隠しきれないもの
「――レイン様、そろそろお時間です」
ノックの音とともに、扉越しに、クローディアスの落ち着いた声が響いた。
規則正しい、いつもと変わらない声音。
それが妙に現実感を伴って、耳に残る。
「……ああ、分かってる」
短く返しながらも、視線は鏡から外れない。
磨き上げられた姿見には、式典用の礼装に身を包んだ自分の姿が映っている。
無駄のない仕立ての上着に、整えられた襟元。
胸元には、家紋を模した小さなブローチが留められていた。
肩から垂れる飾り紐。
細やかに縫い込まれた刺繍。
光を受けてわずかに艶を帯びる生地。
手間も、金も、かかっているのが分かる。
「うーん……、似合ってるのか?これ……」
室内には自分ひとり。
従者であるクローディアスは部屋の外で俺が準備を終えるまで待機している。
それ故に、独り言に返事が返ってくるはずもない。
普段の自分とは、明らかに違う。
どこか“整えられすぎた”姿。
公式の場に相応しいように他人に見せるために用意された、形だけの自分。
似合わないなと思いつつも、自然と自分の首筋に視線が移ってしまう。
襟元をわずかに引き下げれば、そこに確かに刻まれている“それ”。
細い線が絡み合うように刻まれた黒一色の紋様は、どう見ても自然なものではない。
首の形に沿うように、繊細な植物の紋様。
絡み合う蔓のように、滑らかに伸びる曲線。
喉元の位置にだけ、花弁の閉じたユリ。
冗談みたいに綺麗な形をしているくせに、どうしようもなく気味が悪い。
一見すれば、それは黒いチョーカーのようにも見える。
しかしながらチョーカーとは異なり、まるでタトゥーのように肌に直接刻み込まれている。
クローディアスがさっき言っていたのは、間違いなくこれだ。
「……なんだよ、これ」
指先でそれをなぞりながら、頭の奥で先程の非現実な出来事の記憶が脳を掠める。
はっきりとは思い出せない。
思い出したくない。
けれど、首筋のこれは記憶が現実であったものだと示すように存在感を見せている。
「夢じゃないのかよ」
苦虫を嚙み潰したように顔を歪ませる。
こうしていつまでも鏡と睨めっこしていても、時間が過ぎていくのみ。
今もまだ準備が終わらないのかと扉の前でクローディアスが待っていることを思い出して、首筋の紋について考えを中断した。
「やめやめ。考えて分かるもんでもねぇだろ、これ」
半ば投げるように呟く。
今ここで答えが出る問題じゃない。
それに――
「今はそれどころじゃない、か」
小さく肩を竦める。
扉の向こうには、クローディアスが待っている。
ただでさえギリギリの時間だというのに、これ以上待たせれば、また小言のひとつでも飛んでくるだろう。
「……怒ってるだろうな」
少しだけ苦笑が漏れる。
従者は主人を守るもの。
無論、身の回りの世話が主な仕事だが。
それが俺の専属の従者であるクローディアスの仕事なのだ。
それなのに勝手に離れて、非現実と思える出来事だったとはいえ勝手に危ない目にあって、勝手に身体に得体の知れない紋様を刻まれてきたのだ。
これに気付いたクローディアスが抱いた感情は怒りだけじゃないのも簡単に想像出来た。
襟元を整える。
紋を隠すように、丁寧に、見えないように。
「レイン様?」
再度の呼びかけに、ようやく顔を上げた。
「今行く」
短く返事を返し、扉へと向かう。
手をかけ、開けた――その瞬間だった。




