熱に浮かされるティア
いつも通りの朝、の筈だった。
窓の隙間から差し込む淡い光に眉を寄せ、意識が浮上する。
まだ眠気の残る視界の中で、最初に感じたのは“違和感”だった。
いつもなら、自分の腕を枕にするようにして眠っているティア。
規則的に寝息を立てている筈なのに、今日はどこか様子が違う。
肩が小刻みに上下し、呼吸が少しだけ荒い。
「ティア……?」
寝起きの掠れた声で呼びかけながら、上半身をゆっくりと起こす。
ティアの顔を覗き込むと、額にはうっすらと汗が滲んでいた。
髪が肌に張り付き、呼吸のたびにかすかに揺れる。
頬の色も、いつもよりわずかに赤みを帯びている。
「おい、ティア。聞こえるか?」
慌てて呼びかける。
が、すぐには反応が返ってこない。
代わりに、浅い呼吸だけが途切れ途切れに続いている。
嫌な予感が胸の奥をかすめたまま、そっと手を伸ばす。
起こさないようにと気を遣いながら、指先で額に触れた。
「っ、熱があるな」
普段の体温とは明らかに違う。
触れた瞬間、分かるほどの熱に息を吞む。
その声に反応したのか、ティアがようやくゆっくりと瞼を持ち上げる。
焦点が合うまでほんの少しだけ時間が掛かった。
ぼんやりとした視線が彷徨い、やがてこちらを捉える。
「レ……イン……?」
掠れた声。
名前を呼ぶだけでも精一杯といった様子だった。
「無理に喋るな」
口を開くだけでも辛そうな姿に、反射的に言葉を制止する。
それなのに、
「だい、じょ……ぶ……」
途切れ途切れに続けながら、身体を起こそうとしていた。
「大丈夫なわけあるか」
思わず強い口調になる。
倒れ込む前に肩を支え、そのままゆっくりとベッドへと押し戻した。
「無理するな。今日はおとなしく寝てろ」
抵抗らしい抵抗はない。
ただ、言うことを聞こうとしているのか、それとも力が入らないだけなのか。
どちらにしても、危なっかしくて、見ていて落ち着かない。
「でも……」
「いいから」
掠れた声で言い掛ける言葉を、短く遮る。
ほんの一瞬、言葉が強くなった気がして、胸が痛んだ。
「大丈夫だから、今は我慢しろ。な?」
言い直すように続けると、ティアの視線がゆっくりとこちらへ向く。
何かを言いたげに、ティアの唇がかすかに動いた。
けれど、結局そのまま口を閉ざし、言葉を飲み込む。
納得してくれたのか。
それとも不満はあったけれど、我慢すると決めたのか。
代わりに、小さく息を吐く音だけが落ちる。
「……いい子だ」
気づけば、そんな言葉が口をついて出ていた。
こんな子どものような扱いをすれば、普段なら拗ねる筈なのに。
今はただ、わずかに目を細めるだけで、抵抗する様子もない。
「……水、持ってくる」
そう言いながらも、すぐには立ち上がらず、
もう一度だけ、そっと髪を撫でた。
「すぐに戻ってくるからな」
今度ははっきりと伝えてから、ゆっくりと手を離した。
――――
「ティアが熱を出したって?」
クローディアスの驚いた声が廊下に響く。
目の前にはクローディアスと、ノクスとセレナの三人。
水と、ついでに着替えやタオルなどを手に持ったまま。
部屋を離れたついでに、ティアの不調について伝えたところだった。
今はティアも眠っている。
「ティアが体調を崩した……?」
口元に手を当てながら呟くセレナ。
その目は明らかに動揺していた。
いつも冷静な彼女が、珍しく、有り得ないことが起きていると言いたげに。
視線もどこか定まらず、廊下の一点を見つめたまま、独り考えに耽ってしまう。
「そんな筈は……」「だって私たちは……」
彼女の独り言が小さく、途切れ途切れに零れていく。
「だから悪いけど、今日はティアの看病に付きっきりになるよ」
その言葉に対し、クローディアスは一度だけ目を閉じ、小さく息を整えた。
動揺しているセレナと対照的に、その表情は既に落ち着きを取り戻していた。
「状況は理解しました」
淡々とした声音。
「恐らく今日も、昨日と同じような繰り返しの一日になるのでしょう。であれば、孤児院の手伝いは自分一人でも問題ありません」
冷静に語るクローディアスの手元には黒いペンが握られていた。
察するに、今日もまたフレイがクローディアスの顔に悪戯を施そうと、部屋に忍び込んだのだろう。
だが実行される前に気づき、道具ごと回収した。
そんなところか。
クローディアスはそれを特に説明することもなく続ける。
「調査も引き続き、ノクスとセレナが対応しますのでご心配無く」
まるで当然のように、クローディアスは淡々と続けた。
彼のすぐ隣から「えー?」と声が飛ぶ。
「黒犬くんは来てくれないのー?」
まるで空気を読まない発言。
クローディアスが顔をしかめ、そのままノクスを睨む。
「俺が同行するよりも、おまえら二人の方が動きやすいだろ」
「けちー。ついてきてくれたっていいじゃーん」
「ワガママを言うな!さっさと飯食って行って来い!」
そのままぐい、と遠慮のない手でノクスの背中を押しやる。
クローディアスに背中を押されながらも、ノクスは楽しそうに肩を揺らしていた。
セレナも未だに何か考え込むように小さく言葉を漏らしながらも、二人の後ろを追っていく。
そんな三人の後ろ姿を見送りながら、思わず苦笑を浮かべた。




