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呪華ノ鎖  作者: 雪ねこ
第二章
45/70

知らない記憶

音が、聴こえる――。


柔らかい、優しい音色。

流れるように紡がれる、ピアノの旋律。


指先が、自分の意思とは関係なく動いている。

白と黒の鍵盤を、そっと撫でるように。


知らない曲。

その筈なのに、まるで記憶に染み付いているように。

何度も弾いたことのある曲のように、指先は迷いなく鍵盤をなぞっていく。


視界に映るその手も、自分のものでは無い。


細く、長い指。

それは明らかに、成人した男の手だった。


ふと、視界の端に金色が揺れる。

長い髪だろうか。

背でひとつに結わえられているのか、その重みを微かに感じた。


(ここは……、どこだ……?)


室内庭園のような場所。

色とりどりの花々が咲き誇り、甘い香りが静かに漂っている。


「―――!」


不意に、少女の声が響いた。


恐らく、名を呼ばれたのだろう。

肝心の名前は聞こえない。

それでも、鍵盤をなぞっていた指先は動きを止め、顔を上げた。


ぱたぱたと、軽やかに駆け寄ってくる足音。


綺麗に整えられ、高い位置でふたつに結われた黒く長い髪。

清らかな水の底を思わせる、水色の瞳。

ふんわりと広がる、柔らかな色合いのドレス。

その両手には、赤いリボンの巻かれた、黒いネコのぬいぐるみが大切そうに抱えられていた。


「ごめんなさい!授業が長引いちゃって、待ち合わせの時間に遅刻しちゃった……!」


よほど慌てて来たのだろう。

ほんのりと頬を上気させ、肩で息をしているのが見て分かる。


「―――」


少女の名前を口にした気がした。

それもまた、うまく聞き取れない。

ノイズが走ったように、その部分だけ聞こえないのだ。


自分の口元に、笑みが浮かんだ気がした。


「気にしてないよ。それより……。そんなに忙しなく走ってたらレディーらしくないよ」


途端に、少女は頬を膨らませる。

腕の中のぬいぐるみに顔を埋め、ぎゅっと強く抱きしめる。


「―――の意地悪」


その言葉さえ、肝心な部分が欠け落ちた。


何気ない仕草で、隣の空間を空ける。


それに気づいた少女は、笑顔を浮かべ、躊躇うことなく腰を下ろした。

スツールの半分を2人で分け合い、当然のように肩が触れ合う。


近い距離。

重なる温もり。


――それが、ひどく愛おしいもののように感じられた。







――――






「ゆ、め……?」


静寂の中、ぽつりと呟きが漏れる。


まだ陽も昇ってすらいない、深い夜の時間。

隣では当たり前のように、ティアが穏やかな寝息を立てていた。


知らない人。

知らない景色。

知らない筈の記憶。


自分のものでは無いと、はっきり分かる。

それなのに、胸の奥に残るのは――

愛おしさにも似た、奇妙な感覚だった。


懐かしいような。

どこか、失くしてしまったものを思い出しかけているような。


気づけば、隣で眠るティアの髪に、そっと指先が触れていた。


柔らかな感触。

規則正しい寝息。


これが現実だと、確かめるように。


髪の色も、瞳の色も、纏う雰囲気さえも、何ひとつ似ていない。


重なってしまう。


夢の中で見た少女の、拗ねた表情。

ふとした瞬間に見せた、あの笑顔。


「なんなんだよ……」


小さく、掠れた声が漏れる。


理由なんて、分かる筈もないのに。

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