崩れ落ちる巨影
「黒犬くんは行ったみたいだねぇ」
ギリギリと軋むワイヤーを握りしめながら、視線だけを後方へと向ける。
レインたちの元へ駆け出したクローディアスの背は、すでに影もない。
足音すら、とうに聞こえなくなっていた。
「いつまで……」
苛立ちを押し潰すような、ざらついた声が漏れる。
視線を前へ戻すと、縫い留められた腕を無理やり引き剥がそうとするグラオザームの姿があった。
ワイヤーが悲鳴を上げるたび、空気までもが軋むように揺れる。
「あ~……、これはマズイかもぉ……?」
軽い口調とは裏腹に、嫌な予感が走る。
このままでは拘束ごと力任せに引きちぎられる。
そんな未来が、現実味を帯びていた。
「こうしておくつもりだ!!」
ワイヤーが限界を迎えるより早く、拘束を解除する。
同時に、傍らのセレナを抱き上げ、その場から飛び退いた。
地面に叩き付けられる大剣。
轟音とともに衝撃が走り、石畳が蜘蛛の巣状にひび割れる。
「わぁ……。すっごい馬鹿力」
あのまま拘束を続けていれば、間違いなく引き千切られていただろう。
割れた地面を足場に跳ぶ。
セレナを抱えたまま、足場から足場へと移り、グラオザームから距離を取る。
「あはは~、ほんっと、冗談きついって~」
軽口を叩きながらも、足は止めない。
止まれば終わる。
それだけは、はっきりしていた。
「あれだけ格好つけてまでクローディアスを送り出したクセに。これでは格好つかないですね」
「そんなこと言われても仕方ないでしょ~?あんな脳ミソまで筋肉詰まってそうな相手、相性悪いって~」
飛来する細かな破片を、セレナが光弾で撃ち落とす。
瞬きひとつせず、正確に対処していった。
「ノクス」
名を呼ばれ、視線だけを腕の中へと向ける。
セレナは視線を合わせることもなく、ボクの腕にそっと手を添えた。
「このままだとあなたの武器も使えないでしょう?……命令を」
セレナの声は、ひどく静かだった。
地面を砕きながら向き直るグラオザームの姿が、嫌でも視界の端に入る。
足場にしていた瓦礫を蹴り、無理やり軌道を変える。
直後、先ほどまでいた空間ごと、大剣が薙ぎ払われた。
風圧だけで、身体が持っていかれそうになる。
「ほらほらァ!!逃げてばっかでいいのかァ!?」
愉悦に歪んだ声が背後から聞こえてくる。
「命令しろってさぁ……、どっちが命令してんだか分かんないよねぇ。人使いが荒いお姫様だこと……」
軽口で返しながらも、視線は前から外さない。
確かにこのままでは、自分の武器も役に立たない。
簡単に千切られて終わりだ。
こちらに残された選択肢など、最初から無いに等しい。
「しょうがないなぁ」
小さく息を吐き出し、セレナを抱く腕にわずかに力を込めた。
首筋に熱が集まる。
黒い刻印が淡く光り、じわりと広がっていく。
焼けるほどではない。
けれど普段よりも強い熱が、皮膚の下を這う。
セレナの細い指先から、布越しに触れられていた腕へと、光が伝う。
対象は服の下に仕込んでいたワイヤー。
ただのワイヤーに、セレナの力で強化が施される。
それが終わると、彼女は一言だけ
「それでは、後は任せます」
と、静かな声で残し、セレナは姿を消した。
白く細い、月下美人の花弁を舞わせて。
「……はいはい、責任重大ってやつだねぇ」
くすりと笑みを浮かべる。
腕の中から重みが無くなると同時に、足を止めた。
振り返ると、グラオザームが目の前まで迫っていた。
「もうちょこまかと逃げ回るのは終わりか?」
その巨体は、獲物を確かめるようにこちらを見下ろしている。
こちらの様子を見て取ったのか、それ以上は踏み込んでこない。
攻撃の手を止め、大剣を肩へと担ぎ上げた。
「そうそう終わり終わり~。お姫様は安全な場所に避難してもらったし、いい加減鬼ごっこも飽きたでしょ~?」
くっ、と喉の奥で笑われる。
「それもそうだ!あんなお荷物抱えてちゃ、邪魔くせぇったらありゃしねぇ!」
表情は変えない。
だが、“お荷物”という言葉に、わずかに反応してしまった。
それに気付かれた様子はない。
あるいは、気に留める価値もないと思っているのか。
グラオザームは、何事もなかったかのようにこちらを見据えている。
ただようやくこれで続きが出来ると歓喜しているようで、歯を剥き出しにして笑っていた。
「これでようやく、まともに遊べるってもんだなァ!」
ズン、とグラオザームが強く地面を踏み込む。
同時に、踏み込んだ箇所の石畳が砕け、細かな破片が跳ねた。
肩に担いでいた大剣が振り下ろされる。
「……っと」
紙一重でそれを躱す。
刃が通り過ぎる音だけが、耳の横を掠めた。
振り下ろされた大剣が地面を砕き、地面が割れる。
そのまま身を屈め、懐へと踏み込んだ。
「――あ?」
一瞬遅れて、グラオザームの反応が漏れる。
グラオザームの頬が、浅く裂ける。
頬を鮮やかな赤が伝い、それを手の甲で乱暴に拭った。
「こんなもんで調子に乗ってんじゃねぇぞ!」
怒気とともに大剣が横薙ぎに振るわれる。
咄嗟に跳び上がり、その刃の面に片手をついた。
そのまま腕に力を込める。
身体を跳ね上げるようにして、グラオザームの頭上を越え、背後へと回り込んだ。
それを追うように、グラオザームが大剣ごと身体を捻ろうとする。
――が。
「っ……!?」
グラオザームの動きが止まった。
空気が、一瞬だけ静止する。
ワイヤーが、その身体を絡め取っている。
今度は武器だけではない。
身体全身を縛り上げていた。
力任せに引き千切ろうと、腕を引く。
金属が軋む音が、低く響いた。
それでも、セレナの力で強化されたワイヤーは、びくともしない。
「……クソがァ……!」
低い怒声をあげ、苛立ちを露にする。
「……チェックメイト」
その言葉を合図に、閃光がグラオザームの身体を貫いた。
グラオザームの身体が、膝からゆっくりと崩れ落ちる。
遅れて大剣が重い音を立てて転がった。
廃墟の外。
太い木の枝に立つセレナが放った光の光線。
光の残滓が、静かに空中に消えていく。
彼女の前方に展開されていた白く巨大な花が、ゆっくりと解けていった。




