知らなかった想い
「だったら……。ルーに訊いたの、正解だったかもな」
ぽつりと、ノワールが呟いた。
足を組むことをやめ、ぶらぶらと両足を交互に揺らす。
どこか考え込むような表情を浮かべながら、言葉を続けた。
「……別に話してもいいけど、手っ取り早く知る方法あるって言ったらどうするんだ?」
確認するように問い掛けられる呟き。
試すようでもあり、反応を窺うようにも思えた。
だが、その言葉を聞いた瞬間。
その方法がなんなのかすぐに思い至り、思わず眉を顰めた。
「それは、ティアがおまえを殺すことか?」
「あ、やっぱり知ってるんだ?こいつ、もう既に一人、取り込んでるっぽいもんな」
ノワールがくすくすと楽しそうに笑いながらティアを見る。
驚くことも無く、予想していたというように。
紅い瞳が細められた。
「どれだろう。呪い、恋、愛……」
じっとティアを見据えながら呟く。
どの要素が当てはまるのか、確認している様子だった。
「あんまなに考えてっかわかんねーから元々は呪いの方か?後から取り込んだのは多分、恋ってやつだろ。愛の方ならもっと気色悪い、どす黒い目をするだろうからな」
「黒ユリの花言葉か」
そう呟くと、ノワールはこくりと頷いた。
「そう」
前にセレナが言っていた。
呪華は、それぞれの花にまつわる花言葉や、その花から連想される能力を使用すると。
そしてティアはその中のひとつ、呪いにまつわる能力しか使えなかった。
だが彼女と同じ、黒ユリの呪華であるコレットを倒した後から、ティアの様子が明らかに変化した。
最初に気付いたのは、俺への態度だ。
急に俺を避けるようになった。
それまでこっちが追い出しても拒んでも注意しても、なにも気にすることなく隣に居座っていたのに、不自然に俺から距離を取ることが増えた。
目が合うと視線を慌てて逸らされ、話し掛ければ顔を赤くして逃げ出す。
食事の時だってそうだ。
以前のティアは、そこに食器が並べられていても使用することなんて無かった。
目の前の食べたい料理に直接手を伸ばし、指先が汚れても気にせずに食べる。
口元を汚しても誰かが拭くまで気にも留めない。
それがいつの間にか、慣れない手付きながらも食器を使うようになっていた。
こぼさないように。
汚さないように。
不器用ながらも、気を付けて食事をするようになっていた。
そして極め付けは能力だ。
コレットの使っていた弓矢だったり、魅了の能力だったりが使えるようになっていた。
本来ならティアが使えなかったはずのもの。
その時点で、ティアがコレットを取り込んたという結論には辿り着いていた。
だが。
そこから先のことなんて考えたこともなかった。
取り込んだ結果、何を受け継いだのか。
どんな意味があったのか。
そこまでは深く考えていなかったのだ。
――後から取り込んだのは多分、恋ってやつだろ。
ふと、ノワールの言葉が脳裏を過る。
俺を避けるようになったことも、
変に意識したような態度も、
今まで気にしなかったことを気にし始めたことも、
すべて説明がついてしまう。
そう考えた瞬間、胸の奥が少しだけ落ち着かなくなる。
無意識に、目の前で眠るクローディアスへと視線を向ける。
静かな寝息を立てながら眠るその横顔は、先ほどまで悪夢にうなされていたとは思えないほど穏やかだった。
握られたままの手からは、微かな体温が伝わってくる。
その顔を見ながら、ふと思う。
(クロは知っていたのか……)
俺がなにかティアを怒らせるようなことをしたかと、愚痴に似たものをこぼした時。
なにか察してそうな雰囲気を見せつつも、結局は教えてくれなかった。
呆れたような。
困ったような。
なんとも言えない表情を浮かべながら。
自分で察しろと言わんばかりに、言葉を濁していたのだ。
それに気付いた途端、なんだか急に複雑な気分になる。
鈍感だと言われているようで、
腹立たしさすら覚えた。
これだけ周囲に気付かれていて、自分だけが分かっていなかったとなると、なんとも言えない思いに襲われる。
クローディアスも。
セレナも。
もしかしたらノクスやアステルまで気付いていたのかもしれない。
「……っ」
ほんの少しだけ、顔が熱くなる感覚がした。
ノワールがそんな俺と、どこか気まずそうに視線を下に向けるティアを交互に見た。
どうしたのかと不思議そうな表情を浮かべながら見比べ、
何かに気付いたように目を見開き、
面白いものを見付けたとばかりに、目を細め、口端をにやりと歪めた。
「なんだてめー……。鈍感でもあったのかよ?動きも遅いくせに察しも悪い。っ、あは……、ッ……!あはははっ!」
途端にお腹を抱えて笑い出すノワール。
肩を揺らし、目尻に涙を浮かべ、盛大に笑っていた。
堪えられないとばかりに、けらけらと笑いながら続ける。
「やっば!?ウケんだろこれ!こんだけわかりやすいヤツ相手に気付かないとかどれだけ――」
そこまで言ったところで。
「むーーーーーっ!?!?」
ノワールの言葉が途中で途切れた。
代わりにあげられたのは、ノワールのくぐもった悲鳴のようなもの。
何が起きたのかと思えば、いつの間にかティアがノワールの目の前まで歩み寄っていたのだ。
無表情のまま。
いや、どこか黒い雰囲気を纏わせながら。
無言で片手を突き出して、ノワールの顔面を鷲掴みにしていた。
騒がしく笑い声をあげだしたその口ごと塞ぐように掴むと、窓の向こう側へと押し出そうとしていた。
ノワールの目が見開かれる。
流石に予想外だったのだろう。
まさか窓の外に強引に押し出されるとは思っていなかったらしい。
必死に窓枠に手を伸ばし、がっしりと掴む。
さらに両足まで窓枠へ引っ掛けて、ひたすら「むーっ!?」「むーっ!!」と声にならない悲鳴をあげながら抵抗していた。
窓の外はかなりの高さがある。
落ちれば洒落にならない。
良くて大怪我。
下手をすれば、人間ならまず助からないだろう。
もっとも、ノワールは人間ではない。
呪華だ。
そしてティアと同じならば、心臓を持たない。
だから落ちたとしても死にはしない。
だがそれでも、大怪我はする。
死ぬことが出来ないということは、また別の苦痛が待っているということだ。
骨が折れ、身体が潰れ、激痛に苛まれても生き続ける。
契約者を持たない様子の彼女には、治癒手段も無いのだろう。
時間を掛けて自然に治癒するのを待つしかない。
それはそれで、十分すぎるほどの苦痛だ。
だからこそ。
「むーっ!!むぅうーーっ!!」
ノワールは本気で抵抗していた。
絶対に嫌だと言わんばかりに。
両腕に力を込め、必死に窓枠にしがみ付いている。
そんな様子を見ても、ティアの表情は変わらなかった。
それどころか、どこか冷たくすら感じられた。
いつも通り無表情なのに、機嫌が悪いことだけは伝わってくる。
そして。
ティアは静かに口を開いた。
「私……。うるさくしないでって最初に言ったよね?」
穏やかな声だった。
怒鳴っているわけでもない。
声を荒げてもいない。
けれど確実に怒っている。
だからこそ、余計に怖かった。
途端に、ノワールの動きが止まる。
騒がしく呻き声をあげることもやめ、固まってしまった。




