聖女の奇跡
「よかったら、みなさんも礼拝に参加しませんか?」
ミーナのその一言をきっかけに、俺たちは大聖堂へと足を運ぶことになった。
礼拝は誰でも自由に参加できるらしく、ミーナが案内してくれるという。
この街を訪れた本来の目的までは話していないが、大聖堂に興味を示していたことは伝わってしまっていたのだろう。
だからこそ、ミーナの申し出はとても有り難かった。
断る理由も無く、俺たちは素直に同行することにした。
もっとも――
ミーナ自身、大聖堂に対して複雑な思いを抱いているようだった。
それでも礼拝には欠かさず参加しているという。
この街に暮らす以上、それは半ば義務のようなものらしい。
マナのように体調が優れないなど、よほどの事情がない限り、不参加は好ましく思われないのだとか。
……信仰、というよりは、習慣に近いのかもしれない。
ミーナが危険を冒してまで採ってきた薬草のお陰で、マナの体調は幾分か持ち直しているように見えた。
とはいえ、無理をさせるわけにもいかない。
結局、マナは留守番をすることになった。
礼拝者を迎え入れる為に開け放たれた巨大な扉をくぐる。
外の喧騒が嘘のように遠ざかり、独特な雰囲気が流れていた。
高い天井。
壁面を彩る色硝子から差し込む光は、床に淡く、美しい色彩を落としていた。
規則正しく並ぶ長椅子には、既に多くの人々が腰を下ろし、静かに祈りの時を待っていた。
用意されている長椅子だけでは全員収まらないようで、室内いっぱいに、人が集まっていた。
静謐。
その言葉が、これほどまでに似合う場所もないだろう。
正面には、等身を包み込むほどの大きな翼を背に持ち、両手に花々を抱きかかえる巨大な天使像が鎮座していた。
像の前には壇が設けられ、聖女と思われる女性が立っている。
その女性を中心に左右に並ぶ複数の聖職者たち。
聖女によって紡がれる祈りの言葉。
信仰心など持ち合わせていない俺には、その意味を理解しようという気すら起きない。
ただ、退屈さを顔に出さないようにと、意識を保つことに集中する。
不意に、怒声が神聖な空気を引き裂いた。
「おい!!いつまで待たせるんだよ!!」
祈りの声が途切れ、一気に場が静まりかえる。
一斉に視線が一点へと集まった。
人垣を押しのけるようにして、ひとりの男が前へと踏み出していく。
荒い呼吸。
乱れた衣服。
その腕には、粗雑に巻かれた布。
そこから滲む赤黒い染みが、否応なく目を引く。
「順番順番って……ッ、いつまで待たせる気だ!こっちは生活が掛かってるんだ!何ヶ月も待てだとか、そんな悠長に待ってられるか!」
吐き出される言葉には、余裕の欠片もない。
焦りと苛立ちが、隠そうともせず滲み出ている。
神聖な空気を顧みることもなく。
順序を守る気配すら見せず。
その横柄な態度に、周囲がざわめいた。
非常識だと眉をひそめる者。
怪我の具合に憐れみの視線を向ける者。
ただ興味本位に事の成り行きを見守る者。
幾重もの視線が、男へと突き刺さる。
「聖女様……」
壇上から避難させようとしたのか。
聖女の近くにいた聖職者のひとりが、誘導しようと踏み出す。
けれども、聖女は、静かに手を上げてそれを制した。
誰もが固唾を呑んで見守る中、聖女は静かに歩み寄る。
「おい!聞いてんのかーー」
怒声が響く。
その直後。
聖女は、男の腕へと静かに手を翳した。
淡い桃色の光が、彼女の手から静かに溢れ出す。
柔らかく、温かな光。
それは痛みを溶かすように、ゆっくりと傷へと染み込んでいく。
きつく巻かれていた腕の布が、はらりとほどけ、床に落ちた。
露わになった男の腕。
男の焦りようからして、今日昨日と最近出来たばかりの浅い傷ではないはずだ。
軽く擦りむいた程度で済むようなものでもない。
それなのに、赤黒く染まった布の下は、綺麗な肌色があるだけだった。
まるで最初から、傷など存在しなかったかのように。
「治って……、る……?」
男が、呆然と呟く。
信じられないものを目の当たりにしたかのように、
自分の腕を何度も見返していた。
「……奇跡だ」
群衆の中から、誰かがぽつりと呟いた。
それをきっかけに、ざわめきが波のように広がっていく。
「本当に……治ってる……」
「傷が、跡形もなく……」
「これが……聖女様の御業……」
やがてその声は、確信へと変わるように大きくなっていった。
「奇跡だ……!」
「聖女様の奇跡だ……!」
ひとり、またひとりと、声を上げる者が増えていく。
先ほどまでの厳かな空気とは一変し、異様な高揚感と熱気が聖堂内を包み込んでいた。
「あれが……、聖女……」
小さく、呟きが零れる。
いつの間にか礼拝の時間が終わり、参列していた人々は続々と堂内を後にしていく。
先ほどまでの熱気が嘘のように、
広い空間には穏やかな静けさが戻りつつあった。
人もまばらになった頃。
自分たちはどうするか、と見合っていると。
「お姉様……!」
不意に、澄んだ声が堂内に響き渡り、静寂を破る。
ベルベットの絨毯を駆ける足音。
振り返る間もなく、白いローブが視界に飛び込んできた。
「え……?」
困惑の声。
突然抱き寄せられたティア。
白く広い袖から覗く細い腕が、逃がすまいとするかのように強く回される。
目の前にいたのは、
先ほどまで壇の中央に立っていた、あの聖女だった。




