従者の願い
「ところでお二人とも。昨晩はノワールとなにをお話していたんですか?」
ティアをベッドの上に寝かせた後。
頃合いを見計らったように、セレナが口を開いた。
「え」
思わず声が漏れた。
昨夜のことはセレナとノクスには気付かれていないと思っていた。
部屋には俺とティア。
そして窓から迎え入れたノワール。
あとは眠っていたクローディアスしかいなかったのだから。
だからこそ、予想外の問い掛けに少し驚いてしまった。
「気付いてたのか?」
問い返すと、今度はノクスが肩を竦めながら口を開いた。
先ほどまでだらしなく椅子の背もたれに身体を預けていたというのに、今度は肘をテーブルの上につき、身を乗り出すようにしてこちらを見ていた。
「そりゃあ、あれだけ騒いでいたら気付くよねぇ。おまけに、夜中に窓の外から変な音がしたと思ったらさぁ、お坊ちゃんたちの部屋の外壁に、ちびっ子ちゃんの鎌がぶっ刺さってるんだもん。しかも窓は開いてるし、ちびっ子ちゃんの後ろ姿見えるしさぁ。お坊ちゃんたちが部屋の中に招き入れたって考えるのが自然だよねぇ」
そう言いながら、紅茶の入ったカップの縁を指先でなぞる。
「私たちの部屋からだと、あなたたちがなにを話しているかなんて、わかりませんでしたけどね」
セレナがそう言って紅茶を一口飲む。
「あ、でもさぁ」
不意にノクスがにやりと口元を歪めた。
「あれは面白かったよねぇ。黒ユリちゃんがちびっ子ちゃん窓から突き落とそうとしてたの。必死になってバタバタしてさぁ」
思い出しただけでも面白いのか、肩を震わせながら笑い始めた。
「『むーっ!?』『むーーっ!!』ってさぁ。必死に窓枠掴んで。もう面白くって面白くって」
「性格悪いですよ」
セレナが呆れたように言う。
そんなやり取りを聞きながら、俺は思わず呟いた。
「見られてたんだ……」
まさかあの一連の騒動を観察されていたとは。
ティアが無表情のまま窓の外へと押し出そうとして、
ノワールが必死に窓枠にしがみついて落とされまいと抵抗し、
俺はただ、それを止めもせずに見ていたあの状況。
改めて思い返してみると、なかなかに酷い光景だった気がする。
(ティアやノワールが知ったらどんな反応するだろうか)
ティアは多分、あまり気にしない。
興味無さそうに『そう……』とひと言だけ呟いて、それで終わりになりそうだ。
だが、ノワールは違うだろう。
あの短気で感情の起伏が激しい少女は絶対に嫌がる。
間違いなく嫌がる。
『見てんじゃねーよ!!』と顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。
さらには恥ずかしさを誤魔化すように大鎌を振り回し始めて、セタリアが慌てて止めに入る。
そんな一連の流れが容易に想像出来てしまい、思わず苦笑してしまった。
「自分が眠っている横でそんなことが起きていたとは……」
クローディアスが苦々しく呟いた。
手にしていたカップへと視線を落とし、小さく息を吐く。
その横顔には呆れと疲労、それから少しばかりの申し訳なさが滲んでいた。
その反応も無理はない。
彼からしたら、かなり複雑な心境だろう。
本来なら守るべき対象である俺。
そして、その俺やクローディアスを守るために傍についていたティア。
その二人が、自分の眠っている間にノワールを部屋へ招き入れ、普通に会話をしていたのだから。
彼女は初対面で俺を殺そうとした相手だ。
警戒するなという方が難しい。
ましてやクローディアスは、あの場にいたにも関わらず眠っていた。
体調を崩していたせいで深い眠りについており、なにか起きたとしても動けなかったのだ。
それを思えば、穏やかでいられないだろう。
「最初は私たちも加勢に入ろうかと思ったんですよ?でも様子がおかしいんですもの。戦いになる気配もありませんし、殺気も感じられない。だからノクスと二人、様子見することにしていたんです。もちろん、危なくなりそうだったらいつでも介入するつもりで」
クローディアスは額に手を当て、深い溜め息を吐いた。
「レイン様」
「ん?」
不意に名前を呼ばれて顔を上げる。
険しい顔付きで、クローディアスが真っ直ぐにこちらを見ていた。
途端に背筋を冷たいものが走った。
(あ、やばい)
長い付き合いだ。
だからこそ分かる。
(これ……、怒ってるやつだ)
嫌な予感がする。
こういう時は決まって、嫌になるほど長い説教が待っているのだから。
「な、なに?」
思わず声が上擦ってしまう。
今からでも逃げられないだろうか。
ついそんなことを考えてしまった。
しかし逃げ道はない。
この部屋の外はいつものように安全な場所ではない。
ちらりと周囲へと視線を向ける。
ノクスは先ほどまで楽しそうに笑っていたくせに、今は目を丸くしてこちらを見ていた。
セレナに至ってはもっと酷い。
静かに紅茶を飲みながら目を伏せている。
完全に我関せずといった顔だった。
味方がいない。
誰も助けてくれない。
逃げることも出来ない。
追い詰められた気分で再びクローディアスへ視線を戻す。
「なぜ……。自分を起こさなかったんですか?」
「いや、その……」
言葉に詰まる。
思わず視線が泳いだ。
「だっておまえ……。体調悪かったじゃん……」
苦し紛れにそう返す。
するとクローディアスは首を横に振った。
「それでも。初対面でご自身を殺そうとしたような危険人物を部屋に招き入れて、不用心にも程があります」
正論だった。
ぐうの音も出ない。
「でも、ティアもいたし……」
往生際悪く、小さく反論してみる。
しかし。
「それでも、起こしてください」
ぴしゃりと言い切られてしまった。
クローディアスは一度息を吐き、少しだけ眉を寄せた。
「あなたは主人なのですから遠慮は不要です。自分が一緒にいた場所でさえも、あなたが危険な目に遭っていたかと思えば気が気でありません」
クローディアスはそう言いながら、そっと手を伸ばした。
指先が俺の首筋に触れる。
そこに刻まれた黒い印を、なぞるように。
優しく。
けれど確かめるように。
その仕草だけで、彼がなにを思い出しているのか分かってしまい、途端に居心地が悪くなる。
もう随分前のことだ。
クローディアスに悪戯をして。
説教されそうになって逃げ出して。
クローディアスの目の届かない場所で、焼かれるような激痛に襲われながら首筋に刻まれた、ティアとの契約印。
完全に俺の自業自得だった。
それでも、俺の護衛でもあるクローディアスにその理屈は通らない。
自分が目を離した隙に。
主人が危険な目に遭い。
気付いた時には見知らぬ刻印が主人の身体に刻まれていた。
それを目にした時のクローディアスの顔を思い出して、申し訳無さに反論することも出来なくなった。
「……ごめん」
ぽつりと、謝罪の言葉をこぼした。
「本当にそう思っているなら次からは、自分を頼ってください」
クローディアスの声は静かだった。
説教を続けているようで、その声音にはどこか懇願するような響きさえ混じっていた。
「体調を崩していたとしても、夜中に眠っていたとしても関係ありません。叩き起こしてください。守らせてください。自分は、そのためにいるのですから」
あまりにも真剣な声。
その一言に、思わず言葉を失う。
クローディアスは真面目だ。
融通が利かないと思うこともある。
頑固だと思うこともある。
だけど、それ以上に誰よりも真っ直ぐだった。
自分が決めたことを曲げない。
守ると決めたものを守ろうとする。
それがどれだけ無茶なことでも。
どれだけ自分が傷付くことになっても。
護衛だからだとか、従者だからだとか、そんな義務感だけではないことくらい、流石の俺でも分かっている。
それだけでは説明出来ない状況でもあるのだから、気付かない方が無理だというものだろう。
心配だったのだ。
自分の知らないところで俺が危険な目に遭っていたことが。
悔やまれたのだ。
自分がすぐ傍にいたのに、なにも出来なかったことが。
しばらく何も言えずにいた後。
申し訳無さを感じながら、
「……うん」
と、俺は小さく頷いた。




