ご褒美
クローディアスが我が儘を言いたいと言い出した時。
あまりの珍しさに、正直なところ、何を要求されるのか少し身構えていた。
普段なら決して自分の欲しいものなど口にしない。
だからこそ、どんな無理難題を吹っ掛けられるのかと警戒してしまったのに。
返って来たのは、拍子抜けなほどに簡単な願いだった。
「……ひとりの部屋にいたくないので、一緒の部屋にいさせていただけますか」
――――
クローディアスの願いに応える形で、俺とティアが使っている部屋のベッドの上へと横になってもらった。
彼が折角着替えた燕尾服は、彼が寝間着として使用しているラフな服へと着替えさせてある。
先ほどまで相当無理をしていたのか、
それとも安心してしまった反動なのか。
熱が上がり、乱れた呼吸を繰り返していた。
冷たい水で濡らし、硬く絞ったタオルをその額に乗せる。
ティアはベッドの端に邪魔にならないように座ったまま、騒ぐこともせず、静かにその様子を眺めていた。
ふと、扉の向こう側から声が聞こえた。
「みんなしてお寝坊さん?珍しいこともあるもんだねぇ」
「クローディアスがいるのですから寝坊は考えづらいと思いますけど」
ノクスとセレナの声だ。
いつまでも二人の前に現れない俺たちの様子を訝しんで、様子を見に来たのだろう。
このままだと部屋に入って来て騒ぎかねない。
セレナはすぐに状況を察してうるさくしないように配慮してくれると思うが、ノクスは別だ。
からかい、茶化し、おもしろがって無駄に騒ぐだろう。
どうしようか、と考えていると、ティアがこちらを見た。
「ノクスたち……。入らせない方がいい?」
声量を抑えた静かな声。
ティアなりに、クローディアスを起こさないよう配慮しているのがわかる。
いくら無邪気な彼女でも、彼女なりに空気を読んでいるらしい。
「そう……、だな」
小さく呟くように答える。
すると短く、「わかった」とティアが頷いた。
そして立ち上がることもせず、その場からふっと姿を消した。
彼女が座っていたベッドの縁に、黒い花弁がひとひらだけ舞い落ちる。
それが床に触れる直前、ゆっくりと音も無く消えてしまった。
「わっ……!びっくりしたぁ……。なぁに?黒ユリちゃん。急に目の前に出て来て。びっくりし過ぎてボク、心臓無いなっちゃうじゃんか〜」
扉の外でそんな声が聞こえてきた。
扉越しだからくぐもっているが、なにを話しているかは丸聞こえだった。
「今日は入っちゃダメ。クローディアスが体調悪いの」
「黒犬くんが?」
「だから入らないで」
「黒犬くんが体調不良……。へぇ……?」
その“へぇ”のひと言だけで確信した。
(やっぱりあいつ、部屋に入れないようにして正解だったな)
声色だけで分かる。
あれは心配している人間の反応じゃない。
珍しい玩具を見つけた時の反応だ。
案の定、扉の向こうからセレナの呆れたような声が聞こえてきた。
「ノクス……。私いま、嫌な予感がしてるの。あなたがロクなことを考えていない予感が」
「え~?そんなことないと思うけどなぁ」
「なに考えてるのか、ここで言ってみなさい」
「ちょっとぉ。……からかうだけ?」
「……」
途端に、セレナもティアも黙ってしまった。
きっと二人して、冷めた目でノクスを見ているのだろう。
見ていなくても、その光景が容易に想像出来てしまう。
「だってさぁ普段は完璧超人みたいな黒犬くんがだよ?熱でふらふらしてるのなんて見たくない?」
ノクスが悪びれもなく言った。
その声には純粋な興味と好奇心が滲んでいる。
別に心配していないわけではないのだろう。
ただ、それ以上に“珍しいものを見てみたい”という気持ちが勝っているだけだ。
「ティア。止めに来てくれてありがとうございます。この人、本当に空気を読まないんですから」
セレナが疲れたように溜め息を吐く。
普段は穏やかな彼女でも、今回は流石に擁護する気になれなかったらしい。
「ここで私たちを止めたってことは、クローディアスはこの部屋で寝てるんですよね?」
確認するように問い掛けるセレナの声。
そういえば、と気付く。
すっかり忘れていたけれど、ここは俺とティアが使っている部屋だ。
セレナとしては念のため確認しておきたかったのだろう。
体調を崩して休んでいるのなら、自分に与えられた部屋で休むと考えるのが普通だろうから。
だからこそ疑問に思ったのかもしれない。
扉の向こうで、ティアは素直に頷いた。
「うん」
「わかりました。でしたらこっちでまた、私たちだけで動いていろいろ調べてみますね。クローディアスのことは二人におまかせします」
セレナの落ち着いた声が扉越しに聞こえる。
どうやら無事に納得してくれて引き下がってくれるらしい。
その事実に、俺は小さく安堵した。
ノクスまで連れて行ってくれるのなら本当に助かる。
これでようやく静かになる。
そう思い、ほっと息を吐きかけた、その時だった。
「……ここは物騒だけれど、ティアがいるなら安心ですね」
柔らかい声音で、セレナがそう続ける。
「守る対象が増えて大変でしょうけど、よろしくお願いします」
普段なら俺ひとりを守ることだけを考えていればよかった。
けれど今は違う。
クローディアスもまた、守るべき対象となっている。
体調を崩して動けない人間を守りながら戦う。
口で言うほど簡単なことじゃない。
しかも、いつもは隣で一緒に守ってくれる相手が、今度は守られる側なのだ。
セレナなりに、それを案じているのだろう。
扉の向こうで、ティアは迷いなく答えた。
「ん、わかった」
きっと表情をあまり変えないまま、だけど僅かに誇らしげにしているのだろう。
任せて、と言いたげに。
「ほらノクス、行きますよ」
セレナが半ば引き摺るような声で促す。
だが、案の定というべきか。
「えぇー。本当にちょっとだけ~」
未練たらたらな声が返ってきた。
「ダメです。諦めてください」
「けちー」
その言い方がやけに子どもっぽくて、思わず苦笑が漏れそうになる。
そんなやり取りをしながら、二人の足音が徐々に遠ざかっていく。
ノクスとセレナの身長差では、セレナが彼を引き摺っていくなんてことが出来るとは思えない。
だとすれば、なんだかなんだと文句を言いながらも、ノクス自身が引き下がることを選んだのだろう。
やがて声も聞こえなくなり、静かになったな、と思った刹那。
ふわり、と。
視界の端で黒い花弁が舞った。
もう見慣れた光景。
ティアが瞬間移動する際に現れる黒ユリの花弁。
そして次の瞬間には、いつの間にかティアが俺の隣に戻って来ていた。
「おかえり」
なんとなく、そう言った。
深い意味なんてない。
ただ、目の前からいなくなって、また戻って来たから。
それだけの単純な理由。
けれどティアは、その言葉が予想外だったのだろう。
ぱちくり、と目を瞬かせる。
紅い瞳が丸くなり、きょとんとした表情を浮かべた。
まるでそんな言葉を掛けられるとは思っていなかったみたいに。
けれどその表情もすぐに和らぐ。
ふわり、と。
花が綻ぶように柔らかく微笑んだ。
「ただいま」
その様子に思わず目を細める。
普段はなにを考えているのか分からないほどに感情表現が少ないくせに、
嬉しい時は本当に嬉しそうな顔をする。
俺は小さく笑いながら、軽く手招きをする。
「ちょっとだけしゃがめ」
「?」
不思議そうな顔を浮かべながらも、理由を聞くことも無く、ティアは素直にこちらへ近付いてくる。
そして俺のすぐ傍で膝を折り、俺と目線が合う高さまでしゃがみ込んだ。
長い白髪がさらりと肩から流れ落ちる。
「なに?」
なんでそんなことを指示されたのだろうかと、疑問は抱いているのだろう。
けれど警戒している様子も、戸惑いを抱いている様子も無い。
ただ純粋に、俺が何をするつもりなのか気になっているだけ。
その問いに答える代わりに。
ぽん、と頭へ手を乗せた。
「え……?」
そのままゆっくりとその頭を撫でる。
柔らかな白髪が指の間をさらりと滑り抜けた。
「ありがとな」
ノクスを止めてくれて。
空気を読んで動いてくれて。
クローディアスを起こさないように気を遣ってくれて。
そんな意味を込めて、お礼を言った。
まさか褒めるためにしゃがむよう指示されたとは思っていなかったらしい。
しばらくの間、ただ固まったまま俺を見上げている。
ただ大人しく、静かに撫でられていた。
頭の上の手を振り払うこともなく。
恥ずかしがることもなく。
ただその感触を受け入れている。
やがて。
ゆっくりと目が細められた。
どこか心地良さそうに。
安心したように。
そして、
「……うん」
と、小さな声が返ってきた。




