シオンとシラン
夜の空気が、ゆるやかに流れている。
足元のコンクリートはひび割れ、
隙間から伸びた雑草が風に揺れていた。
錆びついたフェンスが、ときおり小さく音を立てる。
視線の先には、街の灯りが広がっている。
遠くまで続く光が、淡く瞬いていた。
建物の影や道の形も、ぼんやりと浮かんで見える。
風が吹き、薄紫の髪がわずかに揺れて、頬を撫でる。
何かを考えるでもなく、
何かを思い出すでもなく、
目の前の景色を眺めている。
音は少ない。
風の音と、かすかな軋みだけ。
静かな時間が、ゆっくりと過ぎていく。
どれくらいそうしているのかも分からないまま、ただ、夜の景色を見つめていた。
「しーおーんッ」
後ろに立たれた気配と同時に、首元にそっと腕が回される。
柔らかい声音が耳をくすぐる。
「シラン……」
後ろへと視線を向けると、琥珀色の目を細め、柔らかい微笑を浮かべている少女、シランと目が合った。
肩口で揺れる淡いピンクの髪は軽やかに外へ流れているが、後ろ髪だけはすっと長く背に落ちている。
白い生地が幾重にも重なった服は、風に揺れて柔らかく広がり、可愛らしい外見なのにどこか掴みどころのない印象を与えていた。
「こんなところで、ひとりでぼーっとしてるなんて」
シランはそのまま、首元に回した腕を外さない。
力は強くないのに、逃げようと思えば逃げられるはずなのに、なぜかそのままにしてしまうような、曖昧な距離だった。
「別に……。ただ、景色見てただけ」
短く返すと、シランは「ふぅん?」と小さく息を漏らす。
その声はどこか納得してないようなものに思えた。
「シオンの嘘つき。景色なんて見てないでしょ」
「……見てる」
「うそ」
間を置かずに俺の言葉を否定する。
双子のような存在なのだから、誤魔化せるなんて最初から思っていなかった。
だからこそ、即座に嘘だと断定されたことにも驚かない。
シランの声は相変わらず軽い。
けれど、首元に回された腕が、ほんの少しだけ締まった。
「ちゃんと見てる顔じゃないもん」
頬がかすかに触れる。
視界の端に淡いピンクが揺れた。
「ねえ、シオン」
耳元で囁かれる。
「今、どこにいるの?」
「ここ」
「だから、それが嘘だって言ってるの」
くす、と小さく笑う。
「身体だけじゃなくて、意識の話をしてるの、シオンは分かってるでしょ?シオンはいつも私を見てくれてたのに、今は全然私のこと見てないじゃない」
指先が、胸元に触れるか触れないかの距離で止まる。
なぞるわけでもなく、ただそこに“存在している”ことを確かめるみたいに。
「シオン、最近ずっとそう。どこか遠く見てる」
首元に回された腕が、今度はほんのわずかに引き寄せるように動く。
抵抗しようと思えばできる距離。
けれど抵抗なんてしない。
そうしようとも思わない。
「前はさ」
耳元で、柔らかく言葉が落ちる。
「こんなふうにしてたら、ちゃんと反応してくれたのに」
頬に触れる距離まで顔を寄せられる。
息がかかるほど近い。
「今は、全然」
くす、とまた笑う。
けれどその笑みは、さっきよりもずっと静かで、
どこか、温度が低い。
「……別に、いつも通りだよ」
短く返す。
それでも視線は前のまま。
街の灯りが、ぼんやりと揺れている。
口ではいつも通りと言いつつも、頭では違うと分かっている。
ずっととある男のことが頭から離れない。
くだらない言い掛かりをつけられてならず者たちに絡まれていた時に、無遠慮に割り込んできた淡い金髪の男。
弱いクセに自らの力量も弁えずに突っ込んで来るお節介焼きに、ついこちらも感化されたのかもしれない。
「ほら、また違うこと考えてる」
少しだけ強く、腕が引かれた。
それでも動かないでいると、シランは小さくため息をついた。
シランはそのまま、額を軽く俺の後頭部に預けた。
「ねえ」
今度は少しだけ、声のトーンが落ちる。
「何考えてるの?あの方にも……、私にも、言えないこと?」
さっきよりも、問い方が静かだった。
責めるでもなく、探るでもなく、ただ“知ろうとしている”だけの声音。
隠し立てすることでも無いとは思ってる。
それでも、
「別に」
と、誤魔化した。
シランはそれ以上、追求してこなかった。
代わりに、首元に回した腕の力が、ほんのわずかに緩む。
これ以上聞いても、教えてはくれないと諦めたのか。
「そっか……」と短く、切なげな表情を浮かべていた。




