシルエット。
(コレット? いや……、フィサリスか?)
修道服を着ていて、心当たりのある人物を記憶で辿る。
(いや、違う気がする……)
コレットはもう少し背が高い。
なにより、聖女の名に相応しいとさえ思える、白を基調とした修道服を着ている筈だ。
暗闇でも、その色すら認識出来ないとは考えづらい。
ならフィサリスか、と考えかけて、そこでもまた引っかかる。
あの人影は、それよりもまだ小さく見えた気がした。
考えごとをしている間に、移動してしまったのか。
さっきまで確かにそこにあった筈の影は、もうどこにもいない。
どの部屋へ入ったのかも分からない。
扉を開けた音すら聞こえなかった。
代わりに、人影のあった場所に、何かが落ちているのが目に入る。
(なんだ?)
そっと近くまで寄り、片膝をついて屈み込む。
もう片方の膝で持っていたトレーを支えながら、落ちていた物を片手で拾い上げた。
「……なんだこれ?」
手のひらに収まる、小さなチューブ状のもの。
それがなんなのか分からず、首を傾げる。
薬のようにも見える。
だが、見慣れた薬品の包装とは違う。
さっきの人影の落とし物だろうか。
顔を上げ、先ほどまで人影の立っていた筈の場所を見つめた。




