ここにいるから
時折、うなされるクローディアスの声が静かな部屋の中に響く。
「やめ、ろ……」
掠れ切った声は、まるで喉の奥に引っかかった棘みたいに途切れ途切れで。
「知ら、ねぇ……」
苦しげに眉を寄せ、シーツを握りしめる指先に強く力が込められた。
「こんな……、俺じゃ、ない……ッ」
うなされるたびに、落ち着き掛けていた呼吸が乱れていく。
明かりも点けていない部屋の中。
クローディアスの傍らにいた俺とティアは、息を呑んだまま動かない。
ベッドの上で眠る彼を、ただひたすらに見守っていた。
クローディアスの額にはうっすらと汗が滲み、苦しげに寝返りを打つ。
まるで何かから逃げるように。
苦しげに呻き声を上げていた。
「……っ、……や……」
不意に、クローディアスの手がなにかを掴もうと持ち上げられる。
何かを探すように、必死に、頼りなく空を彷徨っていた。
反射的に手を伸ばし、その手を両手で包み込む。
指先が触れた途端、びくりと小さく跳ねるような反応が返ってきた。
けれど次の瞬間、その手は逃げることなく、それどころかむしろ強く握り返してくる。
ぎゅっ、と。
縋るように、離さないと言うみたいに。
暗闇の中で、ただひとつの光を求めるように。
沈みかけた闇の中から差し伸べられる救いの手を求めるかのように。
ティアはその様子を、静かに見つめていた。
いつもの無邪気さは影を潜めている。
俺は握られた手を、少しだけ強く握り返した。
「大丈夫。……俺はここにいるから」
目は覚めていない。
まだ悪い夢の中に囚われたまま。
それでも少しだけ、見ている夢に変化があったのか。
クローディアスの震える唇から、途切れ途切れに言葉が漏れ出た。
「行く、な……。独りは、嫌だ……ッ」
クローディアスに握られた手に鋭い力がこもる。
彼の指先が、俺の手に爪を立てるように食い込んだ。
「……っ、置いていくな……」
俺はその手を離さないまま、少しだけ身を寄せる。
「ここにいる。おまえの傍にいるから」
その言葉が彼の耳に届いたのか。
苦しげに歪んでいた表情が、ようやく落ち着きを取り戻した。
掴まれている手は離されないまま。
静かな寝息が聞こえてきた。
ふと、ティアがゆっくりと立ち上がった。
なんの前触れも無く、何も言わないまま。
そのまま窓辺へと歩いていく。
「ティア?」
俺の問い掛けにも、彼女は振り向かない。
ただ淡々と、窓の鍵に手をかける。
そして、迷いもなくそれを開け放った。
冷えた夜の空気が、一気に部屋の中へと流れ込む。
その瞬間。
「よく、ルーが来るって分かったな。腹黒性悪女」
開いた窓枠に飛び乗るようにして、影が滑り込んできた。
次の瞬間には、ノワールがそこに立っていた。
不安定なはずの窓枠を足場にして、仁王立ちをしている。
そんな彼女を見ながら、ティアが小さく息を吐いた。
「あなたの気配は分かる。……窓開けなかったら、蹴破るつもりだったでしょ」
表情は変えないまま、呆れたように言う。
そしてティアはベッドの方へと視線を向けた。
「今、クローディアスが体調悪くて眠ってるから、うるさくしないで」
「クローディアス?」
ティアの言葉に、ノワールが首を傾げる。
誰のことか、と問い掛けようとして。
ノワールが部屋に置かれた広いベッドへと視線を向けた。
「あぁ、い……じゃなかった。あの真っ黒のことか」
(今、“犬っころ”と言いかけたな)
そんな呼び方をして、散々ひどい目に遭ったせいかすぐに言い直していた。
クローディアスが寝込んでいるとはいえ、その呼び方を続ける気にはなれなかったらしい。
ノワールはそのまま、窓枠に何の遠慮もせずに足を組んで腰を下ろした。
ふと、彼女の胸元へと視線が向く。
そこには、うっすらと赤い染みが残っていた。
それが何を意味するのか、わざわざ考えるまでもない。
あれは誰かの返り血だ。
黒く変色していないところを見る限り、まだ時間はそれほど経っていない。
ここに来る途中で、誰かを手に掛けてきたのだろう。
最初に俺を殺すために振るった、あの巨大な鎌。
それを今度は別の誰かへ向けてから、この場所へやって来た。
ティアは立ったまま、ただ彼女を見ていた。
武器を構える様子も無い。
その様子から察するに、ノワールに殺意は無いのだろう。
俺を殺しに来たのでないのであれば、いったい何のためにここへ来たのか。
彼女の性格を思えば、他愛のない世間話をするために来たとも到底思えない。
「なにをしに来たんだ?」
俺が問い掛けると、ノワールがこちらに視線を向けながら口を開いた。
「ちょっと確認しときてーこと出来たからさ。訊きに来た」
声がいつもより少しだけ小さい。
いつもなら遠慮無しに張り上げるように発せられる大声も、どこか抑えられていた。
部屋の奥に眠るクローディアスを確認したからだろうか。
気を遣ってくれているらしい。
「訊きたいこと?」
ティアが小さく首を傾げる。
「そうだよ。モヤモヤしたことはさっさと解決してきた方が良いってネコのやつがうるせぇからさ。生意気にも説教たれやがって」
そう言って、
ノワールは窓枠の上で座り直し、だるそうに片膝に肘を置いた。




